静岡県はこれまで毎週県内6か所で独自測定してきた水道水の検査を1月から「緊急時のみ測定」などとして、実質廃止することを決めた。
一方でがれきの受け入れ焼却を勧める県の姿勢としてはあまりにお粗末な対応だ。
島田市では24日にもがれき受け入れ表明かといわれていたが、住民の反対の盛り上がりを受け、先行して試験焼却を行うとしたが、実施方法は明らかにされていない。
試験に際しては安全対策(必要最小限・告知)に十分注意するとともに、その場限りのアリバイ作りのためのごまかし試験は止めてもらいたい。
試験用に、より低レベルのがれきを選別したり、フィルターを変えたり、混焼したり(むしろ県内ごみと区別して比較すべき)、検出限界値の高いところに委託したり、検査結果の数値を選別したり、処理時の住民によるモニタリング妨害といったことは論外だが、フィルターを通過した期待の分析はもちろん、違う地域の物となれば焼却灰中に含まれるセシウム以外の放射性物質の検査もしっかり行うべきであろう。
とはいえ、我々は知らない間に放射能と共存させられつつあることを覚悟しておかなければならない。
食品についてはいくら産地を選別してもその表示自体に偽られる例もある。
食物連鎖により放射性物質の蓄積が進んでいるともいわれる魚類等についてはブラックボックス状態だ。
多かれ少なかれ受け入れざるを得ない。
また、国(環境省)は25日の専門家による災害廃棄物安全評価検討会で「放射性セシウムの平均濃度が1キロ当たり3,000ベクレル以下であれば、一定の防水対策を講じることで道路や防潮堤の整備での活用が可能」との見解を示すなど放射能の拡散を次第に容認していく姿勢だ。
自分の身は自分で守るのは当然だが、子どもたちの身は行政も含め地域で守っていかなければならないにもかかわらず、いまだ多くの市町が学校給食の検査すらしていない。
仕入れ業者も検査しているところとしていないところでは払う注意も違うことは容易に想像できるだけに何もしていないというのは住民の生命財産を守るという行政の責任放棄に等しいではないか。このような市町ではどれほど美辞麗句を並べたところで信用もされまい。
民意を踏まえての有言実行の誠実な姿勢こそ今の時代に尊ばれるものであることを政治家と行政は自覚すべきである。
一方でがれきの受け入れ焼却を勧める県の姿勢としてはあまりにお粗末な対応だ。
島田市では24日にもがれき受け入れ表明かといわれていたが、住民の反対の盛り上がりを受け、先行して試験焼却を行うとしたが、実施方法は明らかにされていない。
試験に際しては安全対策(必要最小限・告知)に十分注意するとともに、その場限りのアリバイ作りのためのごまかし試験は止めてもらいたい。
試験用に、より低レベルのがれきを選別したり、フィルターを変えたり、混焼したり(むしろ県内ごみと区別して比較すべき)、検出限界値の高いところに委託したり、検査結果の数値を選別したり、処理時の住民によるモニタリング妨害といったことは論外だが、フィルターを通過した期待の分析はもちろん、違う地域の物となれば焼却灰中に含まれるセシウム以外の放射性物質の検査もしっかり行うべきであろう。
とはいえ、我々は知らない間に放射能と共存させられつつあることを覚悟しておかなければならない。
食品についてはいくら産地を選別してもその表示自体に偽られる例もある。
食物連鎖により放射性物質の蓄積が進んでいるともいわれる魚類等についてはブラックボックス状態だ。
多かれ少なかれ受け入れざるを得ない。
また、国(環境省)は25日の専門家による災害廃棄物安全評価検討会で「放射性セシウムの平均濃度が1キロ当たり3,000ベクレル以下であれば、一定の防水対策を講じることで道路や防潮堤の整備での活用が可能」との見解を示すなど放射能の拡散を次第に容認していく姿勢だ。
自分の身は自分で守るのは当然だが、子どもたちの身は行政も含め地域で守っていかなければならないにもかかわらず、いまだ多くの市町が学校給食の検査すらしていない。
仕入れ業者も検査しているところとしていないところでは払う注意も違うことは容易に想像できるだけに何もしていないというのは住民の生命財産を守るという行政の責任放棄に等しいではないか。このような市町ではどれほど美辞麗句を並べたところで信用もされまい。
民意を踏まえての有言実行の誠実な姿勢こそ今の時代に尊ばれるものであることを政治家と行政は自覚すべきである。
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