みかどん育児日記

自由を愛するみかどん(7才)を育児中のワーキング・マザーの日記です。

最近のお絵かき

2011年03月31日 | みかどん
何も教えていないけれど、なかなかみかどんは
お絵かきが上手だと思う親バカ2名です。

幼児教室のクラスでも模試でも、お絵かきは
ほぼ満点(まぁお絵かきに点数をつけること自体
ナンセンスだと思うけれど)。
絵の上手下手が採点のポイントではなくて、
「自分の描きたいものが明確にあり、それを
表現しようと試みているか」がポイントなのだそうけれど。

お受験はさておき、子どもの絵は、子どもの精神状態を如実に
表すものなのだそう。ストレスを抱えた子どもは、
黒など暗い色調で暴力的な絵を描くと言われているし、
確かに、みかどんの幼稚園でのお絵かき帳をめくると、
なんと2頁のみ、真っ黒でぐるぐる描いてある恐ろしげな
部分が…きっと私が怒った後なのでしょう(涙)

最近、自宅でDVD(Brave Little Toaster、旧式の電気機器が主役の
ディズニー映画)を見ることが多く、上手にキャラクターを描いていました。
しかしこれ、分かる人にしか分かりませんね、すみません。
左端の緑は掃除機、中央の銀色はトースター、オレンジはランプ、
右下の黄色は電気毛布、赤はラジオです。



昨晩、お友達とデニーズで食べた際、紙のシートの裏に
描いた絵。一日中仲良しさんと遊んで楽しかった様子です。



しかし、その紙の裏には、「しんぶん(新聞)なの」と言いつつ描いたものが…
写真には入れていないけれど、ヘッドライン(?)には、
「いちもくさんにはしってきた(後不明)」、
絵だけ見るとよく分からないと思うので、みかどんの表現を借りると
「げんしりょくはつでんしょ(原子力発電所)とだいいちごうき(第1号機)に
水をかけているところで、左上の赤いものはヘリコプター」…。



震災から1週間、移り変わる状況をテレビの前でかいつまんで説明していたので、
すらすらと難しい名前を言うことに驚きました。

台湾出張中、テレビを子どもに見せないようにとのニュースを読んで、
しまったと思い、それ以降は見せないようにしていましたが、
やはり子どもには忘れ難い印象を与えてしまったのでしょう…
幸いなことに、夜泣きをしたり、母から離れないという
ことはないのですが。

被災地にいないみかどんにとっては、震災・原発よりも怖いのは
怒った母の顔なのでしょう…。
今日も、私が怒った後、
「ままごめんね みかのせいら(注:だ)よね」と書いた折り紙を
持ってきたし…涙、涙。

その後、「ごめんね」折り紙を使い、親子3人の姿を作っていました。
ティッシュでつけてあるものは「天使の羽根」なんだそうです。



みかどんのお絵かき上手をアピールしようと思ったのに、
結局母の反省で終わってしまいました。

近況

2011年03月31日 | みかどん
地震、原発の影響で春休みの預かり保育が中止となり、
みかどんの預け先をどうするか毎日苦心しています。
こんな状況ですから、シッターの手配は難しいのです。

両親にもかなり負担を強いているので、一昨日は児童遊園に
PCと資料をかついで行き、みかどんが遊んでいる間ベンチで
仕事をしていたところ、同じクラスの仲良しさんを発見。
ママは「それならうちで明日も預かってあげる!」と即答して
くれて、本当に天の助けでした。ありがたい。

昨日は朝からみかどんは嬉々としてお友達の家に行き、
また同じ児童遊園で沢山遊んだ様子。お陰さまで私は心おきなく
仕事に集中することができました。
お迎えに行ったところ、夕食も一緒にとりたいとみかどんが
駄々をこね、近所のデニーズで皆でわいわいと楽しく夕食を
とりました。

今日はなんとか自分でみかどんを見なくてはと思い(両親は
また明日お願いしてる…)、例の児童遊園に連れて行き、
キーボードを叩いていたところ、午後にわか雨が。
仕方なく家に戻り、その後バレエに連れていった合間、
ようやく職場にちらっと顔を出すことができました。

来週はしょっぱな、また両親に頼みますが、その後はまた
お友達に頼もうかな…。幼稚園は4月8日に始まる予定ですが、
この様子では当面午前保育が続きそうです。
4月からは短時間でもよいので連日職場に顔を出す必要が
あり、幼稚園、仕事、そしてお受験との両立ができるのかどうか、
いささか不安であります…。

お受験については、震災後、塾も休校となり、また家で勉強する
精神的・時間的な余裕も全くなかったのですが、色々と
考えるところがあり…。髪を逆立ててお受験にまっしぐら、という
よりも、もっと大切なことを子どもに教えられるのではないかと
いう漠然とした気持ちが出てきました。

とはいえ、今日10日ぶりにスケジュール帳を整理していたら、
今週末に模試が一つ、そしてクラスも再開することが判明し、
ついピリピリしてしまい、みかどんを泣かせてしまいました。
とはいえ、私が台湾に行っている間、一日3時間半も頑張って
春期講習に行ってきたみかどん。頑張っていたのに悪いことを
してしまった…

鬼母になるくらいならお受験やめた方がいいと、頭のどこかで
声がするのですけれど、一方で、あと半年なんとか親子で
頑張ってみたいと思う気持ちもあり。先日まではお受験に
向けて頑張ると気持が固まっていたのに、地震の後、色々と
気持ちが揺れて複雑です…。



心の余裕のなさが子どもにいってしまう

2011年03月23日 | みかどん
今晩、無事に自宅に戻りました。

空港には両親とみかどんが車で!お迎えに来て
くれました。みかどんには始めての経験で、
「ママ、ママ~」と飛びついてきたので、
やはり我慢してきたのでしょう。

今回のみかどんへのお土産は台湾のおまんじゅう?だけ。
1月のパリ出張で相当甘やかされたので、今回のお土産は
何かと相当期待していた様子だったけど、
プーさんの絵がついたおまんじゅう1箱で納得して
くれました…。

自宅に戻る途中、明日の食糧を買おうとコンビニに立ち寄りましたが、
やはりモノがないのですね。
あぁ、日本に戻ってきたなと思いました…。

帰宅したのが20時過ぎで、私は荷物の整理や仕事など
あれこれやることがあるから、みかどんにも早く
寝てほしかったのだけれどお、お昼寝をしてしまった
みかどんは元気いっぱいで、寝室に散らかった私の
スカーフなどを畳んだり、お片付けに精を出してくれました。

でも、早く寝てほしい私としては、ついイライラして
言葉を荒げてしまい…22時までに済まさなくてはいけない
生協の宅配注文が間に合わなかったので、みかどんに
ひどくあたってしまいました…。
食糧の調達が厳しい中、生協は本当に有難い存在なので
(欠品も多いですけど)、来週来ないとなると、
色々と困ることが出てきます。

数日間お留守番を我慢してきた娘にもう少し優しく
できないものかと、自己嫌悪です。

これから日本に戻ります

2011年03月23日 | みかどん
今、台湾の松山国際空港です。
3泊4日という史上最短の出張から戻るところ。

精神衛生上あえてNHKを見ず、CNNなどを
見て過ごしましたが、また今朝から地震が
再発しているようです。
東京も震度3が何度か起こったようで、
少々心配になりました。

出発前までは少々神経質になりすぎて、心配
しすぎたかとも思っていたけれど、やはり今回は
途中帰国にさせてもらったのは正しい決断だったと
感じました。

そして、また緊張の強いられる生活(とはいえ
被災地の方々のご苦労とは全く比べ物に
なりませんが)に戻るのかと、台湾でゆるんだ
気持ちを引き締めなくてはと思いました。

なぜか腰痛になってしまい、座っているのがしんどい
状況(先日公園で思いっきり転んだせいかしら)。
今日からは背中にも痛みが上がってきました。
帰国後、少しケアをしなければと思うけれど、
溜まった仕事にみかどんのケア、その他もろもろで、
自分のことは後回しにせざるを得ません。

みかどん、あともう少しで帰るからね。
不安な時期によく頑張りました。

台湾到着

2011年03月20日 | みかどん
羽田を昼過ぎに出て、夕方5時、台湾に無事到着しました。

いつもは心が浮き立つ出張も、今回はとても重苦しい気持ちが離れず、
こんな状態で仕事ができるのかと危ぶんでいました。
離陸してからも、機体の揺れが地震に思えたりした一方、いつ地面が
揺れて崩れ落ちるかという不安が常にのしかかっていたことに気付き、
被災地から離れていても、地震の恐怖と後遺症はあるのだと
分かりました…。離れてみて、ようやくそのような感情があるのだと
気付きました。

私でさえこうなのだから、子ども達、そして被災地の方々の
抱えている恐怖はいかほどかと思います…。
心のケアを今から始めないと、後々大変だと感じました。

台湾は少しむしっとして、半そででOKです。
ホテル到着後、すぐに実家に電話し、みかどんと話しました。
元気そうで安心しました。
その後、かつての同僚で今は台湾で結婚しフェアトレードのお店を
やっている友人と数年ぶりに再開し、旧交を温めてきました。

部屋で衛星放送を見ながら、少し落ち着いて、溜まっている仕事を
集中して片付けよう、そして台湾でのミッションに専念しようという
気持ちの切り替えが少しできました。

皆様、出発前、そして出張中と色々有難うございました。
どうぞ体には気をつけて過ごしてくださいね。

涙の1週間

2011年03月20日 | みかどん
震災から1週間が過ぎました。

最初は想像を絶する被害の大きさに泣き
(母の故郷は福島です…)、
この状況でも娘を置いて(私としては不要不急の)出張に
行かなくてはならないことに泣き…。

でも、別の涙もあります。

おそらく多くの人がすでに見たであろう動画ですが、
今日、乳幼児向け物資を送った福島の方より
お礼として頂いたものです。

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感謝の気持ちを込めて
一つ動画をお送りします。
http://www.youtube.com/watch?v=ycRxtWHXOFA
被災地はまだまだ大変ですが、みなさまとつながりがもてたことが一つの希望になりました

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国連事務総長の「日本は多くの国に支援を行ってきた。
今度は国連が全力で日本を支援する」という下り、
援助に携わってきたものとして、本当に嬉しく、涙が
止まりませんでした。
今回、沢山の国が様々な形で支援をしてくれて、
その一つ一つがどんなに心強く感じたか。
普段、自分のやっていることが本当に役に立っているのだろうかと
悩みつつも仕事をしていたので、自国の窮状に他国が手を差し伸べて
くれることがどんなに心強いかを初めて知りました…。


その他にも、
被災地で笑顔で避難所のサポートをする高校生の姿や、
原発の放水作業という危険な任務を遂行した
東京消防庁の会見(特にハイパーレスキュー部隊の富岡隊長の
言葉と涙…本当に胸を打たれました)。

現場で命がけで任務を遂行されている方々すべてに
深く深く感謝します。


出張から戻ってきたら、募金などの他に何ができるか
同僚たちと考えたいと思います。

「ママと離れないもんね」

2011年03月19日 | みかどん
出張前日の今日は大忙し。
午前中は大学で携行資料を準備し、その間、ダンナが仕事を
しながらみかどんを見ていてくれました。

その合間、知人より福島の避難所への物資提供の呼びかけが
あったので、近所のスーパーに買い物に行き、オムツや
粉ミルクなどを買い、昨日より被災地への宅配を再開した
佐川急便のお兄さんに来てもらいました。被災地への荷物を
沢山預かっているので大変だけどやるしかありません、と
言っていました。
緊急時でも、一生懸命仕事をしてくれる人たちが
いるからこそ、つながるものがあるのだとしみじみと
有難く思いました。

一方、買占めはしないようにとの呼びかけがあるにも
関わらず、ベビー用品売り場にいた家族連れ、どこに逃げるかと
大騒ぎしながらこれでもかというくらい買占め(ちなみに周囲は
皆静かに自分の必要なものだけ買っていました)。
思わず、買占めはやめましょうと言おうかと思ったけれど、
勇気がなくて言いだせませんでした…
それに私も傍から見ると買占め族の一員だったでしょう…

午後はみかどんをダンナから引取り、久しぶりに公園に連れて
いったところ、気が急いていたのでしょうか、私が転んで
膝がギザギザになるという間抜けなハプニングあり。
みかどんには可哀そうだったけど、いったん自宅に戻って消毒した後、
今日中にデータを落とさなくてはいけないデジカメを
カメラ屋に持っていき、CD-R焼き付けが終わるまでの間、
公園に戻って遊ばせました。



帰り際、みかどんに「明日からママ出張に行かなくちゃいけないけど、
いつもより早く帰ってくるからね」と伝えると、
「ママ行かないで」と顔を伏せてしまいました…
ママも行きたくないけどお仕事だから仕方ないの、と
言いましたが、我ながらひどい言い様だなと思いました。
その後、自宅で「ママと離れないもんね、台湾に行かないように」
としがみついてきたので、「じゃあママと台湾に一緒に行こうか」と
言うと、「やだー、離れる~」と言って逃げてしまいました。


22時現在、私とみかどんのパッキングはまだ手つかずです。
家の中も滅茶苦茶なので、今晩は片づけと、出張に行くまでに
終わらせなくてはいけない報告書を仕上げてしまいたいです。


電力の大切さ

2011年03月17日 | みかどん
台湾に行くと腹をくくり、準備に追われていたら
大学の事務局から「夕方より予測不能の大規模停電の
可能性があるので、すべてのITネットワークを夕方から
明日の10時半まで閉じること、また電車の運行が少なくなる
見込みなので、帰宅できる人はすぐに帰宅すること」との
アナウンス。

職場、自宅ともに計画停電の対象外となっているけれど、
突然の停電のなったら、もちろんアウトです。

どの組織にとってもITネットワークのシャットダウンは
致命的です。こんな不安定な状況で出張の準備がどこまで
進められるのだろうと不安に感じていますが…。

間引き運転されている電車も、ますます本数が少なくなる
というので、無理を言ってシッターに来てもらった父が
早く帰宅できるよう、他のワーキングマザーと一緒に急いで
帰宅しました。

夕方から夜にかけては電気消費量が大きくなるとのこと、
なるべく電気を使わないようにと、リビングの電気一つ、
テレビ、PCは使っていますが、厚着をして暖房を消しています。
ガスは大丈夫なので、お湯を沸かして暖かいお茶を入れています。
これでも本当に幸せなことだと思います。

みかどんも節電に協力してくれているのでありがたいです。
炊飯器の保温も電力を消費するというので、スイッチを切って、
中にあったご飯で自らおにぎりを作ってくれています。

ちょうど今、官房長官より、計画停電、そして節電を徹底
してほしいとの発表がありました。
家庭でもそうですが、我々が職場で使う電力も相当な
ものだと、先ほどの大学からの通知で改めて感じました。
自分のしている仕事が本当に必要なものか(この電力が
ひっ迫している時に)、考える必要があると強く感じています。


仕事とは

2011年03月17日 | みかどん
出張は私だけキャンセルさせてもらう予定で
同僚たちに相談してきましたが、昨晩、上司が
どうしても前半だけでもいいから来てほしいとのこと…。

一晩悩みましたが、
こうなったら業務命令と思って
前半のみ行くことにしました。
断ることもできるけれど、今後仕事がしにくくなる
ことは容易に想像がつきます。
日曜出発なので、準備に慌ただしくなります。

ダンナに相談したところ、
「今回の件に限らず、貴女が海外出張に行って
嬉しい人は誰もいない」と
言われ、大きなショックを受けました。
家庭放棄とみなされているのでしょうか…。
確かにみかどん、そしてシッター役の両親には
負担を強いているけれど…。

確かに私も子どもの時、父が海外出張に行くたびに
不安で仕方がなかった。でもその一方で、そのような
父を誇らしくも思ったし、自分もそうなりたいと
思ったのです。

男性であれば出張に行くのも仕方がない、でも
女性(特に母親)が出張に行くのはおかしい、という
価値観が日本社会全般にあるのでしょうか。

ダンナが今回の出張に好意的でない理由は、もちろん、
「この非常時に多くの会合、出張がキャンセルになっている時に、
緊急性を要しない調査出張を決行することがおかしい」
ということにあるのですけれどね…
上司にしてみると、今回の出張は重要性・緊急性双方が
高いという考え(私を含め、中身を詰めているバックアップが
必ずしも同じ意見ではないのが皮肉です)。
まぁこれが研究者の姿なんでしょうけれどねぇ…

専門家の見解

2011年03月16日 | みかどん
今日は2時間ですが幼稚園がありました。
先生方も通勤が大変難しい中、休園にしたかっただろうに、
ずっと休園で退屈していた子供たちのことを考えて
再開してくれたのでしょう…。本当に感謝です。
来ていた子供たちはごく僅かでしたが、皆とても楽しそうな
顔をして帰宅しました。

幼稚園からの帰り、某国大使館の横を通ったところ、
ある国は見たこともない長蛇の列(数百人?)ができていて、
別の大使館も常時10人ほどがいました。
外国人の方は国外退避、仕方ないと思います。
私も海外にいたらきっとそうします。

今日も東北・関東・甲信越震源の地震が起こり、
原発、放射能の状況は決して好転していない様子です。
ただしこれは、こんな状況でも仕事をしているので、yahooの
ヘッドラインをたまに見る以外、現状を把握する時間がないことも
ありますけれど…。
ただ、海外の報道は恐怖感をあおるだけのものが多く
(その方がセンセーショナルですし、確かに非常事態ですけど)、
もう少し冷静に分析・報道をしてくれないかなとも感じます。


今日、学長名で以下のメールが流れてきました。
在日英国商工会議所の会員向けメールです。

The British Chamber Of Commerce in Japan ( BCCJ) Members Update on Japan’s
Nuclear Position [Mesg.Id: 2004]

BCCJ Members Update on Japan’s Nuclear Power station situation
March 15th 2011, 17.00


Telephone briefing from Sir John Beddington, the UK’s Chief Scientific
adviser and Hilary Walker Deputy Director Emergency Preparedness at the
Department of Health.
“Unequivocally, Tokyo will not be affected by the radiation fallout of
explosions that have occurred or may occur at the Fukushima nuclear power
stations.”
The danger area is limited to within the 30 kilometer evacuation zone and no
one will be allowed to enter this area other than those directly involved in
the emergency procedures currently being undertaken at both Fukushima 1 & 2.

Sir John went on to answer a series of questions including a comparison
between Chernobyl and Japan. He said, “they are entirely different.
Chernobyl exploded and there was a subsequent fire with radioactive
materials being launched 30,000 ft into the air”. The maximum height of any
Fukushima explosions would be no more than 500 metres.
“The amount of radiation that has been released is miniscule and would have
to be in the order of 1,000 or more for it to be a threat to humans” This
was confirmed by Hilary Walker.
Sir John went on to say that the Japanese authorities are doing their best
to keep the reactors cooled and that this is a continuing operation. All
workers on site dealing with the emergency are being fully decontaminated at
the end of each shift.
When asked how reliable the information coming from the Japanese authorities
was as to radiation levels he said, “this cannot be fabricated and the
Japanese authorities are posting all the readings on the recognized
international information sites which they are obliged to do. Independent
verification shows that the data provided are accurate”.
In answer to a specific question from the Head of the BritishSchool in
Tokyo, Sir John Beddington and Hilary Walker said that there was no reason
at all for the school to be closed unless there were other issues such as
power outages and transport problems.
David Fitton, First Minister at the British Embassy in Tokyo moderated the
teleconference and confirmed that a transcript of the briefing will be
available on the Embassy website later today.
BCCJ members are encouraged to check the Embassy website regularly as well
as the Chamber website and Facebook sites for the latest information.


これも学内で回覧されたメール。
日本医学放射線学会の見解です。
http://www.radiology.jp/modules/news/article.php?storyid=907


終わりではない、新しい始まりだと信じる

2011年03月16日 | みかどん
今朝5時、東京湾を震源とする地震で目が覚め、
慌てて着替えてテレビをつける。
すると、また原発の爆発(もう詳細は忘れた)のニュースが。

日中はそれでも、台湾出張への準備にてんてこ舞いで
あまり地震、原発のことを考える余裕がない。
みかどんもストレスがたまっていて可哀そうだけど、
母に連れられて今日も大学の執務室へ。
台湾のアポ先と何度も電話でやりとりし、
夜7時半過ぎにようやくひと段落。こんな状況でも
淡々と仕事をする我々日本人、きっとクレイジーだと
思われているのかもしれません。

その後、みかどんと行きつけのカフェで夕食をとり、
なんとなく胸騒ぎがしたのでダンナに早く帰宅してほしいと
頼みました。
その矢先、また地震。それも甲信越(だったか)に、
なんと静岡が震源という異なるものが続きました。
いよいよ来たかと、さすがに絶望しかけたところに
ダンナが帰宅。

今は二人で黙々と持ち出し荷物の最終チェックをしています。
先ほど、気象庁より、今回の静岡地震と東海地震との
関連性はない(静岡地震は先日の東北地震の影響を受けたもの)
との発表があり、やや安堵しましたが…

放射能漏れ、そして東北、関東甲信越の各地で繰り返し、
また分散して起こる地震に、もう何を考えていいのか
分からない、恐怖にとらわれてしまいそうになるのが
正直な気持ちです。

でも一方で、この地震で気づいたことがあります。
我々はどんなに贅沢に慣れてしまい、無駄をしていたのだろうと。
電気、モノ、サービス、すべての面において。
今日、毎週来る生協の宅配が来ましたが、予想に反し、
野菜などがきちんと届けられていたことに、食べ物が
ある幸せを生れてはじめてかみしめました。
キャベツ1玉、ブロッコリー、じゃがいも2キロ、アボカド1個、
プチトマト、それに牛乳や豆腐、卵などでしたけれど、
当たり前と思っているモノのありがたみ…。

豊かさに慣れてきた私たち(私は途上国暮らしの経験があるとは
いえど、やはり日本人なので)、今回の経験は、それを
また新たな方向に導いていくことになるのかもしれません。

海外での報道ぶりは大変な状況しか映していないようだけど
(被災地の方は本当に大変です)、被災していない我々は
なんとか冷静に、自分たちのできることを淡々と努めて
いきたいと考えて行動しているように見えます。
日本人の意識が、ぐっと違う方向にシフトしつつあるように
感じています。

非常に厳しい状況だし、もっと深刻な状況になった場合、
こんなことを言っている場合ではもちろんなくなるでしょう。
でも、何が起こっても、過去に復興を成し遂げたことが
我々にとって大きな自信となり、前に進む力を与えてくれると
信じています。

絶望の中にも、奇跡のようなニュースが続き始めたのが
本当にうれしいです。

計画停電初日

2011年03月14日 | みかどん
今日から計画停電開始。

我が家および職場は対象エリア外ではあるものの、
なるべく節電したいと思い、最低限の電力に抑え、
午前中は自宅で仕事をしていました。

当然のことながら、幼稚園は休園です。

このまま在宅作業と思いきや、今週末から予定されている
台湾出張の準備を続行すべしとの指令が下り(そう、こんな
事態でも出張は中止にならないのです。
私は正直なところ、緊急時には不要不急の出張は控えるべき
だと感じるし、またこんな状況下で、母親としては子どもを
置いて出張できないと思い、ペンディングさせてもらっています)、
結局みかどんを連れて出勤することに。
秘書さん二人も自転車で出勤してきました。

こんな事態でも、職場に来て冷静に仕事をする、
停電対象エリア外でも節電に努める、
この国民性は日本独特のものではないかと思いました。

そして今回の計画停電で感じたのは、普段どんなに無駄使いを
していたのかということ。電力の無駄ばかりではなく、
どんなにモノを無駄遣いしていたのだろうと…。
特にモノ・サービスの供給を最大限に(過剰なほど)
享受していた我々首都圏の人間にとって、生活のあり方について
認識を改める機会になったのかもしれません…。


さて、みかどんですが、母親の都合で有無を言わさず職場に
連れていかれ、19時頃まで缶詰にされたので、
そのストレスはどんなに大きいだろうと思います(秘書さん
たちにちょっかいをかけまくり、彼女たちにも大きな迷惑を
かけていて本当に心苦しいのですが、他に選択肢がないのです)。
夜遅くなったので、近所のデニーズに連れていく途中、
「今日はみかどん、とってもいい一日だったよ。今日は
大学に行きたいなと思っていたからうれしいの」と言うので、
相当無理をしているのだなと思い、
「本当のことを言っていいのよ」と言っても、
「今日は本当に楽しかったの」の一点張り。

仕事がたまったストレスから、母親に理不尽な雷を落とされる
ことも多かったのに、こんなに気を遣うとは、相当
自分を押さえつけているのだろうなと思って可哀そうになりました…。
明日くらいは息抜きをさせてやりたいけれど、明日も幼稚園はなく、
一方の私は台湾出張の準備で大わらわなので、やむなく大学に
連れていくしかないでしょう…。


被災地の状況、本当につらいニュースが多い中で、
奇跡のようなニュースもあり、このような奇跡が
積み重なっていけばと祈る気持ちです。
特に被災地で親とはぐれた子供たちが、一刻も早く
親・家族に会えますようにと心から願っています。

こちらは祈り、自分たちの生活を見直すことしかできませんが、
きっと良い方向に行く、と信じて、自分ができることを
ひとつずつ着実にやっていきたいと思います。


祈るのみ

2011年03月12日 | みかどん
未曾有の惨事であることが徐々にわかってきました…。
震源地から離れていても、余震は20-30分ごとに来ます。
被災地では食糧、水、そして暖まるものが必要とのこと。
今自分に何ができるだろうかと思います…

テレビでは頻繁に緊急地震速報が流れ、
そのたびに寝ているみかどんの横に行きます。
昨日ほどの揺れは今のところ来ていませんが、
何がくるか分からないことをひしひしと感じています。

こんな状況でも締め切りに追われてPCの前にいなくては
ならないのがしんどいです。
来週からの海外出張、本当に行かなくてはいけないのでしょうか…


被災された方々のことを考えると、ただただ祈るのみです…





都心マヒ

2011年03月11日 | みかどん
今日から幼稚園は午前保育。
みかどんをお迎えに行き、自宅でお昼を食べて
のんびりしていた時、大きな揺れが来ました。
急いでみかどんに防災頭巾をかぶせてテーブルの下に
もぐらせ、テレビを急いでつけました。

かなり大きな揺れで、7階の我が家は
棚の上のものが殆ど落下してきました。
鉢植え、電話機、棚はすべてひっくり返り、
電子レンジの横にあった炊飯器も横に滑り、
ありえない場所に落下。



みかどんの机も落下物に埋まってしまいました・・・
せっかく綺麗な部屋にしたばかりだったのに・・・



いよいよ関東大震災かと思うほどの揺れで、
ここで子どもと潰れていくのかと恐怖で一杯になりました・・・。
みかどんになるべく怖い思いをさせたくないとそればかり考えていました。

余震はずっと続き、7階だといざという時危ないと思い、近所のなじみの喫茶店にまず避難し、
その後、耐震上より安全だと思われる職場にみかどんと来ました。
コンビニではお弁当、おにぎり、パンなどがあっという間になくなったので、
自宅でおにぎりを握り、おかずを持って職場に戻り、同僚達とささやかなご飯を食べました。

首都圏も今晩は公共交通がすべてストップしているようで、
職員・学生の多くが残っています。
我が家はすぐ帰宅できるけど、物が散乱し、揺れを強く感じる
自宅にみかどんと二人は不安です。
ダンナからも、帰宅途上に寄るから職場にいてということで、
みかどんは寝床を作って先ほど寝付きました。



今22時半。
大学が近隣住民、帰宅困難者のための避難場所に指定されました。
余震は1ヶ月以上続くとのこと。
こんな状態で、みかどんを実家に預けて来週から海外出張に行きたくないです・・・。


国内最大級の地震とのことで、被災地の方が本当に心配です。
母方の親戚も大丈夫でしょうか・・・。
どうぞ皆様が無事でありますように・・・。