思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

承久の乱(日本史最大の変革)より800年 2021年 あけましておめでとうございます。

2021-01-01 | その他



今年は、日本史最大の変革から800年です。古代の卑弥呼を除けば、日本史最大の女性=北条政子が龍になった年です。

後鳥羽上皇の愛欲と権力欲に基づく悪業ー1207年の法難と1221年の承久の乱ですが、それにより日本史は大転回しました。

後鳥羽上皇ら朝廷 vs 法然門下の親鸞北条政子・義時・泰時という図式です


 1207年の法難について、史実に則った研究が、上横手 雅敬さん(鎌倉時代の政治史研究の第一人者・京大名誉教授)により2008年に出されています。「建永の法難について」「鎌倉時代の権力と制度」

そこでには、朝廷に念仏宗排撃を訴え出たのは、興福寺ただ一つであったこと。
当時28歳の後鳥羽上皇は、熊野へ参拝している留守の時に、愛人と思われる女官2名(松虫、鈴虫)が念仏宗に帰依して出家してしまったことによる《私怨》による処分ー死刑と流罪であったことが書かれています。

また、親鸞が「教行信証」末尾で、後鳥羽上皇らは「法に背き、義に違し」と厳しく批判しているのは有名です。

 後鳥羽上皇の権力欲をよく現わしているのが、その14年後1221年の「承久の乱」です。後鳥羽は、はじめて誕生した東国政権をよしとせず、朝廷に権力を戻そうと画策して「義時を討て!」と院宣を出しましたが、逆に朝廷は敗北し、全員処分ー終身刑としての島流しと出家、荘園はすべて没収となりました。鎌倉幕府の尼将軍北条政子を敬愛していた泰時(政子の弟義時の長男)は、東国・鎌倉幕府軍の総大将として京都にかけ上り、朝廷を無条件降伏させたのでした。5月~6月の一か月間ですべてがおわりました。

 二つの日本史を変えた大事件は一繋がりなのです。

 政子は、当時つくられた法然の念仏宗に帰依し、夫の頼朝死後、安養院(法然の浄土宗)をつくりました。親鸞より17歳年長の政子は、親鸞の兄弟子にあたることになります。また、泰時の息子の泰次は、親鸞が笠間(茨城)から京へ帰る直前に親鸞に帰依し、鎌倉に成福寺を開基しています。また、親鸞は泰時に頼まれて、幾度も政子の法要のために尽力しています(一切経校合)

 後鳥羽上皇とその息子ら10名あまりを北条政権が処分し(流刑と出家)、京都もそれ以西もすべてを支配したゆえに、親鸞は京に帰り、執筆や布教活動ができたのです。

 日本史最大の革命は、時代を大きく開き変えました。



 記念すべき年、わたしたちも大変革=革命をも超えた革命を起こしましょう。
 明治政府がつくった天皇を頂点とする序列主義=岩倉具視がつくった一世一元の元号に象徴される天皇教と、その官吏養成所の東大を絶対化する東大病・東大教と、パターン知と情報処理能力の機械脳=官僚主導の官僚主義は、わたしたちの価値観を変えれば変わります。それらの不毛性・非人間性を知れば、意識が変わり、それが考え方・生き方を変えます。
 いつまでも「人間を幸福にしないシステム」を支えるのは愚かです。価値意識の根本的な変革を成し遂げたいと思います。共に!

武田康弘







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