さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

 活着した苗田の緑

2021-06-03 | 日記

広々と遠く静かな村が見えてます

 

農村の圃場の新しい年が歩み始めました

昔の人は言いました。米と言う字は八十八と書く。だから6月に植えた苗は90日愛育して3ヶ月後には稔って米になる。なんか上手なこじつけ見たいな話ですよね。

一升の米(約1.5kg)なんか今の人達は特別な感懐なぞあるはずがありません。何ほどもしないお金で買えますから

ご飯を炊くには3合ほどの無洗米をさっと洗い流して炊飯器に入れて炊く、食べ残したご飯もさっと洗い流っしてご飯粒が流れても気になりません。これって私の家のことです。私もばばちゃんがデーサービスの日にはちゃんと炊事も食事後の後片づけも私がしますから、つまり私のことでもあります。

でも父や祖父達が「米と言う字は八十八なんじゃ」という思いには米は百姓が泥にまみれて汗を流して育てて出来た尊いものなんだ。一粒だって粗末にしてはいけないというモラルみたいなものがあったんですよ。祖父が生きていて私が無洗米をさっと洗って炊飯器にいれるのをみたら、にくにくしげに「しっかりと米を研いで何度も洗いなげせ!」 流し台にご飯粒が散らかっていたら馬鹿もん拾って食べろと叱ると思います。

いいか悪いか別として時代は移っていくんですね。ほんとは私だってあの狂気の戦争が終わった後の数年間はやっと手に入れた玄米を壜にいれ棒でつついて白米にしましたし、寄宿舎に帰る時は家から頂いた大事な1升の米を少しずつ炊いて食べて飢えを凌いだ記憶が鮮明にあるんです。1升の米はそれはそれは貴重なものだったのです。

でも恥ずかしいことに94歳になったいまの私は無洗米をさっと手でかかきまわしてご飯に炊いています。炊飯器の鍋に残ったご飯粒はさっさと洗い流しています。へたに無洗米を手でごしごし研いでいればばばちゃんに叱られます

時代は流れてゆきます。でもどこに 流れ着くのかは私には分かりません。


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