ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

古都鎌倉のこと

2013-05-04 05:21:45 | 時事ニュース

古都鎌倉のこと

2日前に、新聞やTVでかなり話題に上っていた。世界遺産の登録で、富士山が登録で、鎌倉が落選というニュースのことだ。
このニュースが流れる前に、この二つが申請されていたこと自体知らなかった。この二つが、世界遺産にふさわしいのかどうかも、考えたこともなかった。

鎌倉

古都鎌倉だが、平安末期に源頼朝が平家を破って、鎌倉幕府を打ち立てたことに始まる。
その年代は、1192年ではなさそうだ、と最近言われ始めている。
朝廷から政権の実務の認可が1185年に宣下され、ここが鎌倉幕府の始まりだとされる説だ。
頼朝が征夷大将軍に任命された1192年か、実際に年貢などの徴収権を得た1185年か、学者の論議に口を挟をむつもりはない。
鎌倉幕府での源氏の嫡流は頼朝から始まって三代で終わり、この後北条時政、政子が実権を握る。以来北条家の時代は続くのであるが、将軍は傀儡として、最初はやや頼朝に血筋で近い藤原家から二代選ばれ、続いて他の公家から選ばれるようになる。だが背後には、実際の実権をにぎった北条家が、執権となって権力を振るっていた。
・・・と、これが教科書的説明になるわけだが。
地方豪族、とりわけ東国の豪族側から見たら、どうなるのか。
地方豪族の成り立ちは、その多くを荘園や牧の管理者として発生し、租や馬や兵の供給者であり、その貢ぎ先は、朝廷や公家であった。やがて彼らが自立し始めると、一族郎党を護り繁栄させることが任務になり始め、領土の境界線が争いの種になり始める。その理屈を分かりうるものだけが、武士を納得させ、武士(=豪族)の統領になり得る資格を得る訳だ。そして、源三代は亡び、豪族の領土問題を理解し調整できるもの(北条)が、実際に実権を握ったわけである。おそらく、源三代は、お坊ちゃま育ちで、豪族の領土へのこだわりを、あまり深く理解していなかったのだろう。味方するものの数と真剣さが、北条家に劣るのが、その証拠と思える。そして、北条家に味方するものは増えていく。
北条家に早くから味方するものの中に、諏訪一族がいた。諏訪大社に縁を持つ神官の一族である。諏訪一族のものは、武家同士の争いを調停しルールを作っていった。彼らは北条家から信頼されて政務の一部を任されるようになり、やがて御身内(おみうち)となった。字のごとく北条一族と同じに、身内であると認められた存在である。まえに神社も生臭いと書いたことがあるが、諏訪一族も神官でありながら武装化していく。世に、彼らを諏訪神党という。

その後の北条の歴史。
建武のころ。
後醍醐天皇に征伐を命じられた足利尊氏と新田義貞が北条を滅ぼす時、最後の執権北条高時は遺子を諏訪家に頼んだ。その遺子は相模次郎といい、北条時行のことである。北条時行は諏訪家の領域で潜んで成人し、北条家の復権を目指して諏訪神党を率いて中先代の乱を起こして、いったんは勝利したが、やがて追われることとなる。
後醍醐天皇と足利尊氏の蜜月は短期間で終わり、反目するようになり、尊氏が傀儡の北朝を作ると、後醍醐天皇は吉野に南朝を建てる。新田義貞と尊氏の弟の足利直義は南朝につき、そして北条時行も南朝側に合流する。
建武の新政から南北朝時代は、なんともはや激変で混沌・・・
呉越同舟・・・同じ船に乗りながら、違う夢を見ている
敵の敵は味方・・・なんとまあ、節操のない
この時代のことを司馬遼太郎は「泥沼にはまるようで・」と評して一切小説に書かなかったという。

鎌倉は、確かになぜか懐かしい。そして四季にそれぞれうつくしい。
だが、だれがだれに、何を誇るのだろうか。

蛇足ながら、同じ北条を名乗る一族が、後に発生した。北条早雲を祖とする小田原北条家のことである。紛らわしいので、後の歴史家は、鎌倉幕府の執権の北条家を前北条とか北条得宗家と呼び、後に小田原を拠点とした北条家を後北条とか小田原北条家と呼んで区分けした。

ついでながら・・
東男と京女、と言う言葉がある。東武士は、外に対しては荒ぶる心を持ち、内に対しては一族郎党を護ると言う心構えを持っていたのだろう。東武士は、一族の内部に優しく頼もしく見えたのだろう。当時、王番といって京都や鎌倉の警護をする奉公が、輪番で課せられていたという。京に来た東男は、在来の京男に比べ、いったん仲良くなれば、外見が無骨だが優しかったのだろう。
ついでだが、内に優しく外に荒ぶる東武士の中で、際だったのが、やがて滅ぼされた平将門である。彼は、京への租税や馬や兵の供給までもを拒み、中央からは睨まれた。だが地元では人気があり、英雄であった。
外見は荒ぶれて無骨だけれど内面の家族や一族への優しさへの心意気の質は、個人的に好きである。
だが、
歴史は常に勝者のものである。



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