思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

個人の自由はない-【学校・会社・団体】 内 【個人】--見事に完成された全体主義国はどこでしょう?

2018-06-02 | 社会思想

日本人、とくに管理教育世代以降は、個人が消滅し、すべて組織・団体が優先します。
個人の都合というのは、わがままとされ、ダメです。
個人からの出発はなく、「団体 内 個人」 になっていますので、
自立した精神をもつ個人のあつまりが団体なのではなく、
団体(その上位者の思惑と都合と気分)が先立ち、団体のために一人ひとりが存在しています。それは、学校教育(とりわけ部活動)により、骨の髄まで染み込まされ、個人の都合は通りません。さらに道徳教育でますます加速されます。

まさに昆虫社会のようですが、人間ですからすべて全体一致というわけにはいきません。
そこで、芸能とスポーツとオタク趣味で、フラストレーションの解消をします、というよりそれしかないのです。ですから自治政治はひどく困難です。個々人に社会の主体者である自覚がないのですから(受験主義のテスト勉強と集団主義の部活によりそういう人間にさせられる)。
個人の精神世界とか精神的自立とかは、死語になり、なにもかもシステム化されて、その中で生きるのです。

世界に冠たる全体主義国ですが、
ここからの脱出、人間性=個人性ゆたかな社会への転換は果たして可能なのでしょうか?

わたしは、『恋知』の生を広めることで、みながそれぞれの精神世界を拓く人生、私からはじまる輝きの生をつくりだしたいと思い、実践していますが、日本の全体主義は学校教育を通して、生活の隅々まで神道、ではなく、浸透しています。この変換ミスには納得(笑)
明治政府の廃仏毀釈=仏教(個人意識につき互いの平等と自由と慈悲の思想)を廃して、神道(明治政府がつくった国家神道=靖国思想という全体一致)による天皇国家づくりで、滅私奉公を道徳の柱としたのですから、やっぱり日本は、神の国で、個人はいないようですが、わたしは、その現状を変えることに挑戦し続けています。半世紀たちました。

必ず、成就します。課題は困難なほど面白い!!



武田康弘

Kunimitsu Kobayashi 現憲法の悪いところ、それはまさに、基本的人権、主権在民、平和主義だと言い張った自民党議員さんがいたような~~怖いですね。個人があって国家でなく国家あって個人、でもこの思想には個人の概念がみえない。それはまさに恐怖の国家に向っているのでは。

 
 武田 康弘 小林さま、みなさま

自民党が憲法改正草案をつくるとき、議員立法を支える参議院法制局の荒井達夫さんに対して、自民党議員は、「日本の独自性を出すため、社会契約説によらない憲法案をつくりたいので、よろしく」と依頼してきたとのことですが、

荒井さんをはじめ参議院法制局など調査室の職員はその意味(社会契約説およびそれに依らない)がよく分からず、

それでわたしに聞いてきたのがきっかけで、荒井達夫さんは「ソクラテス教室」の大学クラスの生徒になり、そこからわたしは参議院との深い関係をもつことになったのです。

人民主権(国民主権)にもとづく新しい社会=民主制(政)の国家をつくるためのアイデアがルソーの「社会契約論」であり、主権者を市民とする社会思想の原理であるわけですが、それを知らない調査室職員では困るということで、後にわたしは官僚(直接には「行政監視委員会調査室」の職員)に講義することになったのです。さらに広く調査室全体を対象とした講義や、人事院職員も含めたパネルディカッションのパネラーも二度務めました(それらは、参議院ホームページや白樺教育館ホームで閲覧できます)。

いくらなんでも社会契約論によらない憲法をもつ「西側諸国」とはありえない話で、満点大笑いなのですが、これが現実なのです。国連の掲げる理念=社会原理と根本的に矛盾してしまいますが、それも分からないのが自民党国会議員なのです。怪談よりはるかに怖ろしい事実です。
 
 
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