ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

先駆ける春の花 in 安行の森あたり

2015-01-30 12:07:18 | 草・木・花 風に吹かれて

先駆ける春の花 in 安行の森あたり

背後は、蝋梅?
 ・「県 花の緑の振興センター」 


 ・・・いわば、ここは「花植木の郷・安行」の、造園、都市緑化、栽培などの旗振り役の研究・指導センターで、研究植物園を付設しています。

そして植物園は、まさに公園みたいにして、無料開園しています。

そんなわけですから、園内の草木は”早生”の品種も多かろうと思ってきたわけで ・・・やはり”早咲きの花”があちらこちらに ・・・

ビオラ 

蝋梅 満月/素心

寒椿 太郎冠者/獅子頭


振興センターの植物園の坂道を、樹木を眺めながら歩き下ると、そこは広大な植木名苗木の直売所 ・・・ 

区割りされた”植木苗木の畑”は、近在の植木農家の名が表示されています。


 寒梅鉢植え

 ふきのとう・もあった

「JA あゆみ野安行園芸センター」
ここで、苗木や鉢植えの花が直売されています。

 

何軒か先の並びは、「安行・道の駅」
 ・・・ここは「川口緑化センター」の敷地で、道の駅の売店として”樹里安”を持ち、ここでも花や苗木が直売されています。

一帯は、安行の植物の販売前線基地のようです。

この一帯の裏手の丘は少し小高く、野鳥の森で、・・興禅院の裏庭に続き、大きな叢を形成しています。

大きいと言っても、周りが植木農家ばっかで、みな背後に森を持っているため区分けが付かず、一帯が全て森みたいなところ ・・・


 
さすが植木の郷 ・・・草木供養塔


 

雑学 ・・・

安行の地名

安行の地名は、安行という人の名に由来しているそうです。
正式には、「中田安斉入道安行」。安行は、たぶん「やすゆき」、「安斉入道」は出家後の法名でしょう。中田安行は、戦国時代の武将で、扇谷上杉家の家宰(=家老)の岩槻の太田道灌の太田家に属し、道灌の倅・資康を大将として仰ぎ、小田原北条家や古河公方と戦っていました。戦乱で人々を殺傷し、悔いた安行は出家して吉岡に草庵を結びます。縁で帰依した仏門は、越生にある龍穏寺で、末寺として寺を開基します。(*龍穏寺は「やまぶきの和歌」で有名、道灌の父の菩提寺)。寺の号は富雙山、寺名は金剛寺。地方豪族・中田安行が治めた領有地が安行、その中の住まいになったのが吉岡。

植木の郷の由来

植木の開祖 吉田権之承翁 記念碑が金剛寺境内に建立されています。
安行の植木は、江戸時代初期、吉田権之承によって始められた。・・権之承は、安行村の名主役でした。また若い時から草花や盆栽に興味を持ち、珍しい草木を集めては栽培していたといいます。 明暦年間(1655-57)の江戸大火の後、苗木や草花等を江戸に送ったところ人々に喜ばれたことから、付近の者も見習い苗木をつくり始め、今日の苗木産地としての隆盛をみるに至りました。権之承は、「花屋」という尊称で呼ばれ、子孫の吉田家は、「花屋」の屋号を代々継いでいます。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。