「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

静岡空港利用者の推移(開港3年目第3月)~対前年同月比、搭乗率はアップするも搭乗者数は激減~

2011-09-05 19:54:00 | 静岡空港
静岡空港利用者数(搭乗者数)の推移

(注)開港初年については月ごとの発表のなかった上海便各月推計データを加味した上で3か年を比較したグラフです。

以下、開港3年目の第3月となる8月実績に基づき傾向を概観する。
<傾向>
開港3年目3か月間の傾向は前年度の4分の3程度の利用者数で推移しており依然として低迷状態が継続している。
国際線にあっては回復の足取りは鈍く、前月同様前年同月比52.8%と、繰り返される知事らのピント外れの外遊トップセールスにより実質的無為無策が続いている。
国内線にあっても、熊本線が廃止されたこともあって対前年同月比90.1%とやはり下降傾向である。
11月からは福岡線の1便減と札幌線と鹿児島線の隔日運航により、静岡空港の需要にとっては実質計2便(提供座席にして約1万席/月)の減便に相当する打撃であり、チャーター便が増えてもまさに焼け石に水の状況である。
結局、今月も国内国際トータルで搭乗率は前年より2.2%アップし、県やその意を受けた一部マスコミは喜び浮かれるのだろうが、肝心の利用者数は前年より26.6%も減るという現実を直視し認識共有しなければ何も変えられないことに気づくべきである。

では、以下に今月の実績を記す。
<平成23年8月までの実績:対前年同月比>
路線:搭乗者数対前年同月比(H23.8/H22.8):搭乗率[H23.8;H22.8]

札幌線:96.9%(10,060人/10,377人):[80.9%;84.0%]
福岡線:121.3%(9,733人/8,022人):[67.5%;54.8%]
沖縄線:97.3%(6,249人/6,424人):[89.8%;89.2%]
小松線:-%(-人/1,748人):[-%;35.5%]
熊本線:-%(-人/2,628人):[-%;54.7%]
鹿児島線:98.3%(3,314人/3,372人):[66.3%;70.0%]

国内定期便計:90.1%(29,356人/32,571人):[75.6%;66.8%]

国内線チャーター便計:-%(0人/0人):[-%;-%]

ソウル線:57.9%(10,997人/19,000人):[80.2%;85.7%]
上海線:68.5%(2,487人/3,631人):[58.4%;69.0%]

国際線定期便計:59.6%(13,484人/22,631人):[75.0%;82.5%]
国際線チャーター便計:12.8%(493人/3,837人):[62.6%;83.2%]

全路線計:73.4%(43,333人/59,039人):[75.3%;73.1%)]

昨年度の県幹部の天下り66人、平太の天下り禁止公約のへたり

2011-09-01 21:10:00 | 川勝知事公約寸評
昨年に早くもマニュフェストはおおむね達成したと強弁した川勝であるが、これが公約議論に区切りをつけるためのアリバイ作りだったことは明らかである。

「県出資団体に再就職15人 昨年度県幹部天下りは計66人」(H23.9.1読売新聞)との見出しが物語るように選挙の時に川勝があれほど力説し、県民が支持し、期待した「天下りは徹底的に禁止」という公約はまったく行われていないのである。
そればかりか、役人は拡大のための策謀に躍起である。
にもかかわらず、達成したというのは天下りの定義を選挙の後になって一方的に自作してしまったからである。

川勝によれば、県があっせんした場合だけが天下りだというのである。(※後に政権に就いた民主党もこれを真似て公約を反故にしている)
もしこれが認識の一致を前提とする一般契約ならば一方的な解釈の変更は詐欺と主張される重大事項であろう。

もっとも偽りは解釈ばかりではない。
「公募だから能力のある人なら県の方でも市でも応募されるのはいい。ある事業について指定席であるというのとは違う。斡旋は一切しない。」との会見での発言も、もう忘れてしまったかのように公募拡大は進んでいない。(もっとも、公募でさえ役人にとっては天下り抑制の意味をなしていない

県人事課が「県として再就職はあっせんしていない」とうそぶくのも飼いならされた川勝を象徴するかのようである。

そしていままた暴走を始めたのが天下り先の拡大。
天竜川の川下りの事故を起こした第三セクター天竜浜名湖鉄道に安全管理の名目で静岡県からの役員ャXト」という露骨さも見せ始めた。

川勝は最初の言葉はだけ威勢がいい。世論受けした発言を好む。
だが、これまでに幾度となく見てきたようにそのうちにへたる
沼津の貨物駅不要論と同様、原発に係る発言も同じ道を歩むに違いない。
藁にもすがる思いは分かるが、藁にすがってはいけないのである。