私は散歩の折々いつもこのお優しいお姿の観音様に手を合わせてお祈りしております
交通安全観世音菩薩
「慈眼視衆生」
と台座に記され後ろにある趣意書には昭和五十二年八月建立とあります。
趣意書には「近年における産業経済の目覚ましい発展と共に自動車の交通量も急速に増加したが、それに伴い交通事故による痛ましい死傷事故が続出し、平和な家庭生活が破壊され、一瞬にして路頭に迷い悲嘆に暮れる家庭も少なくない現状である。かかる時に不幸な犠牲者の冥福を祈り、交通事故防止を祈願する為宮川のほとり景勝の地に交通安全観音像建立を発願勧請した・・後略」とあります。
昭和40年(1965)中頃から自家用車が普及し始め昭和50年台に入ると急速に自動車の交通量が増え交通事故が増加してきました。当時の道路事情は劣悪でしたし、自動車を運転している人はもちろん、歩行者の意識も急増する交通事情に適応していませんでした。
昭和30年台頃までは自動車の数も少なく自動車を運転する人は「そこのけそこのけ車が通る」の意識があってクラクションを大きく鳴らして歩行者を除けさせていましたし、歩行者もそれを許していました。交通事故の被害者への保証も今のようには手厚くはなっかたように思います。そんなこんなで50年台急速に自動車の交通量が増加すると死亡事故を含めて交通事故が激増し、「死傷事故にあった被害者の家庭生活が崩壊し一瞬に路頭に迷う」ようなこともあったのかも知れません。
緑公園入口の県道のこの場所にこの観音像建立が発願されたきっかけはこの場所で悲惨な死亡交通事故があったからでした。あれから39年たった今も毎日欠かさず美しい花が捧げ飾られております。それはあのとき事故死された方の奥様が毎朝花と水を持ってお参りなさっておられるからです。それだけ悲しみとご主人への思いが深いんでしょうね。私はお会いするたびご挨拶しております。
でも今はもうこの観音様にお参りする人は交通事故関係の方ばかりではありません。緑地公園においでなった方をはじめたくさんの方がお参りなさっているようです。
そのためにお亡くなりになった方の冥福をお祈りする為の菩提車や小さな鐘を下げた塔や、悪い夢を食べてくれる獏の石像や、綺麗な椅子も備えられお祈りや休憩のよい場所になっているようです。
私はよくここでお祈りをしたり、休憩をしながらカメラのレンズを変えたりセットを確認したりする大事な場所にしております。美しい観音さんに見守られながらです。
京都には町のそこここにたくさんのお地蔵さまが祭られています。
仏像も地蔵さんも観音様も、拝まれてお顔も変わるとか…。
みなさんの心が向かう観音様なんですね。
でも新しく公園などに建立された観音さんや、古いものや新しいものなどあちこちのお立ちになってるお地蔵さんなどは皆さんに親しまれ拝されております。お地蔵さんなどは熟年の女の方などに愛され信仰されてみんな可愛い帽子や衣装をまとっています。
おっしゃるようにお地蔵さんも観音さんも多くの人に親しまれ拝されているうちに尊くお変わりなさるんでしょうね。