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Sightsong

自縄自縛日記

高倉健のゴルゴ13

2014-12-06 09:32:45 | 中東・アフリカ

先日亡くなった健さんへの追悼のつもりで、佐藤純弥『ゴルゴ13』(1973年)を観る。

ゴルゴ13ことデューク東郷は、ある国の情報機関から、「ボア」という男の殺害依頼を受ける。「ボア」は麻薬と武器の商人であり、最近では、美女ばかりを誘拐しては人身売買を行っていた。情報機関は、「ボア」逮捕により出身国の警察に引き渡されてはならないと考えたのだった。潜入国はイラン。テヘランからエスファハンへと「ボア」を追い詰めていくゴルゴ。「ボア」は何人もの影武者を使ってわが身を護り、さらに、パリから腕利きの殺し屋を呼び寄せる。

殺しの依頼国も、悪人の出身国も明らかにしないのは、イランへの配慮だろうか。イラン側からは、正義感の強い刑事を登場させ、華をもたせている。さらにイスファハンの美しいモスクなどの場面もあって、観光映画にもなっている。

それにしても、こんな映画を共同制作するとは、パーレビ朝時代のイランは映画に対して鷹揚だったのだろうか。同時期にイランでも撮られた、ピエロ・パオロ・パゾリーニ『アラビアンナイト』(1974年)なんて、さらに信じ難い。ジャファール・パナヒに映画作りを禁じている現代のイランとはまったく違ったわけである。(もちろん、良し悪しの観点ではない。)

もっとも、ここでは、『ゴルゴ13』の漫画に付き物のお色気シーンは最小限にとどめられている。『アラビアンナイト』のエロエロぶりは寓話であり、女性から迫っていく展開の『ゴルゴ13』などインモラルに違いない。 

健さんはというと、残念ながら、ミスキャストに見える。どうしても人間味が出すぎてしまうのだ。ゴルゴはもっと非情でクール。千葉真一版のほうがハマっていると思うのだがどうか。

●高倉健
降旗康男『地獄の掟に明日はない』(1966年)
斉藤耕一『無宿』(1974年)
森谷司郎『八甲田山』(1977年)
蔵原惟繕『南極物語』(1983年)
降旗康男『居酒屋兆治』(1983年)
降旗康男『あ・うん』(1989年)
降旗康男『あなたへ』(2012年)
健さんの海外映画


岡田温司『黙示録』

2014-09-16 07:40:55 | 中東・アフリカ

岡田温司『黙示録―イメージの源泉』(岩波新書、2014年)を読む。

『ヨハネの黙示録』は、紀元1世紀後半、つまりイエスの死後100年に満たない時期に書かれた預言書であり、新約聖書の正典である。ここには、「七つの封印」をはじめとして、暗号のようなメッセージや謎めいた語り口とともに、おどろおどろしいイメージが書かれている。 

本書は、ここに展開されているコードが、現代にいたるまで、その後の西洋史に大きな影響を与えたとする。著者が引用するジャック・デリダの発言がある。『死を与える』においてキリスト教の理不尽な深淵を示したデリダらしい言葉ではあるが、実際にその通りなのだろう。

「黙示録的なものは、あらゆる言説の、あらゆる経験そのものの、あらゆる刻印もしくはあらゆる痕跡の超越論的条件ではないでしょうか?」

本書を読むと、<終末思想>そのものというよりも、<敵>(アンチキリストや大淫婦)をつくりだす発想様式が、宗教や戦争の大きな駆動力となりえた(なりえている)ということが納得できる。キリスト教はイスラム教を、カトリックはプロテスタントを、プロテスタントはローマ教会を、<敵>と見立てた。それは、さまざまに変奏される物語やイメージとセットであった。

それも、『黙示録』を出発点として無数の者たちによって描き出されたヴィジョンが、決して単純なものではなく、謎と矛盾を内包さざるを得ないものであったからである。ダンテ『神曲』(13-14世紀)も、フリッツ・ラング『メトロポリス』(1926年)も、スタンリー・キューブリック『博士の異常な愛情』(1963年)も、これらの系譜のなかにある。 

●参照
長谷川修一『旧約聖書の謎』
長谷川修一『聖書考古学 遺跡が語る史実』
ハル・ハートリー『ブック・オブ・ライフ』
ジャック・デリダ『死を与える』 他者とは、応答とは 


旨いサウジアラビア

2014-09-14 00:41:12 | 中東・アフリカ

4回目のサウジアラビア。今回も、いちどだけ、カプサという羊肉の炊き込みご飯を食べたものの(しかも、羊の頭が骨ごと入っている)、大勢の仕事相手と一緒であり、頭がいっぱいで、あまり食に気が回らない。

そんなわけで、他の中東料理といえば、シリア料理、レバノン料理、ショッピングモールのフードコート。どれがどのように違うのか、よくわからない。旨いのではあるが、やはり、ビールが欲しい。言うまでもないことだが、アルコールはご法度である。

■ 蜂蜜

箱から取ってきたばかりの蜂蜜。何を隠そうこれが好物で、つい、沢山。

■ ABOU KAMAL(シリア料理)

安いシリア料理の店。と言っても物価はそれなりに高い。

チキンやケバブをクレープ状のパンと一緒に食べるメニューがいろいろあり、なかなか旨い。しかし、人参ジュースは昔のくさい人参そのものの味だった。

刻んだ野菜を食べていると、中に、カメムシのような虫が紛れていた。これも真っ当な野菜を使っている証拠だ、と、自分に言い聞かせた。

■ スターバックス

一番小さいコーヒーが300円程度であるから、味も値段も日本と同じ。Wifiも使える。東京でもニューヨークでもジャカルタでもバンコクでも、スタバがあると妙に安心してしまう。コンビニと同様に、同じ規格だからか。

ところで、冗談のように大きいクロワッサンを売っていた。動かず高カロリーなものを食べ、立派な体格になっていく国であることは間違いない。

■ フードコート

とあるショッピングモールの一角にあるフードコート。現地料理も、マクドナルドも、アンティ・アンズも、サブウェイも、サムライとか鎧とか妙な名前が書いてある日本料理もある。

取り敢えず欲しいものを指さして弁当箱に入れてもらうものにした。想像以上に旨かった。

■ KARAM(レバノン料理)

入ろうと思ったらアザンが鳴り響いた。こうなると店が閉じてしまって入店もできない。15分くらい待って、ようやく、ノンアルコール・ビールで乾杯。肉料理はさすがに旨い。ホモスというひよこ豆のペーストが名物のようだった。

■ チーズとかペーストとか

チーズの多くは山羊や羊の乳から作られていて、これが例外なくしょっぱいのは何故だろう。

ペーストにもいろいろあって、上のホモスの他にも、パンに合う甘いタイプは悪くない。

■ 東京レストラン(日本料理)

4時間をかけてダンマンに移動し、疲れていたこともあって、日本料理。

カツ丼を頼んでみると(豚肉を使えないため牛肉)、それなりに旨くはあって嬉しくなる。しかし、ご飯がパサパサで、残ってしまった。エジプトかイタリアのコメを使っているという話だが、コメの質が日本料理に向いていないのか、炊き方がよくないのかはわからない。

海外カツ丼勝負をするなら、ミャンマーの勝ち(2箇所しか食べていないが)。


2014年9月、アラビア砂漠

2014-09-11 10:40:12 | 中東・アフリカ

昨年末以来およそ9か月ぶりのサウジアラビア。何日かリヤドに滞在し、東部のダンマンまで自動車で移動した。飛行機が満席で取れなかったのだ。

250kmくらいを、休憩を含め、3時間半くらいで走る。高速道路はしっかりと整備されているが、ドライヴインがほとんどない。走っている自動車の半分くらいはトラックだが、なかには、昔のフェアレディZもいた。

このあたりは、アラビア砂漠のなかでも北部のネフド砂漠の一部である(南部がルブアルハリ砂漠)。リヤド郊外は白かったが、やがて、有名な赤い砂漠へと変わっていった。先日訪れたゴビ砂漠では岩や草が目立っていたが、ここはずいぶん植生が異なり、灌木があってもほとんどは砂ばかり。ときどき、ラクダを連れたベドウィンの姿が見えた。


フェアレディZ



何かを燃やしている


赤い砂漠


赤い砂漠


ベドウィン


ガソリンスタンドの音楽ショップ


スタバみたい


映画の看板か


※写真はすべて、Nikon V1+30-110mmF3.8-5.6

●参照
2012年11月、リヤドうろうろ
2012年11月、リヤドの朝
リヤドの国立博物館
リヤドのビルと鍵と扉
保坂修司『サウジアラビア』


長谷川修一『旧約聖書の謎』

2014-06-08 10:13:38 | 中東・アフリカ

長谷川修一『旧約聖書の謎 隠されたメッセージ』(中公新書、2014年)を読む。

同じ著者の前作『聖書考古学』と同様に、旧約聖書において語られている物語に、歴史的検証の光を当てて読み解いてくれる本である。これがまた、門外漢のわたしにとっても面白い。

ノアの洪水物語モーセの出エジプトヨシュアによるエリコ制服ダビデとゴリアトとの戦いなどは、いまだ史実として確立されていない。この中でも最も「かたい」とみなされ、歴史の教科書にも書かれているのは出エジプトだろう。しかし、これも、時期が不明(おそらく紀元前13世紀)、イスラエル人の数が不明(聖書では大袈裟に書いている)、ルートが不明、十戒を得たシナイ山の場所が不明(現在のシナイ半島にあったのかすら明確でない)、など、など。

聖書は口頭伝承を何らかの意図をもって形にしたものであり、異本も数多い。したがって、これらの物語も、必ずしも歴史と整合せず、長い期間に起きた事象をひとつの象徴的な事件とした可能性もあるのだという。そのルーツやバイアスが、シュメールやアッシリアの時代にあるのだとしたら、なおさらこの時代のことを勉強したくなってくる。(そういえば、大英博物館でもっとも魅かれる展示品は、アッシリア時代の遺物だった。)

●参照
長谷川修一『聖書考古学 遺跡が語る史実』
ジャック・デリダ『死を与える』 他者とは、応答とは 


アレズ・ファクレジャハニ『一家族三世代の女性から見たイラン・イスラム共和国』

2014-01-23 11:49:22 | 中東・アフリカ

友人のアレズ・ファクレジャハニさん(中東研究者)が、「世界」誌(岩波書店)に、『一家族三世代の女性から見たイラン・イスラム共和国』というルポを書いている。(上:2013年12月号、中:2014年2月号)

イランのある家族、3世代の女性3人。80代の祖母はアゼルバイジャン近くの地方都市に住み、60代の母はテヘランに住み、そしてイラン国外に住む孫は5か国語を話し、イスラム教を必ずしも厳格に守ってはいない。この3人に加え、イラン・イスラム革命(1979年)のときに逮捕された祖父を含め、世代も住む場所も異なる者たちの体験や視線を通じて、現在のイランを描いたルポである。

歴史をいくつかのキーワードでまとめて構造的に提示するものとは大きく異なり、実態に基づくものであり、とても興味深い。

たとえば、以下のような視点。
○イラン・イスラム革命のとき、市民たちはパーレビ王朝の何が不満で、追放先のフランスから戻ってきたホメイニ師に何を期待したのか?
シーア派とスンニ派との実際の違いはどのようなものか? シリアのアラウィー派は、シーア派のなかでどのように位置づけられているのか?
○現在の(近いと考えられている)イランとシリアとの関係は、宗教や、イラク、イスラエルとの関係がいかに影響して出来あがったものなのか?
○アフマディネジャド前大統領が再選された2009年の大統領選にどのような不正があったのか? また、ロウハニ大統領が選ばれた2013年選挙に、米国のどのような影響があったのか?

連載の第3回(下)は、アレズさんによると、「イランと米国」をテーマとしているのだという(いつの号か未定とのこと)。当然、イスラエルや、シリアのアサド政権への今後の接し方についても、見通しを示してくれることを期待してしまう。

シリア、イスラエル、パレスチナにおいて、国家的犯罪は終息しない。この1月22日から開かれたシリア和平会議には、イランは招聘されなかった。その一方で、ロウハニ大統領は米国との関係改善を図っているとの報道がある。著者が「世界第三位の経済大国である日本の市民も、この家族同様にその国際政治に関わっている」ことはまさに的確であるが、中東地域については、しっかりとした視点と判断基準を持つことこそが難しい。

前政権により軟禁され、映画撮影を禁じられたジャファール・パナヒや、イランに戻ることができないバフマン・ゴバディへの扱いがどのように変わっていくのかも、気になるところだ。

●参照
酒井啓子『<中東>の考え方』
ソ連のアフガニスタン侵攻 30年の後
ジャファール・パナヒ『これは映画ではない』、ヴィジェイ・アイヤー+マイク・ラッド『In What Language?』
バフマン・ゴバディ『ペルシャ猫を誰も知らない』


J・M・クッツェー『The Childhood of Jesus』

2013-11-21 09:00:00 | 中東・アフリカ

J・M・クッツェーの新作『The Childhood of Jesus』(Viking、2013年)を読む。

クッツェーは南アフリカ出身のノーベル文学賞作家であり、ブッカー賞も2度受賞している。わたしは『夷狄を待ちながら』(1980年)と、ポール・オースターとの書簡集『Here and Now: Letters (2008-2011)』(2013年)を読んだことがあるだけだ。

モンゴルへの行き帰り、福岡への行き帰りと読み続けて、昨夜読了した。次の展開が気になってしまうストーリーテリングの技は、さすがである。

新しい地に、着の身着のまま辿り着いた男シモン。彼は、両親不明の幼児デイヴィッドを連れ、その母親を探しだすと心に決めていた。シモンは、難民収容施設を経て、港湾での力仕事に就き、友人や仲間も見つける。ある日、散策に出かけた里山で、テニスをしている女性イネスを目撃し、シモンは、彼女こそデイヴィッドの母親だと直感的に決めつける。隔離された環境で30歳近くまで過ごしてきた処女イネスはそれを受け容れるが、デイヴィッドを囲い込み、外の環境に接することを許さない。シモンの説得により、デイヴィッドは学校に通うようになるが、もはや自らの宇宙を持つデイヴィッドは、学校の社会から拒絶され、放逐される。当局はデイヴィッドを特別学校に強制的に入れようとし、シモン、イネス、デイヴィッドはそれを拒否する。そして、彼らは車に乗って、北へのあてのない旅に出る。見えてきたのは、再び、過去が関係のない新しい地であった。

またしても異人となることを繰り返す、終わりのない物語。読了後、肩すかしにあったような脱力感を覚えた。

この奇妙な物語世界は何だろうか。もちろん、タイトルといい、登場人物たちの名前といい、キリスト教に直接紐付けた寓話ではある。しかし、社会秩序や、性欲や、食糧や、言語や、労働の目的などを巡る哲学的な会話は、浅くて薄い。

港湾の倉庫にネズミが多すぎることについて、シモンは清潔にしてネズミを駆逐すべきだと主張する。それに対し、労働管理者は、食糧がこぼれていることによって、ネズミが生きているのだと語る。ネズミを生かすためにつらい労働をしているのか、いや世界はそのように己だけのために存在するのではない、というわけだ。面白くはあるが、たとえば、埴谷雄高『死霊』における生態系についての対話のほうが、遥かに思索的であり、狂気と笑いに満ちているものだった。

それとも、このペラペラの哲学的対話も、制度や規範に受容されない者たちの存在も、そして異人としての絶対的な出現も、固陋で自由からはほど遠い現代社会と宗教の歴史を、相対化して提示するためのものだったのだろうか。

●参照
ポール・オースター+J・M・クッツェー『Here and Now: Letters (2008-2011)』


アンドレ・カイヤット『眼には眼を』

2013-08-24 21:01:21 | 中東・アフリカ

安部公房がどこかで褒めていたと思い出し、アンドレ・カイヤット『眼には眼を』(1957年)を観る。

シリア。フランス人医師は、非番のときに駆けこんできた患者の診察を断る。翌日、診療所で聞かされた話によると、患者を乗せた車が途中で止まってしまい、その夫が残りの6kmを必死で連れてきたが、亡くなったのだという。妻を亡くした夫は、医師を憎み、つけ狙う。そして、医師を砂漠の村に誘い込み、ダマスカスまでの200kmを一緒に歩いて帰るように強いる。

死を賭しての復讐譚であり、そこには相手の言うことを信頼する気持ちなど、お互いに毛頭ない。歩いても歩いても灼熱の砂漠と岩山、喉の渇き。もう救いようのない映画だ。

シリアは、1920-46年、フランスの委任統治下にあった。英仏に石油が狙われる地でもあった(医師が、酒場で「石油の仕事?」と訊かれる場面がある)。この映画に描かれたような、底なしの不信感があったということなのだろうか。


『なぜ日本人が・・・ ~アルジェリア 人質事件の真相~』

2013-04-25 08:04:50 | 中東・アフリカ

今年(2013年)の1月に、アルジェリアの天然ガス精製プラントにおいて起きた人質拘束事件について、「NHKスペシャル」枠で、『なぜ日本人が・・・ ~アルジェリア 人質事件の真相~』(2013/2/17)というドキュメンタリーが放送されていた。(なぜ今頃観ているのかといえば、「痛い」からだ。)

イスラーム系の武装集団による攻撃であり、日揮の日本人職員(派遣社員を含む)10人をあわせて、37人が亡くなっている。武装集団も、30人くらいがアルジェリア軍によって殺害されている。

番組によれば、武装集団のリーダーはモフタール・ベルモフタールというアルジェリア人。親族がアルジェリア戦争(1954-62年)に参加し、その功績により、「ベルモフタール通り」なる道も存在する。そのため、支配国のフランス、ひいては欧米に対する憎悪を、幼少時から持っていたのだ、というわけである。

実際に、ベルモフタールは、アル・カーイダにも参加し、このような戦いを聖戦(ジハード)だと外部に発信していた。資金源は、外国人の誘拐によるものであった。50人程を誘拐し、80億円もの身代金を得ており、これはオサマ・ビン・ラディンを超える活動費であったという。そして、カダフィ政権の崩壊(2011年)以来、リビアにおいて余剰となった武器を運ぶ「密輸のネットワーク」を構築していた。

活動の参加者は、貧困な若者である。おそらくは、タリバンやアル・カーイダでも見られる共通の構造的なものだろう。番組では、武装集団のひとりの両親をチュニジアに訪ね、貧しい家を写し、「なぜ善良な息子があのようなことをしたのかわからない」とのコメントを引き出している。下品なやり方である。それだけで、「テロリスト」が「テロ活動」に至った背景を示し、ドキュメンタリーとしてのバランスを取ったつもりなのだろうか。

武装集団は、「日本人」ではなく、「外国人」を標的にしていたのだという。それでは、なぜ「外国人」、あるいは、日本も含む西側が狙われたのか。番組はそこにまったく踏み込もうとしない。アルジェリア戦争も、「9・11」に至った経緯も、アフガニスタン紛争も、イラク戦争も、何も取り上げない。勿論、「テロリスト」は「テロリスト」であり、逆側の立場から視ようとすることはない。

番組の最後では、アナウンサーが、深刻な顔を装って、重要なことは「目をそむけることなく、見続けることではないでしょうか」といった発言を行う。何が問題か、ではなく、誠実に向き合うポーズを取ることのほうが重要なわけである。まるで贖罪のような映画を乱発するアメリカ帝国だ。

思考停止、知的後退、欺瞞に満ちた日本を象徴するような番組だった。 

●参照
番組サイト 


長谷川修一『聖書考古学』

2013-04-23 07:22:00 | 中東・アフリカ

長谷川修一『聖書考古学 遺跡が語る史実』(中公新書、2013年)を読む。

著者は、『旧約聖書』を二次史料、遺跡の発掘調査結果を一次史料とする。それにより、無批判に信仰する対象としての聖書から、史実のみならず、多くの人の信仰を集めるに至った歴史的な経緯までを視ることになる。また、日本の記紀神話がそうであったように、聖書も、それが書かれたときの権力の正統性主張に用いられてもいる。

これが面白いうえに、あらためて歴史の勉強にもなる。

アブラハムは実在したのか、そして、いつの人だったのか?たとえば、聖書に基づいて、ダビデ、ソロモンらのイスラエル王国時代(紀元前10世紀ころ)から遡っていくと、紀元前22世紀ころという計算になる。しかし、アブラハムら族長の年齢は一様に長いことになっている。アブラハムは175歳、イサクは180歳、ヤコブは147歳まで生きた。これはとても事実とは考えられない。それだけではなく、シュメールのウル第三王朝の遺跡、当時ラクダがいたかどうか、といった検証から、この大きすぎる命題に迫っていく。結論はまだない。

アブラハムらの族長だけではない。ヨセフ以降拠点としたエジプトで、モーセが生まれ、やがてユダヤ人を率いてエジプトからパレスチナへと導くわけだが(出エジプト)、これさえも、まだ史実とは断言できないという。ただ、もしモーセが実在したとすれば、紀元前13世紀、エジプトのラメセス2世の時代だとしている。セシル・B・デミルの映画『十戒』(1956年)でも、そのように描かれていた。

モーセがユダヤ人をパレスチナの外部から導いたのではないとすれば、どうなるのか。彼らは山地に定着したが、パレスチナ内部で平野部から移り住み、独自のアイデンティティと歴史とを持つにいたった可能性もあるのだという。

そういえば、ジグムント・フロイト『モーセと一神教』では、精神分析的に、モーセをエジプト人だとみなしていた。これだってトンデモ本かもしれないが、そのような揺れ動きを許す歴史的な位置づけだということだ。

史実がどうあれ、つまるところ、精神的遺産としての歴史の共有という点が重要だということになるのだろう。著者の言うように、批判と否定とは異なるのである。

●参照
ジャック・デリダ『死を与える』


ジャファール・パナヒ『これは映画ではない』、ヴィジェイ・アイヤー『In What Language?』

2013-03-31 20:35:15 | 中東・アフリカ

ジャファール・パナヒ『これは映画ではない』(2011年)のDVDを入手した。

パナヒは、2010年、イランの現在のアフマディネジャド政権に拘束され、20年間映画を作ってはならないとの命令をくだされた。

インタビューを受けてはならない、映画をつくってはならない、脚本を書いてはならない。ならば、以前に書いた脚本を読み、演じるのならよいだろう?―――というわけで、軟禁されている自宅内で、映画のコンセプトを説明し、朝食を食べ、ペットのイグアナ(!)と遊び、携帯で食べ物の調達や自らの減刑に向けた働きかけなどの連絡を行ったり。

ときおり無力感や焦燥感をのぞかせるものの、パナヒは笑みさえも浮かべ、泰然としている。その挙句に、この「映画ではない」、ひきこもりの映画である。それはひたすらにユーモラスである。

パナヒ、恐るべし。わたしもくだらぬことで鬱々としている場合ではないね(関係ないが)。

映画のなかで、パナヒは、作ろうとしてイラン当局の許可が下りなかった映画のコンセプトについて語る。最初は、イラン・イラク戦争の最終日、故郷に帰る人びとを描く映画。次に、街の大学に行きたいのを阻止するために、若い女性が狭い部屋に拘束されるという映画。

パナヒは映画のことしか語らないが、2009年のイラン大統領選において、対抗馬のムサビ候補を応援した咎もあった(選挙自体は不正だったと評価されている)。その上にイランの現実を国内・国外に示す映画を作ろうとするパナヒは、アフマディネジャドにとって気に入らない存在であったのだろう。同様に、イランの映画作家バフマン・ゴバディも、イランに帰国できないでいる。

ところで、ヴィジェイ・アイヤー+マイク・ラッド『In What Language?』(PI Recordings、2003年)という、パナヒをめぐる事件を契機に吹き込まれたアルバムがある。

Vijay Iyer (p, key, electronics, all compositions)
Mike Ladd (voice, electronics, all lyrics)
Latasha N. Mevada Diggs (voice, electronics)
Allison Easter (voice)
Ajay Naidu (voice)
Ambrose Akinmusire (tp)
Rudresh Mahanthappa (as)
Dana Leong (cello, tb, flh)
Liberty Ellman (g)
Stephan Crump (b)
Trevor Holder (ds)

一言でいえば、ジャズ、ヒップホップ、ポエトリー・リーディングの融合セッションである。

「In What Language?」とは何か。ジャファール・パナヒは、2001年の春、香港の映画祭への出席後、ニューヨークのJFK国際空港でブエノスアイレス行きの便に乗り換えようとしていたところ、特段の理由なく拘束され、手錠をかけられ、香港に送り返された。パナヒは、乗客たちに、こう説明したかったのだという。「わたしは泥棒ではない!わたしは人殺しではない!・・・わたしはただのイラン人、映画作家だ。しかし、これを言うには、何語で?」

アフマディネジャド大統領が反米色を強硬に打ち出していることもあり、米国も、パナヒへの抑圧を政治利用している。あれず・ふぁくれじゃはにさんのブログによると、オバマ大統領は、2011年に、パナヒの名前も挙げてメッセージを世界に発信していた。しかし、ブッシュ政権とはいえ、「9・11」前の米国にしてこの有様だった。

もはや世界は点と点でもピラミッドでもありえない。このアルバムは、空港という多世界の結節点において、さまざまな声を噴き出させている。コルカタ。トリニダード。コートジボアール(象牙海岸)。ムンバイ。イエメン。世界銀行。シエラレオネ。歌詞カードを読んでも頭では理解できず、体感するほかない言葉の洪水が詰め込まれている。

ヴィジェイ・アイヤーの硬質なピアノは全体を効果的に引き締めており、リバティ・エルマンのギターは相変わらずスタイリッシュである。そして、ルドレシュ・マハンサッパのアルトサックスによるソロに耳を奪われる。マハンサッパはまだ40歳そこそこのプレイヤーで、イタリア生まれ、米国育ち。スティーヴ・コールマンを思わせることも多々ある。


アッバス・キアロスタミ『シーリーン』

2013-02-01 01:37:05 | 中東・アフリカ

アッバス・キアロスタミ『シーリーン』(2008年)を観る。

怪作といっても過言でないだろう。

約90分の間、カメラは、映画館でスクリーンを見つめる女性の顔をのみ、捉え続ける。ほとんどはイラン女性なのだろうか、ただ、ジュリエット・ビノシュも居る。

上映されているらしき映画は、12-13世紀のペルシア詩人・ニザーミーの手による作品『ホスローとシーリーン』である。ササン朝ペルシアの王ホスロー二世と、アルメニアの女王シーリーンとの悲恋物語であり、その展開につれ、女性たちは含み笑いをしたり、涙ぐんだり、没入したりとさまざまな表情を見せる。顔とは実に不思議なもので、すべての関係性がそこに凝縮され、共有されている。90分間、まったく厭きることはない。

映画というものが、画面だけでなく、また映画館や暗闇だけでなく、個々の網膜と脳に届き処理されてはじめて成立するのだとすれば、顔は、それらの間に介在する奇妙なインターフェースに違いない(この言葉が、文字通り、そのようにつくられている)。映画を観る顔もまた、映画であるということだ。

DVDには、映画のメイキングフィルムも収録されている。驚くべきことに、観客の女性たちは、実は、映画など観てはいなかった。『ホスローとシーリーン』の物語さえまったく意識していなかった。ライトとカメラが向けられ、自分の存在や記憶をのみ見つめていた、のであった。

映画などそのようなものかもしれない。キアロスタミは蛮勇を持つ哲学者か。

●参照 イラン映画
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
モフセン・マフマルバフ『カンダハール』
サミラ・マフマルバフ『ブラックボード』
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
バフマン・ゴバディ(3) 『半月』
バフマン・ゴバディ(4) 『亀も空を飛ぶ』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
カマル・タブリーズィー『テヘラン悪ガキ日記』『風の絨毯』
マジッド・マジディ『運動靴と赤い金魚』


リヤドの国立博物館

2012-11-26 23:31:37 | 中東・アフリカ

そんなわけで、ようやく辿りついたリヤドの国立博物館

古代から現代までのサウジアラビアの歴史やイスラム美術が、広大な面積に展示されている。説明板はすべてアラビア語と英語。

イスラム美術だけならカタール・ドーハのイスラム芸術博物館の方が多いのだろうが、こちらはまた別の楽しさがある。


リヤド郊外で発掘された珪化木(石になった木)


アラビア半島に1200-1700年前に棲息したマストドン


紀元前4千年紀の「Standing Stone」


オスマン時代の手紙(!)


3-4世紀のガラスの壺


手書きのクルアーン


手書きのクルアーン


聖なる呪文


11-12世紀の戦士のヘルメット


オスマン兵士の鎧


馬具


刀(いまはイエメンでよくみる)


メッカのジオラマ(精巧!) カーバ神殿が見える


カーバ神殿の扉にかけられていたカーテン


香水の壺(メディナ、13世紀)

サウジアラビアは、20世紀になって油田が発見されるまで、貧しい国であった。博物館には、石油開発の歴史も紹介されている。


開発時に用いた自動車


油井


原油のサンプル

●参照
ドーハの村上隆展とイスラム芸術博物館
2012年11月、リヤドうろうろ
2012年11月、リヤドの朝
リヤドのビルと鍵と扉
保坂修司『サウジアラビア』


2012年11月、リヤドうろうろ

2012-11-26 01:10:54 | 中東・アフリカ

サウジアラビア、リヤド。

少し時間ができて、世界遺産のディライーヤに行こうかとホテルマンに相談すると、どうやら、補修工事中で中に入れないらしい。そんなわけで、国立博物館に行くことに決めた。

ホテルカーが出払っていて、ローカル・タクシーに乗った。パキスタン人だというドライバーは、こちらが日本人だと知ると、そうか、日本は良いクルマを作っているよな、と言って、運転中のクルマのハンドルをぽんぽんと叩いた。そこには、ヒュンダイのマークがあった。

街の中で、Uターンできないから、ここで降りて歩道橋を渡り、あとは皆にミュージアムはどこだと訊けば良い、と、降ろされた。ところが、誰に訊いても、知らないか、熱心にそれぞれ違う場所を教えてくれる。

廃墟があったので写真を撮っていると、男2人がげらげら笑いながら近寄ってきた。握手をして、ところでミュージアムを知っているかと尋ねたところ、その廃墟じゃないことは確かだと言う始末。

結局、1時間くらい彷徨うことになった。実は、このような時間が嫌いではない。


どっちに歩けばいいのか?


路地から路地へ


アパート


アパート


給水タンク


廃墟


廃墟

すべてコンパクトデジカメで撮影

●参照
2012年11月、リヤドの朝
リヤドのビルと鍵と扉
保坂修司『サウジアラビア』


2012年11月、リヤドの朝

2012-11-25 09:21:17 | 中東・アフリカ

先々週、2回目のリヤド。

6時間の時差のせいで眠りが浅く、アザンの声ですぐに眼が醒める。モスクはホテルから目と鼻の先だった。

夏は50℃以上になるが、秋は過ごしやすい気候。


初日の朝


2日目の朝


3日目の朝

すべてコンパクトデジカメで。(あまり写真を撮ってはいけない国なので、銀塩カメラなど持ってくる気にならないのである。)

●参照
リヤドのビルと鍵と扉
保坂修司『サウジアラビア』