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思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

気持ちのよいスタートーみなさんに深く感謝です。

2006-05-15 | 日記

昨晩の『民知の会・設立記念会』には、我孫子のみならず、遠方より参加された方もかなりいらっしゃいました。夜の会にも関わらず、ほんとうにありがとうございました。参加者は81名でした。

また、いろいろな形で、【お祝】いをいただきました。とてもありがたいことで、感謝しております。

「話者」の方も「スタッフ」として働いてくれた方も(共にみなボランティア)みなに深く感謝です。気持ちのよいスタートを切ることができ、「民知というほんらいの知」を広げる運動に大きな弾みがつきました。

いよいよ、ますます、「民知と共に生きる」ことのエロースがひろがっていくことを実感します。ぜひ、ワクワクードキドキーイキイキの人生を共に広げていきましょう!!

民知と共にあらんことを。






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きょう5月14日午後6時ー我孫子市アビスタにお集まり下さい!!

2006-05-14 | 日記

紋切り型の知ー意味論抜きのただの「事実学」だけという悲しく愚かな日本をチェンジしましょう!!エロース豊かな人間と社会を生み出ていく「民知の会」の設立記念会は、いよいよ本日午後6時15分からです。

「思索の日記」の読者のみなさま、ぜひ、ご参加下さい。心よりお待ちしております。
詳細は、ココをクリックして下さい主催は白樺教育館、後援は我孫子市です。

話者は4名です。

1.福嶋浩彦(民知による市政変革に取り組むー我孫子市長)

2.山脇直司(「公共哲学とは何か」の著者・ユネスコ哲学会議の日本代表ー東大大学院教授)

3.松橋桂子(作曲家、「柳兼子」の著者)

4.武田康弘(民知の創始者ー白樺教育館館長(白樺文学館初代館長)



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「する」ことと「してもらう」こと。

2006-02-15 | 日記

教えることは、教わること。
教わることは、教えること。

助けることは、助けられること。
助けられることは、助けること。

する方とされる方の区別はあります。でも、それを固定化してしまうと、よきものは生まれないと思います。

愛のある愉しい人間関係をつくること、という土台がなく、区別にこだわる考えとシステムは、カタイ心を生んで、つまらない世界をつくってしまいます。

私は「勉強」には興味がありましたが、学校は嫌いでした。
カタイ心とカタイ頭とカタイ言葉と・・・で心が壊れてしまいそうだったからです。

頭が動くことは楽しいことです。規則だらけの「型ハメ教育」や「厳禁の精神」は、明らかに間違いです。心も頭も体も止まってしまうからです。

私が30年前から私塾を開いて勉強を教え・教わり、助け・助けられてきたのは、ほんとうの勉強―ほんとうの人生をつくるためです。そのためのキーは、愛ですね。「理想」??の型に入れようとするのは、一人ひとりの人間を愛していない証拠です。

「主観を消去する日本というシステム」
「福嶋浩彦・我孫子市長の原点」の二つのブログも見て下さい。

武田康弘


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点数とお金?手抜きして成果を上げる?(掃除をしながら考えたこと)

2005-12-27 | 日記

勉強も仕事も、「やらされている」という気持ちしかもてないのでは不幸ですが、「点数」と「金額」が第一目標であるなら、そうなるのは必然ですね。目掛けるのは内容ではないのですから、「手抜き」して「成果」!?を上げるのがよいわけです。

机上の空論―言葉上の理屈しか分からないのは「愚か者」でしかありませんが、テストで高得点を取るだけの「点取り虫」を頭がよい?と優遇しているようでは、鼻持ちならない人間しか生みませんし、実力=「人間力」はつきません。

日々の生活世界の仕事(家事)=この最も大切な仕事がどの程度できるのか?
今さっきまで、教室掃除を子どもたちと一緒にしていましたが、掃除をするための「基本的な動作」ができている子は少ないのです。基本が身についていなければ、「ごまかし」の仕事しかできませんし、その場の変化に対応する力がなければ、バカとしか言えません。「上っ面の勉強」ができる「イイワケ」に長けた人間を育てても誰の得にもなりません。

「知る」とは何か? 深く知ることのできる人間の育成は、なかなか大変です。私の教育実践も来年でもう30年になりますが、掃除(クリーニング・ディ)もその大事な一環!!
さあ、一休みしてから今度は授業です。

武田康弘



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中2の西くんのブログー「大日本帝国憲法」批判-まっすぐな心と頭です。

2005-11-10 | 日記

中2の西山君のブログー「大日本帝国憲法」は、堂々としてかつ面白いです。
皆さん、ぜひ見て下さい。
私は、彼のまっすぐな考えと疑問に答える責任を果たそうと思います。「保守主義」への回帰しかできないテイタラクな政治家ー官僚ー教師ーマスコミ人ばかりでは、未来はないと思います。


武田康弘

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仏教教団の靖国思想と侵略戦争加担への反省の現状(民知者・高城久)

2005-10-22 | 日記

以下は、民知者の高城久さんが調べてくれたものです。
( ?出会いと民知宣言(9000字) ?民知ー恋知とは?(1000字) ?民知ー恋知と公共哲学(11000字)をご覧下さい)

真宗大谷派(東本願寺)以外の日本の侵略戦争に加担した罪を反省・自己批判した仏教団体についてネットで調べられる範囲で調べてみました。

■浄土真宗本願寺派(西本願寺)
 浄土真宗本願寺派(西本願寺)は1981年から毎年9月18日に国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑において「全戦没者追悼法要」を勤めている。なぜ、9月18日に行うかといえば、15年にわたる「アジア・太平洋戦争」につながっていった「満州事変」の発端である「柳条湖事件」が1931年に起こったその日だからだそうです。
 1995年4月15日に本願寺で厳修された「終戦50周年全戦没者総追悼法要」において浄土真宗本願寺派大谷光真門主は、「宗祖の教えに背き、仏法の名において戦争に積極的に協力していった過去の事実を、仏祖の御前に慚愧せずにはおれません」と、戦争にかかる責任を明らかにしました。
 2004年5月24日、不二川公勝総長、出口湛龍総務が記者会見を行い、15年にわたる先の戦争に関して発布した「消息」などを「今後これを依用しない」とする「宗令」などを発布したことを発表。
http://www.hongwanji.or.jp/info/general_if/info_040524.htm

■真宗教団連合
 首相、閣僚の靖国神社公式参拝にたびたび要請文を出していますが、中でも2001年8月3日の要請文では、「悲しいことに、かつて私たちもその(宗祖・親鸞の)教えに背き、自己を正当化し、国家が起こした戦争行為を無批判に容認し、多くの人びとを戦地に送り出し、また、諸外国の人びとに言語に絶する惨禍をもたらしました。」と批判の前に自らの懺悔も行っている。
これまでの要請文はこちら
http://www.shin.gr.jp/kyodan/yosei/yindex.html

■臨済宗妙心寺派
 2001年9月27日の臨済宗妙心寺派第100次宗議会の宣言文の中で
「かえりみますと、かつて我が国も聖戦の名のもとに戦争を遂行し、彼我各国に多大の苦痛と損害を与え、たとえ国策とはいえ結果として、戦時の高揚した国民感情の中で、我が宗門が砥柱のごとく反戦を貫くことが出来得ず協力して来たことに対し誠に遺憾に思うものであります。まずこの過去の過ちに対する懺悔と反省の上に立って、諸民族の多様な生活や価値感、信条、宗教を尊重しつつ、日々の教化活動において我が禅門の宗旨を宣揚し、世界の平和のために一層努力しなければなりません。」
http://www.myoshin.com/shuumu/sengen.htm

■曹洞宗
 1992年11月20日、戦前・戦中に宗門が国家権力に迎合し、アジア地域で「日本の文化を強要し、民族の誇りと尊厳性を損なう行為を行ってきた」とアジア諸国に謝罪する宗務総長名の懺謝文(さんじゃもん)(懺悔文)を公表した。

 
 調べた感想としては、一部の方を除いて靖国神社へ合祀の取り下げを訴えていないのには、驚きました。特に真宗系の教団は、現世での死を意味する「往生」とは現世から往き、浄土に生れると解釈されているのに靖国の神様?として祀り上げられている事に抵抗はないのだろうか?と疑問に思います。

 また、特定の政治的イデオロギーを持つ団体と深く結びついた僧侶たちが、過去を懺悔し、不戦の誓いをしても大きな意味がないような気がします。イデオロギーではなく、自身の魂(親鸞はご内仏と言っています)からの声で過去を懺悔し、不戦の誓いをしなければ親鸞の教えに反すると私は思うのですが、如何でしょう?

以上、高城久(10月21日)



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☆とても大事な問題提起だと思います。-Lucien氏の実存と社会実感

2005-04-03 | 日記

「メタフィジカルな気分」のLucienさんの問題提起には大きな普遍性があると思います。まず、彼の4月2日のブログ2本を見て下さい。(クリック

現代社会と教育の大きく深い問題だと思います。


わたしのコメント(字数制限400字ぎりぎり)を以下に貼り付けます。

[タケセン] [2005/04/03 12:03] [ MyDoblog ]

とても大事な問題提起だと思います。

幼いころから段々と自分たちのことは自分たちで決めるという練習ー「自治」を身体化する営みを積み上げることが、「私」と「公共」との有機的な結合の実感を生み出す条件ですが、これとは異なる考えと方法で日本の「教育」(とりわけ学校教育)は行われてきました。 

形式ータテマエー事実学が支配し、内容ー本音ー意味としての動的な人間育成の理念がありません。

私は小学校の時、「政治クラブ」をつくり所属し、中学校では教師と論議し、高校では授業をストップしての全校生徒の話し合いによる学校改革をおこないましたが、こうした具体的経験が社会と自分との結びつきの実感を生み出します。

「世間」ではなく、「社会」を実感できる人間の育成が、「エリート主義から市民精神へ」の転換の条件ですが、日本の教育はその思想が希薄で、方法論も持ちません。何とかしなけば大変です。(武田)



皆さんはどうお考えですか?

2005.4.3 (武田康弘)



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