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歳の神、幸の神、さいのかみ、
正月の15日の夜、それぞれの集落で、それぞれの人たちが、ひとりひとりの幸せを祈って燃やす聖火です。
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可愛い集落の子供たちがそれぞれのお家を回って正月のお飾りや藁を集め、若いお父さんたちが作った歳の神の炎です。
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真っ白な雪の中に昨年のいろんな思い出を集め、新しい年への祈りを込めて歳の神の炎は燃えあがるんです。
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集う集落の人々のいろんな思いと敬虔な祈りの中に尊い炎は燃えさかるのです。
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昔から歳の神の炎で焼いた餅やスルメを食べた人は健康に過ごせると言われています。
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ボクだって、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、可愛い弟や妹のために餅を焼くんですよ。
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暖かく燃えあがる歳の神の炎中で集落の人たちの幸せがいっぱい輝いているんです。
旧暦正月15日は望(もち)の正月です。14日はみつのきに団子をさし、雪の上に藁で田植えのまねびをし新しい年の豊穣を祈る日でした。旧暦では歳の神の夜は満月だったんですね。
歳の神は所によって呼び名や形など違うようですね。
私が幼い頃過ごした大川村小立岩(現南会津町)では「せえの神」と呼んで村外れに子供たちが橇で正月の飾り松や藁を集め、若者たちが大小二つの円錐形の歳の神を作りました。
どういう訳でしょうか、おいのり後おとなの人が火をかけるのですが、子供たちがそれを消して回っていました。でもやがって燃えあがる歳の神の火に子供たちも喜びの声を上げていました。
私の古里只見町では歳の神を「おんべ」と呼んでいました。
村外れに、子供たちが飾り松や藁を集め、若ものたちが大小二つの「おんべ」を作るのは同じでしたけど、大きく違う所は「おんべ」は杉の木の高い心柱を立てそれに藁を巻き付け頂に御幣をつけた見事な藁の飾り柱をつけていました。やがて火をかけたとき焼け上がる火の柱が見事でした。
私は民俗学のことは全く分かりません。
でも、何となく歳の神は、心の中で賽の神に思えてなりません。幼い頃の思い出に大宮村木伏(現南会津町)に大きな木の柵で近づけられないようにした囲いの中に「さえのかみ様」が祭られており、そのご神体は巨大な石で出来た男女の性のシンボルであるときいたことがあるんです。でも子供は見てはいけないものだったようです。
そして、残された数は少ないけれども集落の外れに「さえのかみ」と呼ばれる双体道祖神を子供の頃目にしました。
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会津三島町大谷の道祖神です。男神はとっくりを、女神は盃を持っています。所によっては男女で餅をついている双代道祖神もあると聞いています。
(三島町散歩からお借りしました)
私の幼い頃、只見町の新しい家の「ぐしあげ」(家の屋根の一番上の横木を据えて家の完成を祝う)にはぐしの東に男性の、西に女性のシンボルを掲げ、ぐしもちと呼ぶ三角に切った餅をまきました。その餅を食べると健康で幸せに暮らせるといって争って拾いました。どこの家でも古い家ではすすけた男女のシンボルがぐしの両端にしっかりと控えて家族を悪病神から守っていたのです。
「おんべ」も歳の神も大小の双体ですね、その火で焼いた餅を食べるとけんこうで幸せに暮らせるのです。
遠い昔、男女のシンボルは聖なるもので集落や家を「はやりやまい」やいろいろな災害の悪病神から守っていたような気がするんです。悪病神は聖なる双体の神を見ると恐れて逃げ去ったんだと思うんですよ。
そんなおかしなことを考えながら老体の爺は歳の神で焼いた餅を食べ固いスルメを食べました。今年も健康で過ごせるなと思いながら。
師匠古川先生の友人でした。
なつかしいkさんです。お元気でいらっしゃるんでしょうか。
でも、只見生まれの私や、多分只見の人はみなおんべは歳の神の頂につける御幣だけではなく歳の神全体のことだと体感しているんですよ。
写真で見ると三島町の歳の神も只見の歳の神も同じお蔵入りですから形はほとんど同じですね。