さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

この道はじじいもエリーも好きな道

2013-12-26 | 日記


 じじいが紅葉にレンズを向けているとエリーは「なにしてるの」と待っています


 この道は国道49号線を強清水に向かって登り切ったところから鍋沼に向かう水路脇の山の道です。

 春の新緑は美しいし、夏は道脇に山百合咲いて薫ります。そして秋の紅葉もきれいです。なによりこんなきれいな道に人の姿がないのが嬉しいです。エリーがノーリードで歩ける山の道ですから。大事なエリーとじじいのなじみの道でした。

 ススキの秋の釜沼の水はきれいです。エリーはここで遊ぶのが大好きです。時には鍋沼を一周するときもありました。「洗ってこい」そういうとエリーは喜んで沼に入って遊びます。



 しばらく休んで「帰ろうか」といううと先の白い尾っぽを高くあげて10mくらい先を帰っていきます。帰りの道筋はちゃんとわかっています。白い尾を高く上げるのは先頭で橇をひく犬のしるしなのかもそれません。



 万が一人の姿が見えた時は「待て」「お出で」と言えばすぐにとんできてじじいの左についてリードをハーネスにつけさせます。なんの心配もない秋の楽しい散歩道です。

幸せの恋のレオとエリーです

2013-12-25 | 日記


 青いハーネスをつけているのがエリーです。赤いハーネスがエリーの恋人(恋犬)レオです。

 エリーが二歳の頃偶然ですけど大きな出会いがありました。生後一歳になったばかりの若犬レオに出会うことが出来たのです。

 町の裏通りを散歩しているとき若いハスキー犬を連れた奥さまの[I]さんと出会いがしらお会いしたのです。ハスキー犬を連れていらっしゃった奥さまは一瞬たじろがれて道脇のおよけになりました。でもハスキー犬同士です、すぐに仲良くなって一緒に散歩を楽しみました。そしてエリーとレオは大事な仲良し犬になり、飼い主の私たちは親戚同士のようなおつきあいするようになりました。



 誰も人のいない川辺ではエリーもレオもリードフリーで楽しんで遊ぶようになりました。でも、二歳のエリーと一歳になったばかりの若犬レオです。エリーがねいさんでレオは弟です。いつもエリーがリードしてレオは素直にあとについていろんな事をエリーから教わっていました。





 
 でも仲のよい二人(二匹)の関係が少しずつ少しずつ変化してきたのです。レオが二歳に近くなる頃にはリードはレオがとるようになっていました。疾走する二人(二匹)です。



  
 レオが二歳の立派な成犬になった秋頃にはレオがリードをとるボス犬になっていました。




 もう二人(二匹)は恋人(恋犬)同士でした。


 
 レオに甘えるエリーです。


 レオのお家はエリーの家から2kmほど離れた町にありました。私がエリーに「今日はレオのところへ行こうか」というと喜んでまっすぐにレオ君のところに行くようになりました。


 
会いたかった・・ささやきあうエリートレオです。


 
レオとエリーと私と川辺で遊んだ懐かしい夏の思い出です。



 
 レオはエリーが亡くなって4年後に亡くなりました。ご主人と奥さまはそれを悲しんでレオの遺骨を1年間御仏壇に安置して供養なさいました。1年後にお家の庭の小さなお墓にレオを埋葬される時は私もお招き頂いてご一緒に涙を流させて頂きました。

 レオは雄犬ですから大型犬なのに内飼いでご夫婦の愛を一身に受けて一生を暮らしたのです。 

 エリーもレオも避妊手術を受けていました。だから赤ちゃん犬が出来る心配あはありませんでした。

取りあげ峠の尾根筋でエリーが姿を消しちゃって

2013-12-24 | 日記


 高寺山(401m)への登山道の取りあげ峠から尾根筋を登って旧スキー場へ抜け糸桜里の湯におりる山の道はシュンランやアズマイチゲなどの春の花、秋の紅葉などを楽しめる40分(老体の今は120分)ほどの楽しい山の散策の道です。

 エリーも生後1年6ヶ月、もうしっかりした若犬です。この道を一緒して見ることにしました。山の道は初めてですし、それに取りあげ峠までは高寺山の登山道ですから人に会う可能性があるのできちんとリードをつけて登って行きました。山には野ウサギもリスもそれにこの山ではテンもすんでおります。エリーは山の道に興味津々の様子でした。

 取りあげ峠から旧スキー場への道は人に会う心配はありません。急な坂を登り切ったところでひと休みしました。そしてエリーに「遊んできな」といってリードをはずしてやりました。初めはなんか不安そうでしたけどやがてなれて嬉しそうに森の中に姿を消しました。でも私は平気でした、里では犬笛を吹けばとんでくるエリーでしたから大丈夫と思っていたのです。

 しばらく休んで10分、さて出かけようと犬笛を吹きました。でもエリーは帰って来ません。

20分、エリーは帰って来ません。不安になりました。立ち上がって犬笛を何度も吹きましたけど帰ってきません。

 30分しても帰ってきません。野ウサギの匂いを追って遠くへいってしまったみたい。どうしょう胸が動悸してあちこち走りまわって犬笛を吹き続けました。

 40分、シベリアンハスキー犬のエリーは山の自然で野生に目覚めオオカミになったのかも知れない頭が混乱して自分が自分でなくなりました。

 50分、帰って来てくれエリー、不安・悲しみ・胸の動悸、山の坂道の辛さなど少しも感じません走り廻って犬笛を吹きました。でも森は静かでした。私の世界が真っ暗になりました。

 1時間10分、疲れ切った私は山の道に座って泣いていました。

 1時間30分、仕方がない、山を下りて車で待っていよう、必ず帰って来るだろうし、もし帰って来なくてエリーがオオカミになったんならそれはそれでエリーは幸せかも知れない。そんなことを考えながら呆然として私は山を下りました。

 そして5分・・ふとうしろになにか気配を感じて振り向くと、なんとエリーが猛烈な勢いで走ってくるのです。おいて行かれては大変と思ったんでしょうね。

 私の心の世界が開けて喜びに輝きました。「おりこちゃん、おりこちゃん」と繰り返し叫んでエリーを抱きしめました。そしてエリーは一心に涙顔の私をなめてくれました。わたしはそのときエリーとほんとに心がつながったんだと思いました。

 それからのエリーは山の道でリードをはずしても私から離れずに散歩するようになりましたし、犬笛を吹けばとんで来るようになりました。

 若かった頃の私はゲレンデスキーに夢中でした。でもエリーと一緒するようになってからはゲレンデスキーをやめて歩くスキーを履いて雪の里山をエリーと楽しむようになりました。 ハスキー犬は橇をひく犬です。エリーは雪原をあまりぬからない走ることができるのです。あるときエリーは野ウサギの匂いを感じて雪の藪から追い出しました。雪の上の野ウサギ身軽です、エリーが全力で追いかけても軽々逃げて姿が見えなくなりました。それを追いかけてエリーも姿が見えなくなりました。でも私は平気でした。犬笛を吹けば1分もすれば山の尾根筋から必死にエリーが走ってくることを知っているからです。心臓を破裂するほどにとどろかせて帰って来たエリーを私は笑って見ていました。


私のエリーはこんなにかわいい女の子

2013-12-23 | 日記


 
 エリーは幼犬時代、厳しい冬の寒さも自分のお家と湯たんぽで乗り切って生後1年3ヶ月、こんな可愛い女の子になりました。

 私のエリーの一ヶ月、私はひたすら私の愛情いっぱいをエリーに注ぎました。そしてエリーはひたすら私の愛に応えてくれました。家にいるときも散歩の時もエリーは精一杯に私とばばちゃんに甘えてくれました。私が車まで出かける時はいつも後部座席の毛布の上で一緒しました。

 でも、家族になって2ヶ月目、エリーが生後5ヶ月になった頃から少しずつ少しずつしつけを始めました。

 私の頭の中には次のようなことがありました。

(1) シベリアンハスキー犬は厳寒のシベリアの冬の雪原で犬ぞりを引く犬種であるが、オオカミにもっとも近い犬種でで鋭い野生の能力と激しい気性をもっていること。

(2)オオカミは集団で生きている動物で厳しい序列の中で生きている。オオカミの子孫である犬は飼われて家族になるとその家の序列の中での自分の位置を決めて行動するようになる。もし飼い主の扱いが間違うと犬は自分がその家のボスと思い込みわがままいっぱいになって手がつけられなくなる。

(3) 私はワンちゃんとの散歩で愛犬に長いリードをつけて引っ張り廻されてる飼い主にはなりたくない。

(4) 多くの人の中には犬が嫌いな人、犬が怖い人がいる。公園や町中など少しでも人の姿のあるところでは愛犬のリードを短く持ってきちんと左につけて人の迷惑にならないように歩あるかなければならない。

 そう思ってエリーが家族になって2ヶ月頃(生後5ヶ月)から少しずつ少しずつ、でもきちんとしつけて行こうと思いました。猟犬とか介護犬とか警察犬のような特別な犬にするためではなく、ただ可愛い家族としてのしつけ、私と家内の指示をきちんとまもり人の迷惑にならないためのしつけですからそんなたいそれたしつけではありません。

 おすわり・お手・伏せ・まて・つけ(散歩で左につく)・呼び (お出でや犬笛で素早く飛んでくる)以上の4つが出来れ充分と思っていました。

 エリーは簡単にそれらを覚えてくれたわけではありません。ご褒美の餌と、愛撫と、「おりこちゃん」のことばで少しずつ少しずつしつけて行きました。もちろんやっていけないことには厳しい「だめ!」との叱責、時には伏せをさせての厳しい叱責もありました。

 猟犬ではありませんから「もってこい」などというしつけは必要ありませんけど、呼びの訓練のひとつとしてボールをなげて拾って来させるしつけもやりました。遠くにテニスボールをなげて「持ってこい」というととんでいって得意になってもって来るようになりました。しつけというよりエリーには楽しい遊びでもありました。



 そしてしつけではありませんけど散歩の折にはいつもエリーにことばを掛けていました。「みぎだよ」「左だよ」「上にいこう」「帰ろうか」「きれいな花だ」「誰かいるね」・・・などなどわかろうがわかるまいがいつも話しかけました。

 生後1年3ヶ月頃は誰もいない野や川辺や山の道ではもうリードは必要なくなっていました。右だよ、左だよ、上だよ、待て、お出で・・そんな必要なことばをいつのまにか覚えていてくれたのです。

 誰もいない川辺でエリーに「洗ってこい」というと喜んで流れの中に飛び込んで遊びました。そして「帰るよ」と呼ぶとすぐに飛んで帰って来るようになっていました。



 でも、1年6ヶ月頃誰もいない「取りあげ峠」の頂上で大変な目にあいました。でもそれは私とエリーの絶対の信頼が生まれれる出出来事でもありました。

可愛いくて じじいを見つめるエリーの目

2013-12-22 | 日記


 
福島市のあるペットショップで初めてエリーに会いました。

 
私に抱かれ私にエリーと名づけられた瞬間エリーは私の大事なエリーになりました。


 この写真は家に帰った次の日のエリーの写真です。信頼いっぱいの目がおじいさんと言っています。そして家内(今のばばちゃん)にも甘えて足に戯れつきました。

 20数年前の秋の頃でした。それから12年、私とばばちゃんとエリーは大事な家族として一緒に暮らしました。楽しく幸せな12年でした。

 その当時はワンちゃんは外飼いが普通でした。それにエリーはシベリアンハスキーで大型犬に近い中型犬です。当たり前のように外飼いになりました。

 でも、私は可愛いエリーをチェーンにつないでおくことに耐えられませんでした。せまい庭の中に10m四方ほどのサークルを業者に頼んでつくってもらい、その中に自転車を置くビニールハウスをコメリーから買ってきて組み立て、その中に成犬になっても充分耐えられる大きなワンちゃんハウスを入れ毛布を敷き、夜は湯たんぽをいれてやりました。

 エリーはすっかりその家に満足して昼はサークルの中のイヌツゲの下を自分の居場所にきめ、夜はビニールハウスの自分の家で眠るようになりました。

 不思議なことに、エリーはサークルのドアを開けておいてもじじいがリードを首輪につけて「散歩だよ」と言わなければ決して外には出ませんでした。そして散歩から帰るとまっすぐ自分の家に入りました。

 サークルと、サークルの中のビニールハウスがエリーの大事なお家になってエリーは12年間そこに暮らしたのです。今は エリーのお墓はサークルの中にあってきれいな花が咲いています。