紅梅は花盛り ・・ 梅林・大宮第2公園
・梅が枝に来いる鶯春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ
・・・ 古今和歌集 とあります。昨日の雪の・・次の日・・ 残雪が道ばたにかすかに残るところもあります。
白梅は、少し先・・まで待ちましょう。紅梅の方が早く咲くようです。鶯は・・・留守のようです・・
紅梅は花盛り ・・ 梅林・大宮第2公園
・梅が枝に来いる鶯春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ
・・・ 古今和歌集 とあります。昨日の雪の・・次の日・・ 残雪が道ばたにかすかに残るところもあります。
白梅は、少し先・・まで待ちましょう。紅梅の方が早く咲くようです。鶯は・・・留守のようです・・
・・万年寺
【万年寺と伊沢弥惣兵衛】・・・ママ・井沢ではないかと・・
山号は長昌山 本尊は釈迦如来
寺の開創は永正6年(1509)といわれ、天正19年(1591)に徳川家康から寺領20石を拝領した古刹です。江戸時代初期の見沼溜井造成に際しては寺域が水没したため伽藍を移したと伝えられています。
江戸時代中頃、溜井の干拓及び見沼代用水開削工事に際して工事を担当した伊沢弥惣兵衛が詰め所を当寺に設けたといいます。この伊沢弥惣兵衛と見沼の竜神にまつわる伝説がたくさん残されています。
見沼東縁代用水関係者は、文化14年(1817)に弥惣兵衛の頌徳碑(写真下)を境内に立て、事績をしのんでいます。
境内にはこの外、こぶ地蔵、庚申塔、当寺の中興開祖の墓などあります。幕末から明治にかけては寺子屋が開設され村の子弟の教育に当たりました。
・・・ さいたま市教育委員会掲示物より
・・弥惣兵衛の頌徳碑
・・不思議な木。枝や幹は瘤だらけ・・枯れ木!?・・ 境内にある、由来不明の”こぶ地蔵”は、この木が”えにし”(=縁)とか、説明文は見つかりません・・・
井沢弥惣兵衛の墓はここには無いそうです。
伊那忠次、伊奈忠治、同様、尊敬できる官僚テクノラート・・・江戸時代
*場所:さいたま市見沼区片柳1-155