第一部「口語短歌・水曜サロンの会」(その179)短歌の投稿を歓迎します!!
☆☆☆ 楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。
☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。
☆☆☆ 「水曜サロン」は以下の通り第一部、第二部構成に区分して運営致
していますので、それぞれに詠歌、返歌を出詠願います。
第一部「口語短歌・水曜サロンの会」:従来通り三首まで出詠願います。
第二部「ネット短歌」 :返歌専用です。
☆☆☆「水曜サロン」の「はてなブログ」移動について(再掲載)
(1)「水曜サロン」はgoo blog推薦の一つ「はてなブログ」へ移動し、
従来通り継続します。したがって、投稿はコメント欄へ従来通り
行って頂き、作品解説等の掲載も「はてなブログ」で行います。
なお、このblogの広告少な目のスッキリ感を是としました。
(2)今、goo blogは混雑しているためデータのダウンロードが中々
できませんので、「はてなブログ」での「水曜サロン」開始は
6月初頃をめどに実施しそれまでは、goo blogで行います。
(3)開始時期は、皆さんの移行状況を確認し、改めてご連絡致します。
☆☆☆ 「はてなブログ始め方公式解説」(保存してください)(再掲載)
https://blog.hatenablog.com/entry/2020/08/21/180000
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の
詠まれた短歌を、毎週水曜日に掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
「咲き初める薔薇 マチルダ」
「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」
【短歌説明】浅間山明鏡止水さんご自身の説明です。
「光る君へ」は昨年12月15日を持って終了致しました。昨年1年間
源氏物語贈答歌の返歌をやって来ましたが、まだ「明石の帖」まで
しか到達していません。旬を過ぎて行くテーマに、続けるかどうか
悩みましたが最後の帖まで続けようと思いました。
「31.常夏(とこなつ)」
暑い夏の日、源氏が夕霧と釣殿で涼をとっていると、内大臣家の
若者たちが現れた。源氏は彼らから、内大臣が最近探し当てた
外腹の子(近江の君)の出来が悪く困っていると聞くと、夕霧と
雲居雁の件で気を悪くしていた源氏は内大臣を責める。黄昏時に
なって源氏は、玉鬘と琴を唱和しながら夕顔のことを語る。
玉鬘に恋心を抱く源氏だが、現実を考え、髭黒の大将か蛍の宮に
玉鬘を託すことを考える。内大臣は、夕霧と雲居雁の結婚を
許そうと考えるが、源氏が折れない限りはと思い直す。
近江の君にほとほと手を焼く内大臣は、弘徽殿の女御に行儀
見習いを頼んだ。
〇撫子の とこなつかしき色を見ば もとの垣根を人や尋ねむ 光源氏
註)撫子の花のようにいつ見ても美しいあなたを見たら、
母親のことを内大臣はたずねられることだろう。
〇山賊の 垣ほに生ひし 撫子の もとの根ざしを誰か尋ねむ 玉鬘
註)山の貧しい垣根に生えた撫子のような私の、母親など誰が
たずねるでしょうか
(返歌)
☆姫君の ことだけいつも こころうち 胸が苦しく 募る想いも
☆儚げに 話をされる 玉鬘 親しみ深く 愛らしさます
浅間山明鏡止水さん
【解説】
「常夏」は、光源氏と玉鬘が共に「撫子」を詠んだ歌に由来しています。
作者の短歌説明にもありますように、光源氏は、玉鬘に琴を教えることで
会う機会を増やし、彼女への恋心を募らせますが、やがて、養父として
現実的な対応をするようになります。玉鬘も光源氏の人となりを理解し
始め、少しずつ心を許していく様子がこの帖では描かれています。
このような背景を踏まえ、光源氏、玉鬘のそれぞれの歌への返歌として
詠まれた作者の歌を鑑賞させて頂きました。
一首目の歌は、光源氏の玉鬘への想いを「募る想いも」と、より具体的に
詠って、切迫感が感じられます。さらに、琴を奏でる玉鬘への光源氏の
切ない想いを深掘りして詠ってみましたが…いかがでしょうか。
【ご参考】
★かの君の面影宿す子のゆえか 琴ひくうなじ 見るも切なく
二首目の歌は、玉鬘を「わが娘」として愛おしむ想いが滲んでいて好感の
もてる歌となっています。
【詞書】桜を詠ませて頂きました。
☆早咲きも遅咲きも皆 散りぬれど 新緑も猶 見事な桜
【詞書】鶯を詠ませて頂きました。
☆鶯の求愛の声 既に止み 恋愛成就 無事遂げたかな
西BOOさん
【解説】
一首目の歌は、桜の生命の営みを通して人生の儚さと希望を描く、
美しく味わい深い詠歌と感じます。
上の句では、桜の花が咲く時期に違いがあっても、最終的には
皆散っていく運命であることを語っています。これは人の生にも
通じるもので、早く成功する者もいれば、じっくりと花開く者も
いる。しかし、どんな人生であれ、終わりは必ず訪れる。そんな
普遍的な真理を感じさせてくれます。
下の句は、桜が散った後も、瑞々しい新緑が美しく輝いている
様子を描き、散ることは終わりではなく、新たな生命の息吹へと
つながる。そんな力強い生命の循環を感じさせてくれます。
この表現には、一人の人生の終わりを迎えても、その後には希望や
新たな世代の輝きが続いていくという、前向きな視点が込められて
いるようにも感じます。
なお、この歌は、桜の美しさと儚さだけでなく、その先にある
生命の営みを見つめることで、深い哲学的な視点を持たせている
のが印象的です。
二首目の歌、ひところ聴こえていた鶯の鳴き声が聞こえなくなり
ましたが、そんな鴬に寄せた作者の優しさが滲む一首となっていて
好感を誘います。
【詞書】春の季語「花の名残」「白蝶」「新緑」で、亡き母を想ふ三首を、
詠みました。
☆亡き母へ花の名残の一灯を 夕日隠れの阿弥陀堂にて
☆白蝶の すいと飛び来て肩先に 揺らめき 妣(はは)の御魂(みたま)とぞ見ゆ
☆新緑の小風光りて ふと妣の声想ひ出す朝の濡れ縁
みっちっちさん
【解説】
亡きお母様への思慕の想いを、春の季語に託して三首詠んで頂きました。
二首目の歌は、白い蝶がふと現れ、肩に舞い降りるという一瞬の出来事を、
亡きお母様の魂の現れとして捉える、作者の温かい追慕の情がひしひしと
伝わってきます。静かで美しい情景描写と、深い想いが結びついた余韻の
残る歌だと感じました。
上の句の、白い蝶が軽やかに、音もなく現れる様子が目に浮かびます。
「すいと」という副詞が、蝶の優雅で素早い動きを的確に表しており、
私達の注意を一瞬で引きつけます。白い蝶のもつ清涼感が特別な存在感を
醸し出しています。なお、「揺らめき」という言葉には、蝶の繊細な動き
だけでなく、どこか儚げで神秘的な印象も感じられます。また、下の句の
「妣の御魂」という言葉選びには、亡き母への敬慕の念が込められており、
「とぞ見ゆ」という結句は、単なる連想ではなく、確信に近い感情を表して
いるように感じられます。一瞬の現象に、永遠の存在を感じ取ろうとする、
作者の切ない想いが伝わってきます。
三首目の「風光りて」の繊細な表現もいいですね。
【詞書】最近お隣の某大学の名誉教授が亡くなられました。
そのときの思ったことを詠みました。
☆孤独死はいかに厳しきものと知る ひとり旅立つ心情思(も)えば
☆自尊心強き老翁 あるときは 歌集など貸してくれし日のあり
☆頑なに独居を決めし老翁の 幸・不幸など誰にもわからぬ
夕庵さん
【解説】
今回は、孤独死という重いテーマに真正面から向き合い、亡くなった
名誉教授の心情に思い馳せて、三首の歌を詠って頂きました。
一首目の歌、上の句では孤独死の過酷さを痛感する瞬間を端的に表現
しています。「厳しきもの」という言葉が、容赦ない現実の冷たさを
伝え、孤独死の厳しさを強く印象付けています。下の句では亡くなった
方の心境に思いを寄せ、死を孤独な旅と捉え、そこに漂う寂しさや
哀愁を感じさせます。「思えば」という語には、作者の深い哀惜と
敬意が込められており、故人への深い想いが静かに響いてきます。
二首目の歌は、故人の人格や過去の交流を振り返りながら、その
存在の余韻を静かに伝えています。
上の句では、故人の性格を端的に表しており、強い意志と矜持を持って
生きていた人物像が浮かびます。「あるときは」と続くことで、過去の
ひとときを回想する流れが生まれ、故人との交流が具体的に描かれて
います。「歌集など貸してくれし日のあり」は、単なる物の貸し借りで
はなく、知的な交流があったことを示し、歌集を貸してくれるほどの
関係性は、文学への理解を深め合う間柄だったことを暗示しています。
そこには親しみや敬意、そして仄かな想いも感じられます。
三首目の歌は、孤独を選んだ故人の生き方を静かに見つめつつ、その
真の幸福とは何かを問いかける、深い余韻を持つ作品です。上の句では、
故人が固い意志を持って一人で生きることを選んだ姿を描いています。
「頑なに」という表現が、揺るぎない信念や覚悟を感じさせ、故人の
生き方への敬意が込められているように思えます。下の句の、
「幸・不幸など誰にもわからぬ」では、孤独を選んだことが果たして
幸せだったのか、それともそうではなかったのか答えは誰にも解り
得ないという深い洞察を示しています。故人自身にとって、独居は
誇りある決断だったのかも知れませんし、時には寂しさを感じる
こともあったのかもしれません。それらを諾い呑み込む大きさを
もつ方であったことが、歌の行間に感じられます。
「シャガの花」
【詞書】ダイジョウブ 「アン・シャーリー」第5話を
☆ダイジョウブ
ダイジョウブ
好きな人の言葉なら
信じて進む
今日も
【詞書】素敵な世界 「アン・シャーリー」第4話を
☆こんな素敵な世界に生まれ
寝てるなんてもったいない
ぱっと起きて
【詞書】YouTube短歌:春眠暁を覚えず モーツアルト
グラン・パルティータ 第三楽章 アダージョを
☆朝日が部屋に入ってくる
もう少し目を閉じていよう
春の音が
【短歌説明】自閑さんご自身の説明です。
一首目は、アン・シャーリーの第5話「ものごとの明るい
ほうを考えましょう」を観て、クリスマスのコンサートが
開かれ、アンは暗誦し大喝采を浴びる。その時、養父の
マシュウがアンの朗読中「ダイジョウブ」と唱えて
いました。それを知ったアンは、観客に、あがって
しまった親友のダイアナに自分だけを見るように伝え、
「ダイジョウブ」と唱えていました。
二首目は、同じくアン・シャーリーの第4話「こんな
おもしろい世界で、いつまでも悲しんじゃいられないわ」
です。ダイアナとお茶会を開くが、勘違いでワインを
飲ませてしまい、ダイアナのお母さんから付き合いを
断られてしまう。アン・シャーリーを、毎回テーマにする
つもりはありませんが、短歌が出来たら投稿します。
三首目は、モーツァルトのセレナーデ(夜想曲)第10番
グラン・パルティータ第3楽章を゙、何処かで聴いた気が
したので調べてみると、映画「アマデウス」の中で、
サリエルが、モーツァルトの曲に初めて接した時、その
音楽の素晴らしさに驚いたと神父に話すシーンに使われて
いました。「グラン・パルティータ(Gran Partita)」
とは、大組曲といった意味だそうだが、モーツアルトが
命名した訳でも無く、後世の命名で、広く使われている
とのことです。私は、この曲を聴いて、「朝、そろそろ
起きようか?どうしようか?」と孟浩然の有名な「春暁」
春眠不覺曉、處處聞啼鳥
夜来風雨聲、花落知多少
を思い画きました。
私は、このウダウダした感覚が好き。この後、遅刻しない
ように、走るのですが。夜想曲に朝の情景を思い画くのも
変ですが。春暁の本文取りと言うより、モーツァルトの
本楽取りだと思っています。
「春の音」とするか「鳥の声」にするか迷いましたが、
俳句なら具体的に鳥の声、短歌なら合間な春の音がと
思いました。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/142aa192a7c48babd68001af1bc1b3ce
自閑さん
【解説】
一首目の歌は、口語自由律の形をとりながら、シンプルな言葉で
力強い想いを表現しています。
「ダイジョウブ ダイジョウブ」と繰り返されることで、安心感や
自己肯定感を強く伝える歌になっています。励ましの言葉を何度も
唱えることで、自分自身を奮い立たせ、大切な親友を支える「呪文」
にもなっていることを表現しています。「好きな人の言葉なら」と
いう句は、信頼と愛情の深さを感じさせますし、言葉の力は誰が
発したかによって変わるものですが、ここでは「好きな人の言葉」
であることで、前向きな決意がより強くなる様子が表現されています。
さらに、「今日も」が日常の継続性を示しながら、未来への決意を
感じさせる結びとなっています。「アン・シャーリー」第5話を観て
生まれた歌とのことですが、アンの持つ前向きな精神や希望を信じる
姿勢が、この歌に息づいているように感じます。
三首目の歌は、繊細で柔らかな空気感を持っています。特に「春暁」
という古典的な感覚を踏まえながら、現代的な口語表現で春の情景を
鮮やかに表現しています。
「朝日が部屋に入ってくる」 という初句が、ゆっくりとした時間の
流れと穏やかな朝の光を印象深く表現しています。この光の描写には
モーツァルトの「グラン・パルティータ」第三楽章アダージョの、
優雅で夢のような旋律が呼応しているようです。「もう少し目を
閉じていよう」 という句が、この歌の核心と感じますが、春の朝の
心地よさを堪能しながら、目覚めることを惜しむ気持ちが伝わって
きます。これは、春眠の浮遊感と、音楽の持つ心を包み込むような
優しさが見事に融合していると感じます。
なお、「春の音が」 という結句が、詩的な余韻をもたらしていると
感じます。「音」という抽象的な表現を用いることで、風にそよぐ
木々、鳥のさえずり、遠くに聞こえる人々の気配といった、春の
息吹をより強く感じさせてくれます。
【詞書】子どもの日に山の奥に『鯉のぼり』が、この時期突然?
現れます。今年も行って来ました。
☆青空に 大きく育て
愛しの子
強い風にも 舞う鯉のぼり
☆山あいに 群なし泳ぐ
鯉のぼり
子らの幸せ 祈りし仰ぐ
【詞書】町中(まちなか)に注ぐ『雄川』の上流でクロを
遊ばせます〜🎵今年もおっかなびっくりでちょっと
ビビリやな我が子です(笑)
☆水温む 山の恵みの
川あそび
そ〜っとつける クロは片足
クロママさん
【解説】
『雄川』に掛けられた、二連の綱に繋がれた鯉のぼり。その鯉のぼりに
寄せた二首の歌と、愛犬クロちゃんを詠んだ一首の歌、計三首の歌を
詠んで頂きました。
二首目の歌は、視覚的な美しさと深い情感が見事に融合しています。
上の句は群馬県甘楽町秋畑の「雄川」にかかる鯉のぼりの壮観な光景を
鮮やかに描いています。通常、鯉のぼりは風にたなびきながら群れを
なして泳ぐように見えますが、「群なし泳ぐ」という表現が、個々の
鯉のぼりが自由に青空を舞う様子を際立たせています。
下の句は、作者の「子らの幸せ」への願いと、祈りが込められた、
温かみのある表現で「祈りし仰ぐ」という言葉の選び方が秀逸です。
鯉のぼりを見上げる視線の先に、子供たちの未来への願いが込められて
いることが伝わってきます。クロちゃんが、わが子とおっしゃる作者の
背景を伺うとこの「祈り」に、より一層深い感動を覚えます。
三首目の歌、「雄川」は農耕の神の山として古くから信仰されてきた
稲含山を水源としているとのことです。これを「山の恵みの」と詠い
川と山との関りを丁寧に表現し、愛犬クロちゃんへの優しい眼差しに
溢れた歌は共感を誘います。下の句に少し手を入れて、詞書無しでも
クロちゃんの様子が分かるようにしてみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★水温む 山の恵みの川あそび
ビビりのクロは 片足のばす
【詞書】10年前の2月1日に逝った私の猫と、8年前の4月に逝った姉夫婦の
ところの柴犬を、宇治市の隣、城陽市のペット霊園に納骨しに行き
ました。私は10年、姉夫婦のところは8年、部屋に置いていたのを
お別れしました。…死んだ時、荼毘に付した時、そして納骨した日…。
3回のお別れをしました。凄く寂しい…。お骨でもそこに居た…のに
もう居ないんやなあ…。と、数日経った今でも思います。😿
☆私の猫 姉とこの犬納骨す
10年・8年お別れ三度目
【詞書】5月4日(日)第171回天皇賞・春が、100周年を迎えた京都競馬場で
行われました。関西テレビの中継番組「競馬BEAT」で菅井さんらMCの
面々が沈痛な面持ちので「訃報」を伝え始めました。
…4月27日に香港で行われたG1レース、「クイーンエリザベス2世
カップ」で、2023年の三冠牝馬で最近は海外のレースに出走していた
リバティアイランドが、レース中に左前脚の靭帯を損傷し、予後
不良により安楽死となったということでした。
☆天国のターフでリバティアイランド
三冠女王よ自由に駆けよ
【詞書】いや~、マジで珍しく美味しく出来たもんで…。
自画自賛が過ぎてつい詠んでしまいました。“炊いたん”
は近畿エリアではざっくり“煮物”と同義語です。…
いつもこれくらい上手くいったらええのになあ……。
さて、母の感想は如何に?
☆今日はなあ めっちゃ美味しく出来てんで
“大根と鶏(とり)の炊いたん”食べてな
ちがやねこさん
【解説】
今回は、「ペット霊園への納骨」「リバティアイランド」「手料理」
をテーマに三首の歌を詠んで頂きました。
二首目の歌は、リバティアイランド(以下、彼女)の悲劇的な最期を
悼みつつ、その魂が天国のターフで自由に駆けることを願う、深い
哀惜と敬意が込められた作品です。上の句は、彼女がもう現世の競馬場
にはいないことを示しながらも、天国という新たな舞台で走る姿を想像
させます。競走馬としての生涯を怪我で断ち切られた彼女の無念を思い
つつも、苦しみから解放され、再び駆けることができる場所を描いて
いる点が印象的で、作者の優しさが滲んでいます。下の句での「三冠
女王」という表現は、彼女の偉業を称え、競馬界に刻まれた功績を
強調しています。そして「自由に駆けよ」という結句は、彼女の
名前「リバティ(自由)」とも響き合い、まるで彼女の魂が束縛から
解き放たれ、思う存分走ることを願うような余韻を残しています。
この歌は、リバティアイランドの栄光と悲劇を一つの作品に凝縮し、
競馬ファンの心に深く響くものとなっています。
三首目は、作者のもう一つの側面がほのぼのと描かれ、お母様に
寄せる作者の想いが温かく伝わって来ます。出汁と共に愛情と言う
隠し味が美味しさの源になっているかも知れませんね。
☆越えきたる苦難の歴史刻みたる 憲法今も試練の中に
ポエット・M
【解説】
戦後80年を迎える今年、78年目の憲法記念日。ウクライナ、ガザは
いうまでもなく、スーダン、ミャンマーの状況は人々の最低限の権利
である生存権すら奪われている状況があります。私達の日本でも
「新しい戦前」への懸念と、切実感が広がっています。そんな中でこそ、
遠い民権運動の水脈を繋ぐ日本国憲法の理念と、その指し示す方向性の
正しさを改めて注視しつつ、護り、かつ外交の基軸として積極的に展開
することが必要と感じます。そんな想いを込めて「憲法記念日」に
寄せて詠んでみました。
「一握の砂」石川啄木 鑑賞(14)
今回は、文字数制限により割愛致します。
【短歌入門・質問・紹介・提案コーナー】
今回は該当事項がありません。
【運営にあたって】
(1)投稿期間は、原則として毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
なお、変更がある場合は、その都度ご連絡致します。
以下は文字数制限により割愛致します。
了
早速、二首出詠させて頂きたいと思います。
娘のことを詠ませて頂きました。
我が娘 一か月間豪州へ 「英語を学ぶ」と心配させる
防災用ラジオを買ったことを詠ませて頂きました。
防災用ソーラーパネルのラジオ買う AMラジオに昭和感じゆ
よろしくお願い致します。
「さくら花」「葉桜」「初夏の風」で三首出詠いたします。
⭐️さくら花 風にひとひら 廃校の作者不詳の校歌の碑へと
⭐️葉桜の光を浴びてウエディング 華やぎし日は過ぎやすしとふ
⭐️髪切りてうなじにそよと初夏の風 マリンブルーのピアスきらりと
よろしくお願いいたします
いつも早々に「水曜サロン」へ出詠して頂き、ありがとうございます。
本作品の解説、歌評は5月14日(水)付け「水曜サロン その180」へ
掲載させて頂きます。
これからもよろしくお願いします。
いつも早々に「水曜サロン」へ出詠して頂き、ありがとうございます。
本作品の解説、歌評は5月14日(水)付け「水曜サロン その180」へ
掲載させて頂きます。
これからもよろしくお願いします。
いつも早々に「水曜サロン」へ出詠して頂き、ありがとうございます。
本作品の解説、歌評は5月14日(水)付け「水曜サロン その180」へ
掲載させて頂きます。
これからもよろしくお願いします。
詞書
奈良明日香の石舞台で新緑を楽しんできました。
広大な草原のなかに居ると古代人になって、美しい裳裾をひるがえし思い人に歌を詠んでみたいと、楽しい想像をしておりました。
☆若草の萌え立つ明日香に石舞台 謎秘めしまま でんとして在り
☆巨大なる石室に入れば冷え冷えと 古代の霊気身にまといつく
☆君まつと額田王詠いしを 風運びくる明日香の野辺に
(君待つと我が恋ひ居れば我がやどの簾動かし秋の風吹く) 額田王
よろしくお願いいたします。
いつも早々に「水曜サロン」へ出詠して頂き、ありがとうございます。
本作品の解説、歌評は5月14日(水)付け「水曜サロン その180」へ
掲載させて頂きます。
これからもよろしくお願いします。
☆我が娘 一か月間豪州へ 「英語を学ぶ」と心配させる 西BOOさん
★いつの日か日本脱出試みむ 少年けさも海を見つめて 夕庵
☆防災用 ソーラーパネルのラジオ買う AMラジオに昭和感じゆ 西BOOさん
★毎夜聞く「ラジオ深夜便」は子守歌 アナウンサーの心地よき低音 夕庵
よろしくお願いいたします。
☆さくら花 風にひとひら 廃校の作者不詳の校歌の碑へと みっちっちさん
★師の歌碑は満開の牡丹に囲まれて 奈良薬師寺の境内に在り 夕庵
☆髪切りて うなじにそよと初夏の風 マリンブルーのピアスきらりと みっちっちさん
★カットしたショートヘアーの黒髪に 金のピアスはきっとお似合い 夕庵
よろしくお願いいたします。