Sightsong

自縄自縛日記

『南京事件 兵士たちの遺言』

2015-10-12 23:42:34 | 中国・台湾

「NNNドキュメント'15」枠で放送された『南京事件 兵士たちの遺言』(2015/10/4)を観る。

この番組では、南京陥落戦に従軍した兵士たち(陸軍の歩兵第65連隊、山砲兵第19連隊)の従軍日記やインタビューの記録、また参加した海軍兵士の証言など一次資料をもとに、裏付けを行い、実態に迫っている。それによれば、陸軍が捕虜にした中国人およそ1万5千人から何千人単位で長江沿岸に連れ出しては、次々に機関銃で殺害し、さらに銃剣でとどめを刺したという。1937年12月16日以降のことである。そして、この虐殺は捕虜を対象とするにとどまらず、南京中心部から離れた郊外でもなされていた。 

まさに本来のジャーナリズムというべき仕事である。

南京事件(南京虐殺)が実際に起きたことについては日本政府の見解ともなっており、疑問の余地は皆無にひとしい。捕虜や非戦闘員・民間人を含めた犠牲者数が中国政府の主張する「30万人」かどうかについてはまだ結論が出ていない。これについては、第二次天安門事件に関して書かれた加々美光行氏の文章が極めて妥当だということになろう。

「このような論争に過度に偏することは、南京虐殺の死者の数について侃々諤々の議論をするのと同様に、事件の渦中に置かれた者の真の悲劇性をほとんど考慮しない、きわめて独善的な議論になりやすい。人の死は本来、数字や数値で測りうるものでないという当然の認識が、そこでは欠落している。
 実際にみずからの眼前で人が弾丸に倒れ、息絶えるのを目撃し、あるいはその介護にあたってその流血で我が身を赤くぬらした人にとっては、その種の惨状が引き起こされたという事実だけで胸張り裂ける怒りを禁じえない。だから、死者の数の多少によって事件の犯罪性がいささかも減じるわけではないのだ。
 事件の悲劇性を明らかにすることが目的であるならば、数字や数値はごく一部の真実しか伝えはしないということを心に銘じて、分析にあたるべきである。まして、どれほどの客観的な根拠があるかも判然としないような証拠をあげて死者の数値をことあげし、自分の分析の優秀性を誇るようなやり方は、事件を何らかの政治的意図によってフレーム・アップしようとするものであるか、あるいは事件を食い物にする研究者・ジャーナリストの低劣な意図にもとづくものでしかない。」(『現代中国の黎明』)

●南京事件
『従軍作家たちの戦争』、笠原十九司『南京事件論争史』
陸川『南京!南京!』
盧溝橋(「中国人民抗日戦争記念館」に展示がある)
テッサ・モーリス=スズキ『過去は死なない』(歴史修正主義)
高橋哲哉『記憶のエチカ』(歴史修正主義)

●NNNドキュメント
『ガマフヤー 遺骨を家族に 沖縄戦を掘る』(2015年)
『9条を抱きしめて ~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』(2015年)
『“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー』(2015年)
『100歳、叫ぶ 元従軍記者の戦争反対』(2015年)
『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』(2014年)
大島渚『忘れられた皇軍』(2014年)
『ルル、ラン どこに帰ろうか タンチョウ相次ぐ衝突死』(2013年)
『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013年)
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』、『基地の町に生きて』(2008、11年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『風の民、練塀の街』(2010年)
『証言 集団自決』(2008年)
『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』(1979、80年)
『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1971、79年)
『沖縄の十八歳』、『一幕一場・沖縄人類館』、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』 (1966、78、1983年)


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