約一年前、情報誌『ぴあ』でL'Arc-en-Cielのkenとライムスターの宇多丸が「ヘヴィメタル」をテーマに対談していた。kenがキューンレコード所属の様々なミュージシャン達とヘヴィメタをテーマに対談するという連載企画に、ヒップホップ畑の重要人物である宇多丸が登場したのだ。キューンレコードは電気グルーヴを筆頭に、テクノやヒップホップ、レゲエなどクラブミュージック寄りのミュージシャンが多く所属していて、ラルクみたいなロックバンドは少数派。そんな違うジャンルの人々(ポリシックスのハヤシ、DJ TASAKA、KAGAMI等…)とkenがメタルについて語り合うという乱暴な組合せが好きでチェックしていたのだが、今までで一番興味深いと思ったのが宇多丸との対談だった。
メタルについて語り合う前に、ヒップホップを全く聴かずにいたkenが宇多丸に、ヒップホップの人々がどのように曲を作っているのかを尋ねる所から対談が始まった。「普通のミュージシャンの作曲作業が絵を描くことだとすると、ヒップホップの場合は既存の絵の上から別の絵を描いたり傷を付けたり切り刻んだりして手を加えたりすること」と、丁寧に説明する宇多丸。逆にメタルをよく知らない宇多丸に対して、kenは「メタルとトランスは、皆が喜ぶという意味では一緒」と解説していた。二人は同世代のはずなのに(宇多丸はkenの一つ年下)聴いてきた音楽が全くカブっていないことにかなり興味を持った。
今回のような全くジャンルの違うミュージシャン同士の対談というと「音楽と人」でのhideとコーネリアスを思い出す。体育会系ヴィジュアルバンド・Xのギタリストとシニカルかつなよなよした渋谷系・コーネリアスの珍対談。やってる音楽の方向性や彼らのファン層などが全く違う二人であったが、実は思春期までは二人ともよく似た音楽を聴き、似たような雑誌を購読するなど、意外な共通点がいくつも浮かび上がっていた。それと比べていいのかわからないが、共通点無しのken・宇多丸とhide・コーネリアスは何が違うのだろう。
ちょろっと考えてみたが、単純に出身地の問題かもしれない。滋賀・米原出身のkenと東京・文京区出身の宇多丸。米原でメタルをコピーしまくってたkenと、東京に住み、日本に輸入されはじめたヒップホップの匂いをいち早く嗅ぎ付けたであろう宇多丸とでは、同じ世代に生まれながらも取り巻く音楽の環境が全然違う。今でこそシーモを中心に名古屋など、地方出身のラッパー達が注目を集めているが、「俺は東京生まれヒップホップ育ち」というフレーズが示すように、ジブラやK DUB SHINE、DJ OASIS、ライムスター等、日本のヒップホップの先駆者達の多く、さらにそれらに続いたリップやキックその他諸々のラッパー及びDJ達の殆どは、生まれも育ちも東京。逆にロックバンドになると、地方出身者が大多数を占める。関東出身者も多いが、東京都出身はあまり見当たらないのだ。この傾向は、ヴィジュアル系バンドに限定するとさらに強まる。ヴィジュアル系って、東京出身者が全然いないのだ。ちなみにhideもコーネリアスも神奈川育ちである。
ミュージシャンの生い立ちを根掘り葉掘り聞く、音楽誌『ロッキングオンジャパン』の名物企画「二万字インタビュー」。これを読むと、60年代末期~70年代前半生まれのロックミュージシャン達とラッパー達の音楽遍歴のあまりの違いに驚く。悪そうな奴とは大体友達であるジブラの生い立ちには、ロックの「ロ」の字も出てこない。同世代のラルクがUK暗黒ニューウェーブやハードロック聴いてた頃、ジブラはKRS-ONEとか聴いてたようだ。GRAPEVINEの田中とリップスライムのRYO-Zなんて「本当に同い年!?」って感じ。地方の人はヒップホップを知らないし(知ってからも興味を持たない)、東京の人はギターを買わない。明確に分かれている気がする。また、ヒップホップの曲を作るためにはネタとなるレコードとサンプラーとターンテーブルが必要。それらを買えるだけの裕福な家庭に生まれる事と、レコードが日本一大量に売られてる東京で育つ事。これらの要素が揃わないと必然的にヒップホップからは縁遠くなる気がする。実際、ラッパー達の生い立ちを調べると、東京生まれかつボンボンだったり、高学歴だったりと、本場アメリカのラッパーでは考えられない素性が伺える。その点、ロックやりたいならとりあえずギター一本とアンプがあればOKだ。
ただ、世代が下がるとこの傾向は崩れる。パンクとヒップホップを混ぜた音楽を展開し、両方の畑を(賛否両論あれど)活性化させたDragon Ashの降谷は、Xに憧れてギターやベースを買いつつもヒップホップに傾倒していったようだし、オレンジレンジ・NAOTOは沖縄育ちにもかかわらずクラブミュージックに傾倒している。先駆者たちの実例を沢山見てきて、情報も豊富だったため、幅広いジャンルの音楽に対峙できたのだろうか。
メタルについて語り合う前に、ヒップホップを全く聴かずにいたkenが宇多丸に、ヒップホップの人々がどのように曲を作っているのかを尋ねる所から対談が始まった。「普通のミュージシャンの作曲作業が絵を描くことだとすると、ヒップホップの場合は既存の絵の上から別の絵を描いたり傷を付けたり切り刻んだりして手を加えたりすること」と、丁寧に説明する宇多丸。逆にメタルをよく知らない宇多丸に対して、kenは「メタルとトランスは、皆が喜ぶという意味では一緒」と解説していた。二人は同世代のはずなのに(宇多丸はkenの一つ年下)聴いてきた音楽が全くカブっていないことにかなり興味を持った。
今回のような全くジャンルの違うミュージシャン同士の対談というと「音楽と人」でのhideとコーネリアスを思い出す。体育会系ヴィジュアルバンド・Xのギタリストとシニカルかつなよなよした渋谷系・コーネリアスの珍対談。やってる音楽の方向性や彼らのファン層などが全く違う二人であったが、実は思春期までは二人ともよく似た音楽を聴き、似たような雑誌を購読するなど、意外な共通点がいくつも浮かび上がっていた。それと比べていいのかわからないが、共通点無しのken・宇多丸とhide・コーネリアスは何が違うのだろう。
ちょろっと考えてみたが、単純に出身地の問題かもしれない。滋賀・米原出身のkenと東京・文京区出身の宇多丸。米原でメタルをコピーしまくってたkenと、東京に住み、日本に輸入されはじめたヒップホップの匂いをいち早く嗅ぎ付けたであろう宇多丸とでは、同じ世代に生まれながらも取り巻く音楽の環境が全然違う。今でこそシーモを中心に名古屋など、地方出身のラッパー達が注目を集めているが、「俺は東京生まれヒップホップ育ち」というフレーズが示すように、ジブラやK DUB SHINE、DJ OASIS、ライムスター等、日本のヒップホップの先駆者達の多く、さらにそれらに続いたリップやキックその他諸々のラッパー及びDJ達の殆どは、生まれも育ちも東京。逆にロックバンドになると、地方出身者が大多数を占める。関東出身者も多いが、東京都出身はあまり見当たらないのだ。この傾向は、ヴィジュアル系バンドに限定するとさらに強まる。ヴィジュアル系って、東京出身者が全然いないのだ。ちなみにhideもコーネリアスも神奈川育ちである。
ミュージシャンの生い立ちを根掘り葉掘り聞く、音楽誌『ロッキングオンジャパン』の名物企画「二万字インタビュー」。これを読むと、60年代末期~70年代前半生まれのロックミュージシャン達とラッパー達の音楽遍歴のあまりの違いに驚く。悪そうな奴とは大体友達であるジブラの生い立ちには、ロックの「ロ」の字も出てこない。同世代のラルクがUK暗黒ニューウェーブやハードロック聴いてた頃、ジブラはKRS-ONEとか聴いてたようだ。GRAPEVINEの田中とリップスライムのRYO-Zなんて「本当に同い年!?」って感じ。地方の人はヒップホップを知らないし(知ってからも興味を持たない)、東京の人はギターを買わない。明確に分かれている気がする。また、ヒップホップの曲を作るためにはネタとなるレコードとサンプラーとターンテーブルが必要。それらを買えるだけの裕福な家庭に生まれる事と、レコードが日本一大量に売られてる東京で育つ事。これらの要素が揃わないと必然的にヒップホップからは縁遠くなる気がする。実際、ラッパー達の生い立ちを調べると、東京生まれかつボンボンだったり、高学歴だったりと、本場アメリカのラッパーでは考えられない素性が伺える。その点、ロックやりたいならとりあえずギター一本とアンプがあればOKだ。
ただ、世代が下がるとこの傾向は崩れる。パンクとヒップホップを混ぜた音楽を展開し、両方の畑を(賛否両論あれど)活性化させたDragon Ashの降谷は、Xに憧れてギターやベースを買いつつもヒップホップに傾倒していったようだし、オレンジレンジ・NAOTOは沖縄育ちにもかかわらずクラブミュージックに傾倒している。先駆者たちの実例を沢山見てきて、情報も豊富だったため、幅広いジャンルの音楽に対峙できたのだろうか。