越辺川・八幡橋付近・・・
八幡橋(冠水橋)
上に見える橋は、圏央道・・・
ここの風景は、かなり気に入っています。釣り人も、お気に入りの場所のようで、一年中釣り人は絶えません・
白鳥 ・・越辺川
約800M上流に行くと、”エトランゼ”・渡り鳥・白鳥のお気に入りの場所・・・になります。
昨年の暮れは、少々遅刻したようで、大分心配しましたが、今年のいまは・・・いつものように、優雅に、泳ぐ姿を見せてくれています。
セレナーデを聴きながら・・・: セレナーデ(シューベルト・白鳥の歌より) - YouTube
追記:越辺川の名前の由来を偶然見つけて ・・かねてから、越辺(オッペ)の名の不思議に興味を持っていました・・
*その後、越辺川の名前の由来について、以下のような記述を見つけました。
『川名は押辺とも記される。 語源には大きく分けてアイヌ語説と朝鮮語説がある。 アイヌ語説には豊かな川、恋人を待つ、川尻に沼がある川の三説があり、青森県や北海道に多い「川尻に・沼がある・川」の意であるアイヌ語の地名「乙部」が「オッペ」の語韻に近いとされ、実際に越辺川下流部の現坂戸市東部には小沼、横沼など低湿な沼沢地を意味する地名が現存していることから、信憑性が高いといわれる。 朝鮮語説には、古代朝鮮語で布を意味する「オッペ」から、山の上から白く光る川を眺めて、布のような川と名付けた説と、現代朝鮮語では、「オッペ」は柚子を意味し、越生が柚子の産地なので、名付けられたとする説がある。 その他水源地の越上山(おがみやま)の近くにある小字越辺によるとする説、「越生辺川」がつまったとする説などがある。 越辺川は毛呂山町より下流では入間川との合流点まで、江戸時代には比企郡と入間郡の境界をなしており、現在でも方言や生活習慣の違いもみられることから、異なる文化圏の境界線でもあった。』 (『日本歴史地名体系11 埼玉県の地名』平凡社刊より)
出典; 毛呂・越上山・越辺川源流 [山行記録] - ヤマレコ
色々の説・・それぞれに案外説得力があります。アイヌ語説も朝鮮語説も、その時代まで遡って、歴史に尋ねて深掘りする必要があるみたいです。