オールタイムベスト企画が気になって購入した本誌ですが、過去のSFマガジンの色々な記事が載っている企画ものがとても楽しく、むさぼるように読んでしまいました。
(通常号の記事やら連載はあまり読まなかった...。)
なまじのノンフィクションやSF解説書を読むより楽しかったです。
中学生頃(80年代前半)以降のSFの世界に疎かったので、現在にいたるまでの流れも何となくわかり勉強(?)になりました。
個別の記事は別として全体的に思ったことは、日本におけるSFの発展は60年代にアメリカの30~60年代分を一気に吸収して成長していったためかなりゆがんだ形で発展していったんだなぁということ。
その辺、川俣千秋氏と巽孝之氏の1990年10月400号記念座談会「SFのなかごろ」で総括されていますが、記事を読んでいると「確かにそうだよなー」と思わせられます。
(私自身も今50年分くらいを詰め込んでいるわけですが…)
1930年代の「火星のプリンセス」などの活劇スペースオペラから、それを否定するような形でキャンベルが育てた40~50年代のアシモフ・ハインライン・クラーク等の作家陣、ブラッドベリやらブラウンの異色作家。
(この辺までが私がなんとなく理解できていたところ)
さらにそれを否定する形で現れた60年代のニュー・ウェーブ作家陣と、独自路線のディックやらヴォネガットの作品。
一気に40年分が流れ込んで来て10年で追いつこうとすれば混乱...しますよねぇ。
でもいろんなものが混在した独特の「日本SF」が出来上がっていったのはこのような入り方に原因があるかもしれませんね。
その後やっと落ち着いたかと思えば80年代はサイバーパンクやらなにやら、SF界も大変だったんですねぇ。
あと感じたことはSFマガジン=ハヤカワ書房は基本的に「翻訳SF」がメインな出版社なんだなぁということ。
SFマガジンなしでは草創期の日本のSF作家が育たなかったことは事実でしょうが、柴野拓美氏が入れなかった「日本SF作家クラブ」の発足のいきさつやら「覆面座談会事件」やら「太陽風交点事件」やらいろいろと日本のSF作家界と問題が起きているのも事実です。
ハヤカワ側にも言い分はあるのでしょうが、小松左京氏を中心とした「日本SF作家陣」にはちょっと冷たいというとうか、冷たく感じられる部分があったのかもしれませんね。
まぁ翻訳の方が面倒なく高レベルな作品が入手できそうですから、出版社の営業姿勢としてはわかる気はしますが...。
その辺が現在の日本SF作家クラブのもめ事にまで尾を引いているような…。
この号の最後の対談もタイトルが「SFと復興 小松左京から考える」で東浩紀氏、大森望氏、瀬名英明氏の対談ですからねぇ….。
(怖い...)
その前のとり・みき氏の漫画もちょっとねぇ。(笑)
今回有名な「覆面座談会」の記事(1969年2月号)も再録されているかなぁと期待していたのですが、残念ながらのっていませんでした。
存命の作家もいるし難しいんでしょうかねぇ…。
なお覆面座談会事件については二代目編集長 森優氏のインタビューで総括はされています。
(太陽風交点事件は第6代編集長の今岡清氏のインタビューで触れられています)
ただSFマガジン=ハヤカワがの第一、第二世代の日本SF作家といまひとつしっくりいかない関係から、第三世代神林長平や最近の伊藤計劃、円城搭などの才能も出てきたというのもあるんでしょうからまぁねぇ。
それはともかく
個別記事で一番印象に残ったのは、1997年1月487号の大森望氏による伊藤典夫氏のインタビュー記事。
「アインシュタイン交点」の翻訳で迷路に迷い込み、翻訳に20年かかってスランプになったという話…。
海外SFを急速に取り込む過程でのゆがみが伊藤氏に凝縮して現れたような話ですね。
「翻訳者」の作品へのこだわりってすごい。
もしくは若くして「天才」と言われた伊藤典夫氏独特のこだわりかもしれませんが…。
またアシモフの評価への大森氏と伊藤氏の違いもジェネレーションギャップが感じられました。
私は世代的には伊藤氏と遠いわけですが伊藤氏のアシモフ評かなりしっくりきました。
「・・・あの人はとても頭がいい、コンピューターそこのけの頭脳をもった人で、若いうちに世の中のルールがわかっちゃった。で、あと何が必要かというと人間感情。・・・」「・・・80年代に入ってアシモフ自身が命の限界を感じはじめたときから、人間になっちゃうんだよ。ロボット三原則もめちゃくちゃになってきてさ」
わかる気がする。
アシモフはファウンデーション書いた1940年代から50年代辺りですでに出来上がっていた作家な気がしますし、今でも本当に「いいなぁ」と感じるのは1950年代までの作品かとも勝手に感じています。
でも伊藤氏の「自身の生命の限界を感じながら」というのも考えて読むと、80年代のファウンデーションシリーズ終盤辺りの作品も趣深いような気がしますね。
以下他に印象に残った記事抜粋。
○1960年11月10号 矢野徹氏の文章
SFにかける思いと行動力に感服しました。
「日本SFを育てた人」というと福島正実氏があがることが多いようですが、実は矢野氏のの果たした役割「かなり大きんじゃないか?」と感じました。
○1964年10月61号小尾芙佐氏によるアシモフインタビュー
「ミスター・SFとの一時間」-ボストンにアシモフを訪ねる-
愛妻家アシモフの一面が紹介されてますが、この後離婚して再婚しているんだよなぁ…。
なんだか不思議というか怖いというか...。
タイムスリップ感覚が楽しめました。
○1967年9月98号福島氏のキャンベルインタビュー。
日米こわもてSF編集者対決ですが、お互い言いたいことばかりいっていてまったくかみ合ってない….。
似たもの同志なんでしょうか?、かなり面白かったです。
○1970年6月134号「SF作家万国博をゆく」
大伴昌司氏による星新一との万博見学記。
なんだかタイムマシンに乗っている感じで楽しめました。
古き良き日本SF作家連のお話でいい…。
星氏最高です。
○1970年11月139号「国際SFシンポジウム 速報レポート」
これも星氏のとんがりぶりが楽しめます。
この後の記事もニューウェーブからサイバーパンクといったSFの流れを勉強するには役立ちましたが、最初の方の記事はタイムスリップ感覚で楽しめました。
本書はバックナンバーも売り切れで入手しにくい状況ですが、とにかく堪能しました。
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(通常号の記事やら連載はあまり読まなかった...。)
なまじのノンフィクションやSF解説書を読むより楽しかったです。
中学生頃(80年代前半)以降のSFの世界に疎かったので、現在にいたるまでの流れも何となくわかり勉強(?)になりました。
個別の記事は別として全体的に思ったことは、日本におけるSFの発展は60年代にアメリカの30~60年代分を一気に吸収して成長していったためかなりゆがんだ形で発展していったんだなぁということ。
その辺、川俣千秋氏と巽孝之氏の1990年10月400号記念座談会「SFのなかごろ」で総括されていますが、記事を読んでいると「確かにそうだよなー」と思わせられます。
(私自身も今50年分くらいを詰め込んでいるわけですが…)
1930年代の「火星のプリンセス」などの活劇スペースオペラから、それを否定するような形でキャンベルが育てた40~50年代のアシモフ・ハインライン・クラーク等の作家陣、ブラッドベリやらブラウンの異色作家。
(この辺までが私がなんとなく理解できていたところ)
さらにそれを否定する形で現れた60年代のニュー・ウェーブ作家陣と、独自路線のディックやらヴォネガットの作品。
一気に40年分が流れ込んで来て10年で追いつこうとすれば混乱...しますよねぇ。
でもいろんなものが混在した独特の「日本SF」が出来上がっていったのはこのような入り方に原因があるかもしれませんね。
その後やっと落ち着いたかと思えば80年代はサイバーパンクやらなにやら、SF界も大変だったんですねぇ。
あと感じたことはSFマガジン=ハヤカワ書房は基本的に「翻訳SF」がメインな出版社なんだなぁということ。
SFマガジンなしでは草創期の日本のSF作家が育たなかったことは事実でしょうが、柴野拓美氏が入れなかった「日本SF作家クラブ」の発足のいきさつやら「覆面座談会事件」やら「太陽風交点事件」やらいろいろと日本のSF作家界と問題が起きているのも事実です。
ハヤカワ側にも言い分はあるのでしょうが、小松左京氏を中心とした「日本SF作家陣」にはちょっと冷たいというとうか、冷たく感じられる部分があったのかもしれませんね。
まぁ翻訳の方が面倒なく高レベルな作品が入手できそうですから、出版社の営業姿勢としてはわかる気はしますが...。
その辺が現在の日本SF作家クラブのもめ事にまで尾を引いているような…。
この号の最後の対談もタイトルが「SFと復興 小松左京から考える」で東浩紀氏、大森望氏、瀬名英明氏の対談ですからねぇ….。
(怖い...)
その前のとり・みき氏の漫画もちょっとねぇ。(笑)
今回有名な「覆面座談会」の記事(1969年2月号)も再録されているかなぁと期待していたのですが、残念ながらのっていませんでした。
存命の作家もいるし難しいんでしょうかねぇ…。
なお覆面座談会事件については二代目編集長 森優氏のインタビューで総括はされています。
(太陽風交点事件は第6代編集長の今岡清氏のインタビューで触れられています)
ただSFマガジン=ハヤカワがの第一、第二世代の日本SF作家といまひとつしっくりいかない関係から、第三世代神林長平や最近の伊藤計劃、円城搭などの才能も出てきたというのもあるんでしょうからまぁねぇ。
それはともかく
個別記事で一番印象に残ったのは、1997年1月487号の大森望氏による伊藤典夫氏のインタビュー記事。
「アインシュタイン交点」の翻訳で迷路に迷い込み、翻訳に20年かかってスランプになったという話…。
海外SFを急速に取り込む過程でのゆがみが伊藤氏に凝縮して現れたような話ですね。
「翻訳者」の作品へのこだわりってすごい。
もしくは若くして「天才」と言われた伊藤典夫氏独特のこだわりかもしれませんが…。
またアシモフの評価への大森氏と伊藤氏の違いもジェネレーションギャップが感じられました。
私は世代的には伊藤氏と遠いわけですが伊藤氏のアシモフ評かなりしっくりきました。
「・・・あの人はとても頭がいい、コンピューターそこのけの頭脳をもった人で、若いうちに世の中のルールがわかっちゃった。で、あと何が必要かというと人間感情。・・・」「・・・80年代に入ってアシモフ自身が命の限界を感じはじめたときから、人間になっちゃうんだよ。ロボット三原則もめちゃくちゃになってきてさ」
わかる気がする。
アシモフはファウンデーション書いた1940年代から50年代辺りですでに出来上がっていた作家な気がしますし、今でも本当に「いいなぁ」と感じるのは1950年代までの作品かとも勝手に感じています。
でも伊藤氏の「自身の生命の限界を感じながら」というのも考えて読むと、80年代のファウンデーションシリーズ終盤辺りの作品も趣深いような気がしますね。
以下他に印象に残った記事抜粋。
○1960年11月10号 矢野徹氏の文章
SFにかける思いと行動力に感服しました。
「日本SFを育てた人」というと福島正実氏があがることが多いようですが、実は矢野氏のの果たした役割「かなり大きんじゃないか?」と感じました。
○1964年10月61号小尾芙佐氏によるアシモフインタビュー
「ミスター・SFとの一時間」-ボストンにアシモフを訪ねる-
愛妻家アシモフの一面が紹介されてますが、この後離婚して再婚しているんだよなぁ…。
なんだか不思議というか怖いというか...。
タイムスリップ感覚が楽しめました。
○1967年9月98号福島氏のキャンベルインタビュー。
日米こわもてSF編集者対決ですが、お互い言いたいことばかりいっていてまったくかみ合ってない….。
似たもの同志なんでしょうか?、かなり面白かったです。
○1970年6月134号「SF作家万国博をゆく」
大伴昌司氏による星新一との万博見学記。
なんだかタイムマシンに乗っている感じで楽しめました。
古き良き日本SF作家連のお話でいい…。
星氏最高です。
○1970年11月139号「国際SFシンポジウム 速報レポート」
これも星氏のとんがりぶりが楽しめます。
この後の記事もニューウェーブからサイバーパンクといったSFの流れを勉強するには役立ちましたが、最初の方の記事はタイムスリップ感覚で楽しめました。
本書はバックナンバーも売り切れで入手しにくい状況ですが、とにかく堪能しました。
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