さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

土手の春のはっかけ菖蒲がおいしそう

2013-04-10 | 日記
 会津野の春はのどかです。



 散歩から帰ったじじいの写真を見てばばちゃんが「あっ、ハッカケショウブだ、美味しそう」といいました。



 実はこれ、ヤブカンゾウの若草です。
 じじいもばばちゃんも奥会津只見の出身です。もうふる里を出て半世紀も過ぎていますけど、じじいとばばちゃんが子供のころはこのヤブカンゾウの若草をハッカケ菖蒲と呼んでざるいっぱいに摘んでおひたしにして食べました。野草といえばみなかすかな苦みを楽しむものですが、ヤブカンゾウの若草は苦みがなくかすかに甘みのある美味しい春の野草でした。

 子供頃の奥会津の冬は2メートルを超す豪雪地帯でした。70年も昔のことですから除雪車などはありませんでした。隣村に行くにはかんじきを履いて歩いて出来た細い雪の一本道を藁靴を履いて往来していたのです。2メートルもある積雪の上の道はゴム長靴などでは滑るしぬかってしまい「げんべい」と呼ぶ藁靴でないと歩けなかったのです。

 だから、今なら真冬でも車で1時間半もあれば行ける汽車の駅のあるところまでを冬は徒歩で一泊二日しなければ行けませんでした。

 物資や郵便物は逓送(ていそう)と呼ばれる郵便局に雇われた人たちがキャラバンを組んで郵便局間を往復して運んでいました。村から村への雪の一本道はこの人たちがつけたのです。

 当然、冬の間は野菜とか魚など食料は外部からは入ってきません。それぞれの家で雪の降る前に「秋揚げ」といって鰊などの乾物をたくさん購入して保存したり、野菜などは藁で囲んで保存する「にょう」と呼ばれるものや、囲炉裏近くの穴蔵に入れて保存したりしました。

 そしてひっそりと雪に埋もれた家の中で囲炉裏の火を囲んで藁仕事など(藁で縄をなったり、ムシロを織ったり「げんべい」やわら草履を作ったり、夏の間に取って老いた「ひろろ」と呼ばれる草で蓑を作ったり、マタタビの蔓を裂いてざるを作ったり)をして過ごしました。子供たちはテレビはもちろんラジオもありませんから炬燵でおじいさんやおばさんにせがんで昔話を聞いて楽しみました。同じ話をなんど聞いても新鮮で楽しかったのです。

 そして、雪消えの春の頃は野菜の保存は少なくなりわずかに残った「にょう」の中の大根と漬け物ぐらいになるのです。

 だから雪消えの子供たちが、あさずきや蕗の薹やハッカケ菖蒲やカタクリの若草を摘むのはの大事なそして楽しい仕事でした。

 今ではヤブカンゾウの若草などたれも食べませんけど、奥会津生まれのじじいは大事な懐かしい若草だと思って写真に撮るし、ばばちゃんはそれをみると歓声を上げてしまうのです。

 ついつい、70年も昔のことが懐かしくなって書いてしまいました。

 夏に咲くヤブカンゾウの花です


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2 コメント

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春の野草 (kei)
2013-04-10 21:15:08
ヤブカンゾウの若草をハッカケショウブと言い、春先には野菜の代わりになる大事な野草でもあったのですね。
雪に生まれて外遊び所ではなかった時期を抜けて、
それらを摘みに出る子供たちの声は嬉しそうです。

毎日伺えるお話は、大切な記録になりますね。
さんたろうさんのゆったりとした口調のまま、おこたに入ってお話を聞いてるような感じもします。
もっと話してと、子供でなくてもせがみたくなるような…。
絵を見てるように光景を想像しますが、絵本にできそうです。
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Keiさん (さんたろう)
2013-04-11 08:02:25
つまらぬじじいの文章をこんなして読んで頂けるなんて感動です。ありがとうございます。

 私のつまらぬ文章よりKeiさんのコメントがはるかうつくしく、あぁそうなんだとあらためて読み返しているじじいです。
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