Sightsong

自縄自縛日記

日本ドキュメンタリストユニオン『沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー』

2019-05-21 00:26:34 | 沖縄

国分寺gieeにて、日本ドキュメンタリストユニオン『沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー』(1971年)を観る。

コザ暴動(1970年12月)前の沖縄を生々しくとらえた作品である。竹中労が『琉球共和国』で書いていて、ずっと観たいと思っていた。

上映前に、森美千代さんによる唄三線が2曲。「十九の春」は映画に登場するアケミが唄っていて、また、「海のチンボーラ―」は嘉手苅林昌による唄三線が挿入されていたからだろう。

売春婦のアケミは若い時の性暴力やいまの生活を、まるで夢の中にいるかのように語る。黒人兵の一部は軍隊や差別の問題を認識し、ブラックパンサー党に入って、場所を見つけて議論をしている(ここでオーネット・コールマン『ジャズ来るべきもの』の「Lonely Woman」がかぶせられているが、まあ、大したことではない)。堅気の市民は、コザの吉原なんかのことについて他人事のように語る。中城湾の石油備蓄基地建設への反対運動、それに関する琉球石油(現・りゅうせき)社長であった稲嶺一郎(稲嶺知事の父)による綺麗ごとの演説。

上映後に、日本ドキュメタリストユニオン(N.D.U)の井上修さんが登壇し、興味深いことを話した。

竹中労とは撮影中には会ったことがなかったこと。ビザを3か月おきに更新しなければならず、何人かで入れ替わりたちかわり沖縄に行ったこと。制作予算は社会党と羽仁五郎が援助したこと(N.D.Uの最初の作品『親に似ぬ子は鬼っ子』を羽仁氏が気に入り、『都市の論理』の印税収入を出した)。N.D.Uは早大のカメラルポルタージュ研究会と放送研究会のメンバーが集まってできたがやがて分裂したこと。メンバーは井上氏の他、布川徹郎、コザ暴動プロジェクト in 東京(2016年)にも登壇した今郁義、村瀬春樹(『誰か沖縄を知らないか』)ら。アケミと知り合ったのは、彼女が、六軒長屋を溜まり場にしていたやくざ(山原派に関係)の「スケ」であったのが縁だったこと。みんなハイミナールでラリッていたこと。録音はアカイのオープンリールを使ったこと(同録でない時代のドキュメンタリーは味があるものだ)。「十九の春」はアケミが歌ったが、後ろのほうが録れていなくて、吉田日出子に歌ってもらったこと。アケミを探しに行ったが、源氏名として多いこともあり見つからなかったこと(藤井誠二『沖縄アンダーグラウンド』に書かれている通りだ、と)。売春街の歴史をドキュメンタリーとして残すことの意義(今でも栄町や吉原の一部は残っているから、と)。

その後もライヴがあったが、事情があって聴けなかった。申し訳ない。


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