思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

教育は誰のもの?権力による方向付けは民主的倫理に反する根源悪。橋本氏の恐ろしさ。

2011-11-29 | 教育

教師の言動の問題や
校長裁量による、ルールの基本条件を満たさぬ「校則」の強要などを正すのは、
生徒の自主性・主体性を育てる教育=忌憚のない自由対話による現場(生徒・保護者・教師)での決定です。これは、民主制社会の原理です。

国家主義思想≒立場上の優越者による統制≒有無を言わさない政治権力による教育の管理は、アナクロニズム(時代錯誤)であり、言語道断という他ありません。

生徒と先生と保護者=当事者の意思の大胆なまでの自由の尊重がフィンランドの画期的な成果を生んだのですが、それ知らない橋本徹氏という元タレントに率いられる大阪維新の会や東京都の石原都知事は、ヒトラーもどきの権力による強制を、選挙での勝利を盾に行なって(行おうとして)いますが、これは、多数決では縛れぬ民主主義の原理である個人の思想及び良心の自由(憲法19条)・人権思想(憲法10条~40条)への挑戦だと言わざるを得ません。

教育を権力で支配しようとするのは、日本でも世界でも、国家主義者がまず何よりも先に取り組むことですので、わたしたち主権者はよく注視していく必要があります。公正な選挙で圧倒的な勝利を治めたヒトラーが何をしたのか、【人間の対等性に基づく人権思想】の力が弱まれば、多数決とは、圧政の原因にしかならないのです。行政権力の肥大化は、一人ひとりの人間の自由を奪い、【全体一致】のおぞましい社会を生む元凶ですが、橋本徹氏の恐ろしさは、議会=立法権力までも行使して教育への統制を行って(行おうとして)いることです。

教育が国家主義で縛られた社会は、必ず凋落します。フィンランドの自由と自治に基づく教育をよく知ることが必要です。橋本氏や石原氏や安倍氏(古くは中曽根氏)とは逆の意味での教育改革が急務です。民主的倫理に基づく民主的教育を推し進めなければなりません。


武田康弘
コメント (2)
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