戦争の世紀と呼ばれる20世紀からすでに17年目に入りました。
私たちの世界は、二度と戦争の内容にと起きることのないようにと、様々な仕組みを作り、各国協力して取り組んできました。
その結果、世界はより良くなったのでしょうか。
少しでもそういう方向に向かっていると言えるのでしょうか。
そもそも、私たちが目指しているよりよき世界とはどのようなものなのでしょうか。
今まさに、それが問われる時代に私たちは直面しています。
私は昨年、メ[ランドにあるナチスドイツのアウシュビッツ・ビルケナウ強制・絶滅収容所を訪れました。
「将来、二度とこのような歴史が繰り返されないために」との思いを込めて保存されている場所です
一方で、不幸な過去は早く忘れたい、二度と思い出したくないと思うのは人間の性です。
たとえそれが未来の糧となるようなものであっても、人の精神はそれほど強くなく、傷が深ければ深いほどに、過去は過去として片付けてしまいたいと思うのも無理からぬことかもしれません。
理想や理屈だけで生きられる人はまれで、人はやはり感情や衝動や欲望といった感性で生きています。そして私たちの理屈の多くは大抵後付けのものでしかありません。
だからこそ、人は同じ過ちを幾度となく繰り返し、争いは絶えることなく続いています。
容易に人が人に利用され、戦争、テロ、暴力が引き起こされています。
それは遠い世界の特別なことなのでしょうか。
昨年、アメリカでは、グローバリズムの名のもとに引き起こされた国内の様々な格差への不満から反動的に拡大したナショナリズムを象徴するように、少数民を攻撃対象として喧伝したトランプが、まさに国民によって時期大統領に選出されました。
ヨーロッパでも移民問題を背景にナショナリズムを煽る極右政党が国民の支持を広げています。
その後の歴史はともかく、少なくともその一連の過程には、国民の経済的不満の攻撃対象を少数民に向け誕生したナチスドイツにあった国民心情との類似性を認めるべきでしょう。
ただ、世界が再び寛容と偏狭の曲がり角に来ているというような単純な問題提起は百害あって一利なしです。
いかなる制度の国家にあっても、いかなる仕組みの社会にあっても、それを支える人間一人一人の行動が寛容ならばその程度に、偏狭ならばその程度にならざるを得ず、その程度こそが多様性を持っているからです。
具体的に想像してみてください。
アフリカで今なお飢餓に苦しんでいる人々がいると知って、あなたは救いたいと思いますか。そのために全財産を投げ打つことができますか。
いかなる人にも思いと行動の間には多様性を持った距離があり、それこそがまさに程度です。
私たちはその距離を意識し、その解決の道を探らなければなりません。
少しずつの前進でもいいし、今は出来ないということももちろんあるでしょう。
ただし、無理なんだからとあきらめ、安易に距離を縮めることだけはしてはいけません。認知的不協和な状態からは逃げたいとばかり、思いを否定しそこに理屈という言い訳を用意しては、それこそが自分を否定する偽善であり、厳に慎むべき害悪となってしまいます。
私たちは過去から多くを学ぶことができます。
どのような不幸な出来事からでさえ、ときに我が事のように感じ、反省し、立ち上がれる感性をもっているのが我々人間です。
どのような民主的な仕組みを持った政治体制にあっても、その国民の一人一人が民主主義を理解していなければ民主主義は守れません。平和も同様です。
新年を迎えるに当たって、もう一度本当に自分自身の望むあり方を、理想と現実の間のその立ち位置を振り返ってみてください。
そこから全てが始まります。そこからしか始まりません。
最後に、一つの歴史的過去を振り返ってみましょう。
「こんな(命令と異なる)計画をしても意味はない。私はあまりにも弱かった。これからは命令にだけ従おう。逃げ道はなく、任を逃れようとしても無理でした。服従あるのみ。私の提出する計画など何の役にもたたないことを知りました。つぶされるだけです。」
「私は私に出来ることを全てやりました。私はより強い権力の道具でした。はっきり言って、私は罪を免れたかった。だからそう解釈しました。私にとって、外の要因はさほど関係ありません。自分を守りたかった。」
Q:「良心の葛藤はなかったのか。義務と良心の間の葛藤は。」
A:「私なら分裂と呼びます。意識的な分裂状態です。ある状態から別の状態への逃避です。」
Q:「良心を放棄せねばならなかったと?」
A:「そうと言えます。良心を実行することは出来ませんでした。」
Q:「さもないと自分が責任を負う?」
A:「私がやりませんと言っても、それでどうなるでしょうか。」
Q:「もっと市民的勇気を持てば全ては違っていたのでは。」
A:「確かに、市民的勇気が秩序的に機能する状況であればおっしゃるとおりです。」
「私は命令を受け、人が死のうが関係なく、それに従いました。行政上の手続です。私の任務は全行程のほんの一部。移送に関わる他の部分は他の課が担っていたのです。」
「私たちの生きたあの時代、犯罪が国家によって正当化された時代で、その責任は命令者の側にありました。」
これらの言葉は、ナチスドイツでユダヤ人の移送を担ったアドルフアイヒマンの罪を裁いた彼の裁判での証言です。しかも彼は、ハンナアーレントによれば「真摯に職務に励む一介の平凡で小心な公務員」、裁判の証人においては「穏やかで礼儀正しい普通の役人」と言わしめた、そういう表面的には「普通」の人だったのです。もちろん、彼らを熱狂的に支えた国民もまた「普通」の人々だったのです。あなたの中にまったく彼はいないと断言できるでしょうか。
私たちの世界は、二度と戦争の内容にと起きることのないようにと、様々な仕組みを作り、各国協力して取り組んできました。
その結果、世界はより良くなったのでしょうか。
少しでもそういう方向に向かっていると言えるのでしょうか。
そもそも、私たちが目指しているよりよき世界とはどのようなものなのでしょうか。
今まさに、それが問われる時代に私たちは直面しています。
私は昨年、メ[ランドにあるナチスドイツのアウシュビッツ・ビルケナウ強制・絶滅収容所を訪れました。
「将来、二度とこのような歴史が繰り返されないために」との思いを込めて保存されている場所です
一方で、不幸な過去は早く忘れたい、二度と思い出したくないと思うのは人間の性です。
たとえそれが未来の糧となるようなものであっても、人の精神はそれほど強くなく、傷が深ければ深いほどに、過去は過去として片付けてしまいたいと思うのも無理からぬことかもしれません。
理想や理屈だけで生きられる人はまれで、人はやはり感情や衝動や欲望といった感性で生きています。そして私たちの理屈の多くは大抵後付けのものでしかありません。
だからこそ、人は同じ過ちを幾度となく繰り返し、争いは絶えることなく続いています。
容易に人が人に利用され、戦争、テロ、暴力が引き起こされています。
それは遠い世界の特別なことなのでしょうか。
昨年、アメリカでは、グローバリズムの名のもとに引き起こされた国内の様々な格差への不満から反動的に拡大したナショナリズムを象徴するように、少数民を攻撃対象として喧伝したトランプが、まさに国民によって時期大統領に選出されました。
ヨーロッパでも移民問題を背景にナショナリズムを煽る極右政党が国民の支持を広げています。
その後の歴史はともかく、少なくともその一連の過程には、国民の経済的不満の攻撃対象を少数民に向け誕生したナチスドイツにあった国民心情との類似性を認めるべきでしょう。
ただ、世界が再び寛容と偏狭の曲がり角に来ているというような単純な問題提起は百害あって一利なしです。
いかなる制度の国家にあっても、いかなる仕組みの社会にあっても、それを支える人間一人一人の行動が寛容ならばその程度に、偏狭ならばその程度にならざるを得ず、その程度こそが多様性を持っているからです。
具体的に想像してみてください。
アフリカで今なお飢餓に苦しんでいる人々がいると知って、あなたは救いたいと思いますか。そのために全財産を投げ打つことができますか。
いかなる人にも思いと行動の間には多様性を持った距離があり、それこそがまさに程度です。
私たちはその距離を意識し、その解決の道を探らなければなりません。
少しずつの前進でもいいし、今は出来ないということももちろんあるでしょう。
ただし、無理なんだからとあきらめ、安易に距離を縮めることだけはしてはいけません。認知的不協和な状態からは逃げたいとばかり、思いを否定しそこに理屈という言い訳を用意しては、それこそが自分を否定する偽善であり、厳に慎むべき害悪となってしまいます。
私たちは過去から多くを学ぶことができます。
どのような不幸な出来事からでさえ、ときに我が事のように感じ、反省し、立ち上がれる感性をもっているのが我々人間です。
どのような民主的な仕組みを持った政治体制にあっても、その国民の一人一人が民主主義を理解していなければ民主主義は守れません。平和も同様です。
新年を迎えるに当たって、もう一度本当に自分自身の望むあり方を、理想と現実の間のその立ち位置を振り返ってみてください。
そこから全てが始まります。そこからしか始まりません。
最後に、一つの歴史的過去を振り返ってみましょう。
「こんな(命令と異なる)計画をしても意味はない。私はあまりにも弱かった。これからは命令にだけ従おう。逃げ道はなく、任を逃れようとしても無理でした。服従あるのみ。私の提出する計画など何の役にもたたないことを知りました。つぶされるだけです。」
「私は私に出来ることを全てやりました。私はより強い権力の道具でした。はっきり言って、私は罪を免れたかった。だからそう解釈しました。私にとって、外の要因はさほど関係ありません。自分を守りたかった。」
Q:「良心の葛藤はなかったのか。義務と良心の間の葛藤は。」
A:「私なら分裂と呼びます。意識的な分裂状態です。ある状態から別の状態への逃避です。」
Q:「良心を放棄せねばならなかったと?」
A:「そうと言えます。良心を実行することは出来ませんでした。」
Q:「さもないと自分が責任を負う?」
A:「私がやりませんと言っても、それでどうなるでしょうか。」
Q:「もっと市民的勇気を持てば全ては違っていたのでは。」
A:「確かに、市民的勇気が秩序的に機能する状況であればおっしゃるとおりです。」
「私は命令を受け、人が死のうが関係なく、それに従いました。行政上の手続です。私の任務は全行程のほんの一部。移送に関わる他の部分は他の課が担っていたのです。」
「私たちの生きたあの時代、犯罪が国家によって正当化された時代で、その責任は命令者の側にありました。」
これらの言葉は、ナチスドイツでユダヤ人の移送を担ったアドルフアイヒマンの罪を裁いた彼の裁判での証言です。しかも彼は、ハンナアーレントによれば「真摯に職務に励む一介の平凡で小心な公務員」、裁判の証人においては「穏やかで礼儀正しい普通の役人」と言わしめた、そういう表面的には「普通」の人だったのです。もちろん、彼らを熱狂的に支えた国民もまた「普通」の人々だったのです。あなたの中にまったく彼はいないと断言できるでしょうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます