私が中学生活を送った1998年~2001年。この3年間は、ラルクが一番派手に活動していた所謂全盛期である。それはもう夢中だった。魅了されまくった。だが、今日の記事の主役はラルクではない。ラルクと殆ど同時期に派手に活躍していたアイドルグループ…モーニング娘。の思い出を、今日は振り返ってみようと思う。
モーニング娘。は、ラルクがシングル「winter fall」を出した日にメジャーデビューした。1998年1月28日。その日はhide「ROCKET DIVE」が発売された日でもあり、なかなかの慌ただしさである。当時私は小6。既にラルヲタだった私は当然、モーニング娘。に興味を持つことなどこれっぽっちも無かった。当時のモーニング娘。を語るには絶対ハズせない重要番組「ASAYAN」も見ていなかったし。しかし中学に入り、私は意に反してモー娘に詳しくなってしまった。入部したバレーボール部の同級生達が揃って「ASAYAN」及びモー娘ファンだったからである。モー娘がデビューする前、オーディションの時期から彼女達を見守っており、モー娘の知識も豊富だった部活仲間たち。練習の合間や練習終了後にみんなでダラダラと喋る時の話題はとりあえずモー娘の事が中心だった。私は殆どラルクにしか興味なかったから、もちろんみんなの会話をポケーっと聞いているだけだった。寂しい気もしたけど、会話に入るためだけに興味の無いモー娘を聴くのも面倒だったから放っておいた。
でも、聴かずともモー娘の曲は耳に入ってくる。新曲が出ると、彼女達はすぐに曲を覚え、カラオケで熱唱していたから。カラオケだけじゃない。日常的にもガンガン歌っていた。しかもパート分けをして。「あたし、なっちのパート歌うよ」「じゃあ私明日香の所歌うね」…初期のモー娘。はメインボーカルを安倍なつみと、真っ先に脱退した福田明日香の二人がつとめていたので、二人のパートを交互に歌ったりハモったりするのが部内で流行っていたのである。それらを聞いていたため、ラルヲタのくせにその当時の…98年~99年ごろのモー娘の曲が脳内にいまだに刻み込まれてしまっている。「LOVEマシーン」で一気に大ブレイクし、国民的アイドルの地位に上り詰める前までは一部の熱狂的モーヲタ(男率激高)に支えられていた、というイメージの強いモー娘だが、大ブレイク前も女子中学生からの支持は熱かったのだ。とりあえず私の母校のバレー部では熱かった。
「LOVEマシーン」といえば、このシングルからグループに加入した後藤真希を選出したオーディション。この頃の「ASAYAN」はチラチラとチェックしていた。当時のモー娘最新アルバム『セカンドモーニング』が当たり前のように部内でヘビロテされており、私もその流れで耳にし、うっかり「お、良いアルバムかも?」と思ってしまったのだ。あのアルバム、良質で抜かりないとんでもないアルバムだと今でも思う。「LOVEマシーン」とかよりよっぽど好きさぁ。…でまぁ、あのアルバムのおかげでちょっと興味もって、オーディション見始めて。ちなみにうちの部内では、かなり早い段階で「この金髪の後藤って子が選ばれると思う」という結論に達していた。まぁ、誰が見てもそう思ったよね。あのオーディションは素人時代の倖田來未も参加してたらしいけど、彼女のことは全く覚えてないっす。去年ぐらいにそのときの映像見てびっくらこいたっす。
それにしても、あの子たちのモー娘熱、というか「ASAYAN」熱は凄かったな。モー娘だけじゃなく、あの番組から出てきた「太陽とシスコムーン」とかも応援してたもんな。あんまり売れなかったけど、良い曲多かったよね、「太陽とシスコムーン」。ていうかあの時代のつんくプロデュース作品はどれも名作扱いされてるようで。『セカンドモーニング』やモー娘から派生したユニット・タンポポのアルバム『TANPOPO 1』などね。太陽とシスコムーンのアルバムも、業界人モーヲタの第一人者であるライムスター・宇多丸大絶賛。「私の部活仲間、意外と玄人好みで高品質なモノを聴いていたんだなぁ…」という事が、後になって判明したのでした。
で、なんでいきなりこんな記事書いたかというと、ブックオフで100円で買ったタンポポのアルバム(『TANPOPO1』『All of タンポポ』)が異様にツボで。さらにニコ動でモー娘。関連のすーばらしい動画を一本見つけて。近日これらの感想も載せる予定。
モーニング娘。は、ラルクがシングル「winter fall」を出した日にメジャーデビューした。1998年1月28日。その日はhide「ROCKET DIVE」が発売された日でもあり、なかなかの慌ただしさである。当時私は小6。既にラルヲタだった私は当然、モーニング娘。に興味を持つことなどこれっぽっちも無かった。当時のモーニング娘。を語るには絶対ハズせない重要番組「ASAYAN」も見ていなかったし。しかし中学に入り、私は意に反してモー娘に詳しくなってしまった。入部したバレーボール部の同級生達が揃って「ASAYAN」及びモー娘ファンだったからである。モー娘がデビューする前、オーディションの時期から彼女達を見守っており、モー娘の知識も豊富だった部活仲間たち。練習の合間や練習終了後にみんなでダラダラと喋る時の話題はとりあえずモー娘の事が中心だった。私は殆どラルクにしか興味なかったから、もちろんみんなの会話をポケーっと聞いているだけだった。寂しい気もしたけど、会話に入るためだけに興味の無いモー娘を聴くのも面倒だったから放っておいた。
でも、聴かずともモー娘の曲は耳に入ってくる。新曲が出ると、彼女達はすぐに曲を覚え、カラオケで熱唱していたから。カラオケだけじゃない。日常的にもガンガン歌っていた。しかもパート分けをして。「あたし、なっちのパート歌うよ」「じゃあ私明日香の所歌うね」…初期のモー娘。はメインボーカルを安倍なつみと、真っ先に脱退した福田明日香の二人がつとめていたので、二人のパートを交互に歌ったりハモったりするのが部内で流行っていたのである。それらを聞いていたため、ラルヲタのくせにその当時の…98年~99年ごろのモー娘の曲が脳内にいまだに刻み込まれてしまっている。「LOVEマシーン」で一気に大ブレイクし、国民的アイドルの地位に上り詰める前までは一部の熱狂的モーヲタ(男率激高)に支えられていた、というイメージの強いモー娘だが、大ブレイク前も女子中学生からの支持は熱かったのだ。とりあえず私の母校のバレー部では熱かった。
「LOVEマシーン」といえば、このシングルからグループに加入した後藤真希を選出したオーディション。この頃の「ASAYAN」はチラチラとチェックしていた。当時のモー娘最新アルバム『セカンドモーニング』が当たり前のように部内でヘビロテされており、私もその流れで耳にし、うっかり「お、良いアルバムかも?」と思ってしまったのだ。あのアルバム、良質で抜かりないとんでもないアルバムだと今でも思う。「LOVEマシーン」とかよりよっぽど好きさぁ。…でまぁ、あのアルバムのおかげでちょっと興味もって、オーディション見始めて。ちなみにうちの部内では、かなり早い段階で「この金髪の後藤って子が選ばれると思う」という結論に達していた。まぁ、誰が見てもそう思ったよね。あのオーディションは素人時代の倖田來未も参加してたらしいけど、彼女のことは全く覚えてないっす。去年ぐらいにそのときの映像見てびっくらこいたっす。
それにしても、あの子たちのモー娘熱、というか「ASAYAN」熱は凄かったな。モー娘だけじゃなく、あの番組から出てきた「太陽とシスコムーン」とかも応援してたもんな。あんまり売れなかったけど、良い曲多かったよね、「太陽とシスコムーン」。ていうかあの時代のつんくプロデュース作品はどれも名作扱いされてるようで。『セカンドモーニング』やモー娘から派生したユニット・タンポポのアルバム『TANPOPO 1』などね。太陽とシスコムーンのアルバムも、業界人モーヲタの第一人者であるライムスター・宇多丸大絶賛。「私の部活仲間、意外と玄人好みで高品質なモノを聴いていたんだなぁ…」という事が、後になって判明したのでした。
で、なんでいきなりこんな記事書いたかというと、ブックオフで100円で買ったタンポポのアルバム(『TANPOPO1』『All of タンポポ』)が異様にツボで。さらにニコ動でモー娘。関連のすーばらしい動画を一本見つけて。近日これらの感想も載せる予定。