拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

スピリチュアル瀧

2008-11-18 22:33:54 | 音楽
宇多田ヒカルがこよなく愛しているという、誕生日プレゼントとして貰ったぬいぐるみ「くまちゃん」…あれ、電気グルーヴに於けるピエール瀧と似たような働きをしてるような気がしてならない。最近そんなことをぼんやり考えるようになった。
自らを「楽器が弾けず、歌も下手なミュージシャン」と称するピエール瀧。瀧はレコーディングスタジオで殆ど何もせず、作業を相方の石野卓球にまかせてダラダラしてるだけだという。つまり端から見れば、「電気グルーヴ」のレコーディングなのに石野卓球のソロプロジェクトとあまり変わらない状態。勿論、一応瀧も作詞に参加したり歌入れしたりもするのだが、アルバム制作の大部分は、やはり卓球主体で進められる。瀧の持ち味が発揮されるのは主にライブ。富士山やスペースインベーダーなどの妙なかぶりものを身に纏い、奇怪なダンスをしながら、比類無きカリスマ性で観客を煽るのだ。どんな仮装をしても、でかい図体とインパクトのある顔のお陰で瀧にしか見えない。上半身は裸で下半身は馬という「ケンタウロス」スタイルをしても(ちなみに手には何故かチェーンソー。この姿でドイツでのライブを決行した際、彼はドイツの地方新聞の一面を飾った)、結局は瀧の存在感が奇妙な仮装のインパクトを凌駕する。これは驚異的なことではないだろうか。
とにかくステージ栄えする瀧。その存在感はあらゆる分野のクリエーター魂を刺激し、彼はここ10数年、テレビのバラエティーやドラマや映画、CMに引っ張りだこ。特に映画への進出はめざましく、マイナーな映画から『ALWAYS 三丁目の夕日』や『東京タワー』といった大ヒット作にも脇役で出演し、可憐な花を添えている。
ミュージシャンにもかかわらず、音楽以外の分野で活発に働く瀧。瀧という人は、何もせずスタジオに、ただ居るだけで、卓球のモチベーションをグッと上げるらしいのだ。卓球は「瀧がスタジオに来ると来ないとでは何かが違う。『瀧が来る!』みたいな(笑)」と語り、瀧は「スピリチュアル的な存在(笑)」と加え、さらに卓球が「ビーチボーイズは海の雰囲気を出したくてスタジオに砂を撒いてたって言うじゃない?それと一緒。普通のバンドとかが気分転換にお香焚いたりするのと一緒」と「瀧の効能」を語る。
何もせず、ただ居るだけでクリエイティブ魂に影響を与える…これは宇多田ヒカルにとってのくまちゃんと全く同じではないか。「ぼくはくま」はくまちゃんの存在が無ければ生まれなかった曲だし、インタビューでの発言を見る限り彼女はくまちゃんに甘えたり話し掛けたりすることで心の安らぎを得ている。心理学の世界では「くま=母親の象徴」らしく、「子供の頃母親に甘えたり出来なかったことの反動かも」と自己分析していた宇多田。くまちゃんによってもたらされた心の安定はアルバム『HEART STATION』にも顕れている。『ULTRA BLUE』作ったのが嘘みたいに思える程、軽やかなのだ。
……なんだかよくわからなくなってきたが、とりあえず、ピエール瀧とくまちゃんの存在感と存在意義は似てるのだ。ルックスも似てるし。思わず抱きつきたくなる、腹に安心感か何かが詰め込まれているかのような適度にふくよかな図体…。まぁ、くまちゃんは「歩けないけど踊れるよ」「しゃべれないけど歌えるよ」で、瀧は歩けて踊れて喋れて歌えるのだが…。