5月8日 くもり 28℃
5月7日は、ディエンビエンフーの戦いでベトナムがフランスに勝利し、フランスからの独立を勝ち取った日だそうだ。
ディエンビエンフーは、ハノイから飛行機で約1時間のラオスとの国境近くにある小さな街
ここが、ベトナム独立戦争の分岐点ともなった、フランス植民地郡とベトミン軍(ベトナム独立同盟軍)との最後の激戦地であり
100年以上ベトナムを支配してきたフランスはこの戦いで敗北、これによって西欧の植民地政策が終了した、ということで有名となっている。
そして今年はその日から、60年という記念の年で、セレモニーが大々的に行われ、ずっとテレビ中継をしていたというが、それはみていない。
ベトナムは社会主義国なので、国民の意識を統一する必要から、プロパガンダによる宣伝行為が常套的におこなわれている
この日のため
道路 ホアンキエム湖
フランスの植民地だったベトナムは、第1時大戦でフランスの国力が落ちた1943年から日本とフランスの二重統治を受けていたが1945年の日本の敗戦で日本軍が撤退すると、
1945年9月2日にホーチミンがベトナム民主共和国独立を宣言したものの、その年再びフランスが植民地政策をとりはじめた。
独立を勝ち取るためベトナムは、陸軍学校を建て、残留日本兵から、基本動作、兵器の取り扱い方などの軍事技術、戦い方を教育、訓練してもらい、
残留日本人軍属から、病院等の管理運営などを指導してもらうなどをやった。
苦しみながらも勝利を得たベトナムではあったが、フランス軍にくらべて亡くなったかたは倍くらいもいるし、負傷者も圧倒的に多い
1954年7月、ジュネーブ協定を締結し、フランス軍の極東遠征軍は撤退した
その後ベトナムは南北に分かれ、ベトナム戦争を経験して、統一後も中越戦争とか戦争をくりかえしながら、いまの平和にいたっている。
昨年、一連の戦いに貢献したザップ将軍が102歳で亡くなり、ホーチミン廟に眠るホーチミンとともに建国の英雄がなくなってしまった。
国民の良心といわれている方がいなくなったこの国は、これからどんな風に成長してゆくのか、楽しみでもある。
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