思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

国旗に敬礼したり、神聖視する人が今もなおいるのには驚きます。戦前思想=フェティシズムの呪縛の強さ。

2018-08-07 | 社会思想

 国旗に敬礼したり、神聖視する人が今もなおいるのには驚きます。 
 もちろん、他国との区別が必要な場面においては、国旗は必要で意味がありますが、
国旗それ自体を神聖視したり、それに敬礼するのは、物神崇拝(フェティシズム=下着類などを愛するという倒錯)という精神の病です。

 そういう行為をこどもたちと全国民に強要していたのが、戦前の日本で、明治から昭和にかけて天皇の肖像画(写真をもとにして描かせたもの)に敬礼をさせ、敬礼の程度が低いという理由でしばしば先生は辞職させられ、生徒はひどい体罰を受けました。学習院の近くの公立小学校の1年生は、当時の皇太子(明仁さん)の顔を見ようと顔を少し上げたらば、後から思い切り頭を殴られました。

 国旗という名の旗に敬礼し、御真影という写真画に敬礼することは、【戦前思想の象徴】といえます。わが国は、ほんとうに驚くほどの【洗脳国家】であったわけですが、その事実を明晰に自覚することは、近現代史を考察する上で何よりも必要な営みです。さまざまな具体的な問題の前に、この物神崇拝の天皇教(=天皇は生き神)という狂気と恐怖の国体思想にいつての反省と批判がなければ、何事もはじまりようがありません。

 水戸学に心酔した明治維新政府の異様な思想、その狂気性を自覚しなければ、民主性・民主制・民主政とは御題目に過ぎず、永遠にはじまらないのです。自分の体験を元にして自分の頭で考える自問自答と、ほんとうに対等で自由な対話により物事を決めるという自治は、日本では永遠に不可能なのでしょうか。

 21世紀の現代でもなお天皇教のタブー(それを嫌っているのが明仁さんと美智子さん)に支配され、上位者の気持ちを忖度してしか生きられない国を愛するのなら、それは極限的な愚かさでしかなく、おぞましい行為としかいいようがありません。なぜ、今もって、わが日本人は、哀れな奴隷根性のまま生きるのでしょうか。政治家も官僚も教師も生徒も会社員もみな「人間管理」されてTHEニッポンというシステムの一部品として生きる!?
あまりにも哀れです。

 いい加減に目覚めたらよいでしょう。愚かも度が過ぎます。国家主義という恥ずかしい低次元の思想からの脱却なしには、よいことは何も生まれません。これは原理です。

 

武田康弘

 

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