さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

君の好きなアザミの花が綺麗に咲いてるよ

2017-06-17 | 日記
堤の道で私は亡き友に独り静かに語りかけました。



遠い日に堤の散歩道で友になった君でしたけど優しい心の友でした。あなたと分かれて20年近くなるんですけど、大事な大事な思い出の友でした。

町の水道工事会社の社長さんでしたけど、君はいつも大型のジーゼル車をあざやかに運転していましたけど、いつも誇らしげに「おれは家庭からでる食用油の廃油で走っているんだよ。」と言っていました。

思い出すと当時は「地球の化石燃料はやがて掘り尽くされて必ず枯れてなくなります。大事に使いましょう。」「家庭から出る食用油の廃油は捨てると圃場の用水をよごします。それぞれの家庭からでる食用油の廃油はそれぞれの地区の決められた場所に置かれた容器に入れましょう。町でその廃油を綺麗にして精製してジーゼルカーの燃料にします。」

また「牛乳パックは優れた紙パルプで作られています。集めて再生し紙パルプにします。シベリアの森林やアマゾンの豊かな森は切り開かれて自然が破壊されています。豊かな自然を守るために牛乳パックは捨てないで集めましょう。地球の大事な資源を大事にしましょう」町の広報誌は各家庭にそう呼びま懸けていました。

今考えれば家庭から出る食用油の廃油など車社会で消費されるガソリンや軽油の量に比べればほんとに微々たるもので廃油の精製費用から考えても経済的には成り立つはずはないだろうし、牛乳パックを再生して紙パルプを作るのも同じだと思います。ですから今はそんなことは行われていません。自然の成り行きだと思います。

でも私たち当時の庶民は真面目に食用油の廃油や牛乳の紙パックをきめられた場所の容器に運んで地球の資源保護に役立てることが出来たと真面目に思っていました。いい時代でした。誇らしげに精製され再生された食用油で大型のジーゼル車を走らせている会社社長などがいる20年前の日本は平和でした。

また友は会社の広い二階を剣道の道場にして村の子どもを集めて指導していました。当時の集落にはたくさんの子どもたちがいて友は優しいけど厳しい尊敬される先生でした。

ある日のこと二人で堤の道を散歩していると友はぽつんと「俺の好きな薊の花がすっかり堤の土手から消えてしまって淋しい。キャタビラのついた大型の草刈り車がすごいスピードで土手の草を一斉に刈り飛ばしているからなんだ」と淋しそうにいうんです。
無粋な私など気づきませんでしたけどそう言われて見ると広い土手からアザミの花はすっかり消えていました。

私にも友にも数十年昔の堤の土手の思いがあったんです。当時はそれぞれの農家では皆大事な家族としての農耕馬が飼育されていました。堤の土手は馬の大事な飼料としての草刈り場で集落で協同で大事に管理されておりました。ですから堤の土手の草は馬の飼料になる草がしげり、アザミの花やヤブカンゾウの花やオドリコソウの花や萩の花の一株などの花々をなども見ることが出来たのです。

「堤の土手からアザミの花が消えて淋しい」そうつぶやいた友はそれから間もなく事故で亡くなりました。そしてもう20年近くが過ぎました。

今日堤の土手の道の散歩で見事なアザミの花の一株を見つけました。そして懐かしい友のことが思い浮かびました。

「アザミの花が咲いてるよ」
「こんなに綺麗なアザミの花が咲いてるよ」


私は懐かしい友に語りかけながらシャッターを切りました。うっすら目がうるむ私独りの散歩道でした。アザミの花が綺麗でした。