いま、教え子の染谷裕太君が自転車でヨーロッパを旅しています(1年半前には自転車で南北アメリカ縦断)。
イギリス(ロンドン)に入ったところですが、そこでの批評はとても興味深いので、ここに転写します。
後半の三枝恭子さん(コロラド州在住の言語学者・大学で教鞭)と私のコメントやりとりは、宗教表象の問題になり、大スケールの話です。
(※裕太君は中1から17年間にわたり生徒であり、白樺同人です。)
大英博物館
イギリスというのは実に憎たらしい国だと思う。わりぃこと一杯やったり、あったりしても、車優先で道路が汚くて(というか全体的にドイツ、オランダより汚い)オランダ、ドイツとの落差にダメだこりゃと感じたりしても、ちゃっかりと凄いところは凄いんである。ロンドンフィルはベルリンフィルと比べても遜色ないほど滅茶苦茶に上手く、それが立ち見なら8ポンドで見れるほどに気軽で身近。しかも、来れなくなった友人の分のチケットを持っていた英国紳士が「座っていいよ」と、立ち見の私に声をかけてくれるではありませんんか。
ロイヤルフェスティバルホール (ロンドンフィルとフィルハーモニー0.の本拠地)
大英博物館は世界中から強奪してかき集めた遺産の数々を堂々と展示して見せびらかしていて「うわっ」となるけど、きっちりタダで入れるようになっている。実に憎たらしい。
この国はたぶん確信犯で良いことも悪いこともやっているんじゃないかと思う。まだドイツとオランダしか行ってないけど大陸の国とはやはり全然違う。表現としては逆だけど、イギリスに来てからアメリカみたいだと思うことが何度もある。アメリカ人が元イギリス人というのがよく分かる。日本ではよく「欧米」と一括りにするけど、...欧と米は全然違うと思うが、英と米は通じていると感じる。イギリス人をアメリカのような乾燥した広大な国土に住まわせるとアメリカ人みたいになるのか。なるほどな、と一人で納得。相当単純化しての見方ではあるけど。
ロンドンはもう少し居ようと思ったけど、ゴチャゴチャしているし、ポンドが異常に高いし、冬になってしまうので、さっさとフランスへ渡ろうと思います。
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仲 誠一
大英博物館 盗品?だらけ、ミイラの部屋にはいると、なにか背中につきものが着きそうで、気味悪かった。 ミイラは異国の建物の中で成仏できるのでしょうか?
染谷 裕太
あれで展示されて見れるのは一部ですから凄いですよね。もちろん全部奪ったわけではないですが。エルギンマーブルの前で「ギリシャに返せ!」と書いたギリシャ国旗を持って少年とたぶんそのお父さんが写真撮っていました。
エルギンマーブル
武田 康弘
「この国はたぶん確信犯で良いことも悪いこともやっているんじゃないかと思う。まだドイツとオランダしか行ってないけど大陸の国とはやはり全然違う。表現としては逆だけど、イギリスに来てからアメリカみたいだと思うことが何度もある。アメリカ人が元イギリス人というのがよく分かる。日本ではよく「欧米」と一括りにするけど、欧と米は全然違うと思うが、英と米は通じていると感じる。イギリス人をアメリカのような乾燥した広大な国土に住まわせるとアメリカ人みたいになるのか。なるほどな、と一人で納得。相当単純化しての見方ではあるけど。」
これ素晴らしい評論で、さまざまな知識と共に、心と身体と頭脳(感覚と感情と理性と)でなまの直接体験をしている裕太君ならではの慧眼だな-----、と感心した。
大陸合理論とイギリス経験論という近代哲学における相違を映してもいるようだな。
染谷 裕太
英国は鼻につく国(笑)というか、あまり長居したくない感じなのですが来てよかったと思います。来る前から違うよなとは思っていましたが、直接見て感じて「うん。なるほど」です。同じヨーロッパでも違いがとても面白い。
武田 康弘
各写真のところにも長々と書いたよ(失礼おば)。
三枝 恭子
わはは、染谷さん面白い。大英帝国はどうして可能だったんでしょうね。そういえば、フランス、スペイン、英国、どうしてあんなに強大な力で植民地を維持したんでしょうね
武田 康弘
三枝さん、そりゃ、強い宗教=一神教がバックボーンですよね。
伊藤博文はそれに気づき、日本にも一神教を!というので、皇室の伝統という神話による「天皇現人神の新宗教」をつくったわけです。
その威力はもうすばらしい、じゃなくて凄まじいものでしたよね。だから、その戦前=明治思想を!!といま、安倍ちゃんと自民党はがんばってる(笑憤)わけで~~す。
仲 誠一だんだん神髄に入ってくると、ついていけなくなりました。イギリスも、ギリシャも、英国の植民地にも住んだことがあるのですがねえ・・・。うわっぺらしか見てこなかった。
三枝 恭子
イスラムも、そうですよね。一神教、中央集権、世の中を、上下関係で統制する考え方と、生き物だけでなく全てのものに魂があるという汎神論的なかんがえかたと、これは個々の人間に両方とも内在するものなんでしょうか、そしてある時点でどちらかを選ぶんでしょうか。自分は前者をいいと思った記憶がないのですが。
武田 康弘
ユダヤ教を母とする兄弟です、キリスト教とイスラム教は。
人類史では、一神教は新参者で、元々は多神教です。
一神教の超越的真理という思想を変えるのが、本来のフィロソフィの普遍性の探求(個々人の善美への憧れを座標軸として自他の納得を生みだそうとする生き方)です。ーーー人類史の転回です。
三枝 恭子
人類史の回転、新参者、そうなんですね〜。わかります。
それが急激に拡散して世界を席巻してるかのように見えますが、人一人一人のなかでは、やはり多神教、汎神論、そして個々の尊重が基準ですよね、それも感じます。
今その新参者の限界がきてると思います。
武田 康弘
うん、転換点ですね。人類は前史を終えられるか?という最大の課題に直面している、と見ています。
三枝 恭子
染谷さんの記事を借りて、申し訳ないですが、
私もとみに、人類は一大転換期、といいうか、これで終わっちゃうか、さらに進化するかの瀬戸際だと思ってます。またお会いしてお話し伺いたいです。
(写真は、染谷裕太君撮影 ソニーRX1-R)
祭祀とは、自然を神神とし、多くの場合神官が神に成りすまし、贈与など流通的世界観による様式行為である。多神教は自然を神とするに対し、一神教は自然を被造物とし、自然に平伏しないから近代科学の土壌となった。 教育勅語などに記載された中外とは華夷の血縁差別をやや薄めた語句。 弥生的祭祀であれ、縄文的祭祀であれアニミズムとシャーマニズムを根底に持つ祭祀に未来を託すことは出来ない。
わたしは、「恋知」の生を提唱しています。
それは、 みなが言うからという「一般的」なよいや正しさではなく、また、一神教が示す「絶対的」なよいや正しさでもない第三の道=「普遍的」なよいや正しさを求めるという考えですが、
詳しくは、「恋知」第二章をお読みください。
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori150.htm