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自縄自縛日記

松平誠『東京のヤミ市』

2020-04-22 19:48:48 | 関東

松平誠『東京のヤミ市』(講談社学術文庫、原著1995年)を読む。

ヤミ市は戦後の焼け野原に拡がった。1940年代末期にGHQの意向のもと東京都などがヤミ市撤去命令を出し、そこから狭い横丁や高架下やビルに押し込められた場所が、今に残るヤミ市跡である。従ってこのふたつは土地に対する考え方が異なる。焼け跡を再興したのだと胸を張るテキ屋と、もともとその土地を所有していた者との土地に対する考え方が異なるとする指摘は興味深い。

台湾系華僑と組との抗争があった渋谷や新橋、東口の北と南とで棲み分けた新宿、電気屋が発展した神田(のちにかれらが秋葉原に移る)、食糧が入ってくる池袋や上野など、ヤミ市の性格が街によって違っていたとする説明には納得させられる。上野のアメ横は、引揚者たちの組合が買い上げたものだという歴史は知らなかった。テキ屋が跋扈するヤミ市とはいえ、最初のうちはほとんどが素人だったからこそ、多様な形成がなされた。

1947年6月には都内の料飲店営業が全面的に禁止される。そこからヤミ市は地下に潜り、商人たちも素人からプロへと化してゆく。それも生き抜くための必要があったからである。どうしてもコロナ禍の今と重ね合わせたくなってしまう。まともな現代社会でヤミ市でもあるまいに・・・。

●参照
藤木TDC、イシワタフミアキ、山崎三郎『消えゆく横丁』
藤木TDC『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』
フリート横田『東京ヤミ市酒場』


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