うてん通の可笑白草紙

江戸時代。日本語にはこんな素敵な表現が合った。知らなかった言葉や切ない思いが満載の時代小説です。

さんだらぼっち~髪結い伊三次捕物余話~

2012年03月29日 | 宇江佐真理
 2002年1月発行

 髪結い伊三次シリーズ第四弾。実は同シリーズで最初に読んだのが、この作品。そして最初の最初に鬼の通る道を読み、伊三次とは何者だ。言動からして偉く男前だと関心させられたものだった。
 こちらも全話が、涙なくしては読めない逸作。読み終えた後、伊三次シリーズを全て買い求めたのは必然だろう。

鬼の通る道
 十二歳にになる、不破友之進の嫡男龍之介が、手習いに通うのを嫌がり熱まで出した。それは、八丁堀で真っ昼間に葛野勾当という盲人が何者かに殺された頃と前後していた。
 あぐりへの淡い思いと、正義感に揺れる龍之介を説得する伊三次の男気に魅せられる。また、不破友之進の一本気な気質も実に良く表現されていた。
 「江戸の春の黄昏は、ぼんやりと頼りないような感じで忍び寄る」。
 一連の事件の結末を、こんな言葉で締め括る宇江佐さんのセンスに感動した。

爪紅
 大川端に土左衛門が上がった。そのおろくは、爪紅を付けた娘だった。次に娘の首縊りが発見されるが、その娘の爪にも紅が塗られていた。
 一方伊三次は、忍び髪結いをしていた頃の馴染みのお喜和と再開する。伊三次とお喜和の過去が晒されるが、男盛りの伊三次は、お喜和の老け方から年月の流れを感じ取る。女性に取っては残酷な老いだが、現実的を突き付ける事によってより男女のリアリティを示している。実際女性には中々書けないだろうが、宇江佐さんは目を反らしてはいない。
 
さんだらぼっち
 木戸番に訪れた武家の父娘と、その後、花火の夜に再開したお文(文吉)だったが、三度目にその父親を見掛けたのは…。
 宇江佐さんの表現を借りるなら、鼻の奥がつんと痛んだ。涙が膨らんだといったところだろうか。どうにもこうにも、悲しくて悲しくて…。
 そんな悲しみをお文は、「訊きながらお文も喉に塊ができたように苦しくなった。無理に唾を呑み下すと涙が湧いた」。と表現している。


ほがらほがらと照る陽射し
 長屋で子どもを虐待する母親に激怒し、火傷を負わせてしまったお文は、伊三次と暮らした長屋を去り、日本橋で桃太郎という権兵衛名で芸者家業に戻った。一方の伊三次は、お喜和の店で掏摸の直次郎を見掛ける。どうやらお喜和のひとり娘のお佐和と愛惚れらしい。
 これまた、直次郎の決断に乾かぬ涙の上塗り。「商売道具を置いて来た」。この言葉の意味するところのシーンは…。
 そんな傷ましい場面を、「ほがらほがらと照る陽射しが眩しくて、伊三次は思わず瞳を閉じた。再び目を開けた時、視界の中に直次郎の姿はなかった」。で括っている。その前からの十五行程は必読。
 いいな直次郎。

時雨てよ
 伊三次とお文を伴い佐内町の仕舞屋に移る。そこに、九兵衛という小僧が弟子になりたいと言い出す。新たな展開を見せる伊三次とお文の周囲である。
 子を巡りおみつが、抱いたお文への疑念。それを知ってしまったお文の憤り。「お文は、わざと顔を上げて降りしきる雨を受けた」。辰巳芸者だねと、お文の気質を知れる一説。だが、これで終わりでないのが宇江佐さん。最期には、翁屋九兵衛の「時雨だから、すぐに止むよ」。の台詞が続く。これにて、悲しみも直ぐに癒えると読者に知らしめし、次の章への布石としているのだ。

主要登場人物
 
 伊三次...廻り髪結い、不破友之進の小者
 お文(文吉改め桃太郎)...伊三次の妻、日本橋前田の芸妓
 不破友之進...北町奉行所定廻り同心
 いなみ...友之進の妻
 龍之介...友之進の嫡男
 
 松助...不破家中間
 留蔵...岡っ引き(京橋/松の湯)
 弥八...留蔵の手下
 おみつ...弥八の妻
 増蔵...岡っ引き(門前仲町)
 
 正吉...増蔵の手下
 
 小泉翠湖...龍之介の手習いの師匠
 
 あぐり...翠湖の娘
 お喜和...小間物屋
 
 お佐和...お喜和の娘
 直次郎...掏摸
 翁屋九兵衛...箸屋の大旦那
 翁屋八兵衛...箸屋の旦那、九兵衛の嫡男
 
 九兵衛...九兵衛店の岩次の息子
 おこな...お文の元女中


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