思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

反日?非国民?それこそが人間として生きている証では? 「国のため」とはなんですか?

2018-09-26 | 社会思想

大前提

 よく自民党やウヨクの人々は、「国のため」「国家のため」と言いますが、
そもそも「国とは何か?」が定義されないと、国のため、とは何かは分かりません。意味不明です。


 再びそもそもですが、明治政府が廃仏毀釈の思想によりつくりあげた「伝統」というは、
日本最大の仏教宗派である浄土真宗(親鸞)と2番目の浄土宗(法然)の思想・文化とは内容が正反対です。法然門徒たちは、後鳥羽上皇により4人が死罪、法然・親鸞ら8名は島流しとされたのでした。

 仏教文化としての日本の伝統靖国神社の思想とは二律背反です。

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 戦前にいわれた
「国のため」とは、学校教育で教え込まれた、国体護持のことです。滅私奉公の道徳教育に基づきますー教育勅語はその象徴。
公とは天皇家のことで、「君の時代は、苔のむすまで永遠に続く」と歌われましたー伊藤博文は、大日本帝国憲法を発布するにあたり、「未来永劫、主権は天皇にあり、日本では、主権が国民に移ることはない」と全国の知事たちに教説しました。

 また、日清戦争も日露戦争も、その後の第一次世界大戦参戦も、ロシアへの内政干渉=シベリア出兵も、満州事変から対米戦争までの14年間の戦争も日本が行った戦争はすべて、日本政府(天皇を主権者とする保守主義の政治家たち)が仕掛けたのであって、日本の領土が攻撃されたので防衛した=国を守るために国民が戦ったのではありません。

 天皇政府の命令で、国民は、赤紙一枚で、戦争に動員されたのです。犠牲者であって(他国から見ればもちろん加害者ですが)、靖国神社が主張するような「軍神」(軍人・兵士の集合神)ではありません。

 明治政府のつくった「天皇国家としての日本」とは、一人ひとりの人権を抑圧した「全体主義国家」であって、そこで言われた国のためとは、「国体(天皇国家)主義」による支配階級のためなのですが、それを、国民全体のため、と学校教育で洗脳したのです(毎日行われた天皇像への礼拝と君が代唱和と日本は天皇の国という歴史教育による)。


 その根本思想(天皇を生きた神とする国体主義=国家神道=靖国思想)の下で、軍国主義も成立しました。その廃棄を求めた「ポツダム宣言」を受諾し、日本は無条件降伏し、主権を天皇から国民へと転回した新しい国=民主主義の国として再出発したのです。伊藤博文らがつくった明治の思想(=国家神道に基づく国体主義=靖国思想)への後戻りは許されません。これは、原理原則次元の話です。


武田康弘

 

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