-戦時下、空白の短歌史を掘り起こす- 「綜合詩歌」誌鑑賞(2)
「夾竹桃への思い」
熱波を伴う炎暑の下、夾竹桃が濃い紅の花を揺らしている。 「美しいけれど、たまらなく嫌いな花。なぜって、生きることを強いるから・・・」と、 遥かな青春の日の友の呟きが甦る。
長崎での体内被曝と言う重い十字架を背負いながらも、「はんなり」の趣そのままの楚々とした女性であったその友。重い血液の病との死闘の果て夾竹桃の咲く葉月のつごもりに逝った。炎暑のもとで敢然と咲く夾竹桃は つらい生を貫こうとする者へ、無言の励ましを送っているようにも見えるが、時にはむごい鞭のようなしなやかさをもって生への希求を主張している。
昭和史の炎暑とも言える昭和十八年八月に改巻された「綜合詩歌」誌について、 前号に引き続き九月号の鑑賞、紹介を短歌、歌論等を中心に行って行きたい。
当月号に短歌を寄せている代表的歌人は、尾上紫舟、相馬御風、生方たつゑ、 野村泰三、泉四郎の各氏をはじめ十五名にのぼる。この中から昭和史、特に戦時下の 証言として心に留めていきたい歌、あるいは時代を超えてなお、私たちの胸に響いてくる短歌を中心に次の通り抄出した。
飛行場 尾上 紫舟
○飛び立つ機今あるらしも野のはてを土の烟のたなびき進む
○土のはてほのかに動く機のありて大飛行場夏日まぶしも
○目を張りて仰ぎ眺めし機のかげの我に著しい今か下り来る
こども今昔 相馬 御風
○朝な朝な喇叭を吹きて学童の足並みそろえ行く世となりぬ
○いつかしくいさましき今の世に育つ子等が行末おもはざらめや
○アッツ島に玉と砕けしますらをのその子の手紙ひらきためらふ
焦げくさ 生方 たつゑ
○野の方にほのほのあかき野火はなち豊けき土を人らたがやす
○萌えいづるしもとのなかに泡雪のごとくかそけき花が多しも
○ゆく春に花も實ごもる草生きて霧のむすべるつゆみだしたり
折にふれて 長谷川 冨士雄
○死に顔のあまりにしずかにありしかばその唇に乳房ふれしむ
○胸に抱く骨壷の底に音たてて骨が鳴るなり我が子の骨が
忙日 泉 四郎
○在りなれて日々のいのちのはぐくみに妥協はなきか己いましむ
○歌よみのたれかれを知り知らでよきそのさげすみの今ははるけし
露草の花 野村 泰三
○夢に見てさらによしなく笑む君のあるひは恋ひし露草の歌
○胸の嘆きつくづく吐きて手折りしぞ君よよく見よ露草の花
○淡淡たり水の如しと君はいふ逢ひつつあればかしかく言ふなり
これらの歌から八十年近い時空を越えて、なお響いてくる調べの重さと、 そこに溢れる生命力を全身で感じ、摂取していきたい思いに囚われる。
アッツ島において玉砕した武人の子の手紙を前にして、開封することをためらう思いを そのままに歌に表出した相馬氏に、人に寄せる温もりと思いの深さを感じることが出来る。時局を考慮し抑えた 表現をしつつも、なお、その思いの表現に自己の全存在をかけた勇気と共に・・・。
時代の状況と切り結び、それとの格闘を静かに詠っている歌群。また、野村氏は戦時下にあってなお、青春の瑞々しさと、それゆえの儚さを露草に託して詠っている。 青春への賛歌として、また原則に忠実なものは、情況に最も柔軟に対応できるのだと言うことを諭すかのように・・・。
前号ではページ数との関係から割愛させて頂いたが、私たち初学者にとって参考となる入門的歌論が本誌には数多く掲載されている。その中から一編を部分的に抜粋し歌友諸兄の参考として供したい(かな遣い、旧漢字等一部修正)。
作歌の心得 南部 松若丸
・・・選歌をしていると胸のすく様な歌、模糊として意の通ぜぬ歌、意味は判然とわかるがそれだけのことで読者に感激を与えぬ歌、この三種類の区別がはっきりとする。この三者の中で真に佳い歌は勿論最初のものであり、他の二者は不完全なものであるが、 この差は何によって生ずるかという事を、作歌の立場から解剖説明して諸氏の参考に供しよう。順序として詳解の順の第一に「模糊歌」、第二に「そうですか歌」、第三に「完全に佳い歌」 を詠み得る態度へと論を進めたい。
自分で良く出来ていると思っている歌を人に示して評を求める場合、歌を理解してもらえたら、まず歌として第一義的の目的たる相手に通ずるという点に関しては及第したのである。それがたとえ第二の「そうですか歌」であっても詠まんとする事のみの点については人に理解できたことになる。しかし相手が理解に苦しむ時がある。 理解に苦しむという程ではないが、この歌で真に読者に伝えたいのは、即ち作者の真の感動はどこにあったのか判明しないという場合が往々にある。
かかる場合、どこにその欠点があるか、それは簡単に答え得る。即ち感動の中心点を掴んでいなかったのだ。作者はあるいは言うだろう。自分の詠わんとしていたところは立派に詠い得ていて自分では佳作と信ずると。しかし作者のこのような信念と読者の感動の中心が判然としないと言うのと、どちらが正しいのか。諸君は第三者である読者の―教養ある読者の言を信じてよい。作者は往々にして陥りやすい欠点に陥っていることに気づかないまでのことである。即ち作者が作品をあまりに近づけ過ぎていて、作品を独立した存在たらしめ、客観視し得ないために、作品の不完全さを発見出来ないでいるということである。・・・。
これは戦時下に著された歌論の一部であるが、作家技術を含め、 学んでいくべき諸点を撞いていて、今なお新鮮でもある。ここで指摘された諸点に学びながら、私たちも「胸のすくような」心に響く歌を紡いでいけたらと改めて思った次第である。
本誌の投稿欄である「九月詠」には211名の方が作品を寄せて、前号より数十名の増加をみせている。これらの作品から時代を越えてなお、心からの叫びが、嘆きが、 そして喜びが響き伝わってくる。そのうちの何首かを抄出したい。
○徒に死をたたゆるは今の世につゆ思はぬも浄きみいのち 清水 勝
○のびあがり伸びあがりつつ子が征きに応へて母の振りたまふ手よ 小島赤麿
○汽車の窓によりそひ立ちて今し征く夫の厳しき瞳にあひぬ 土井博子
○何事も耐へてゆかんと思ひたりとめどもあらぬ涙ぬぐひて 竹内澄江
○とぶらはむ言の葉もなしアッツ島ますらを二千ゆきて帰らず 木下喬夫
○あふれ出づる涙のごはず見送りぬ兄征く汽車のはや遠ざかる 辻垣弥太郎
この世に生を受けて、二千の歴史をそれぞれに刻み負ってきた戦士たち。そのアッツ島における玉砕。残された妻達の、子達の、そして父母達の想い。その無念さと、嘆きを「とぶらはむ言の葉もなし」との句に表現するのみで、誰に対してもぶつけることの許されなかった戦時下の悲しみと無念の想い。その底知れない深い哀しみを、今改めてかみ締めている。
その想いは、重い血液の病を背負いながらも、「自分と同じ辛いめに合う者をこれ以上作ってはならない。そして、ナガサキに続く原爆の被害を三度起こしてはならない」との強い思いと祈りを秘めた、行動するキリスト者でもあった友の思いに重なる。騒乱とも言える状況の学園の片隅で、声高に叫ぶことなく、核廃絶の運動に真摯に取り組みながら、死よりも惨い生をひたすらに、ひたむきに生きた友。「何十万を越える人々の死の代償として、この世に生を受けた私は、その人達の分も一分でも長く生きなければ・・・。生きることが辛いなんて言ったら、 天国へ行ったあの人達に申し訳ないわよね」との言葉と共に・・・。
夾竹桃の花は八月に逝った、否、生きたくても生きられなかった友の、さらに、あまたの死者たちの無念と、血潮にも似た涙の結晶を思わせる深い紅色を滲ませている。
了 (初稿 平成18年8月27日)