みかどん育児日記

自由を愛するみかどん(7才)を育児中のワーキング・マザーの日記です。

住居決定

2013年03月30日 | 仕事
着任3日目で、ようやく住居見学する時間が取れ、
両親、みかどんも一緒に、午後に5件を駆け足で見学。
二つの物件で最後まで悩みましたが、2月に来た際も
見て印象に残っていた物件にまためぐり合ったので、
これもご縁だと思い、えいやっと決めてしまいました。

もうひとつもとても素敵な部屋でしたが、家賃が少々
予算オーバーだったのと、シャネル等が本店を構える?
<超>高級住宅街でスーパー等もないだろうとの話で、
これは後々厳しくなるだろうと思い、断念。

住居見学の後、職場に戻り、どうしても今日中に
対応しなくてはいけない案件があったため、なんとか
こなして(?)、職場を出たのは夜9時…
残業なしと聞いていたのに。。。
まぁ、私が着任するまでの間をカバーしてくれていた
上司達が来週以降休暇に入るため、どうしても今日中に
必要最低限の業務をこなしておく必要があったからですが、
これからはなるべく定時で帰れるよう、根回しをしなければ…と
思いました。
以前に比べると、自宅のPCで作業をする余地も出てきたとの由、
そちらをフルに活用したいものです。

みかどんの小学校も、同僚達に聞いて、日本人学校ではなく
現地校に当面入れようと思いました。

フランスは明日から3連休。明け方には夏時間に変わります。
両親、みかどんと少しのんびりしたいです…。


パリ無事到着

2013年03月27日 | みかどん
ギリギリの状況でマンション退去と赴任準備をして
(ダンナと両親にかなり手伝ってもらった、というか
家族の試演なくしては赴任できなかった)、
なんとか今日の夕刻、無事にパリに到着しました。

午後から会議のあるダンナは、空港に着いたら少しだけいて
トンボ帰りするはずだったのに、電車を1本遅らせてくれて、
お陰で買い物とお茶をすることができました。
彼のアドバイスにより、やはり海外仕様の炊飯器を
買っていった方が確実とのことで、急きょ荷物が増え、おまけに
トランスも昔海外出張で使っていたような重たい塊を購入。

これからダンナと離れ離れの生活になるのだと思うと、
別れ際は涙が出てきましたが、自分で選んだことでもあるので、
頑張らなくてはいけないと言い聞かせ…。
いつ遊びに来てくれるのかなぁ。

みかどんは機内で映画を3~4本見て、よく眠りましたが
ご飯は殆ど食べず。私は少し前の映画フランケンウィニーを見て、後は
ひたすら睡眠不足を補うため寝ていました。
みかどん、最近は着陸体制に入るともどすことが多く、
今日も少しだけもどしてしまいました。

空港には職場のスタッフがお迎えに来てくれて、
みかどんを見て少々驚いていた様子、というのも、
なぜか職場では「2歳の子供連れ赴任」との話になっていたらしく、
皆で「大変ね」とうわさしていたとのこと。
2歳だったら母子赴任なんかしませんよ。
道理で、皆さん「大変だろうと思うので相談して…」とやたら
同情的なメールが多かったのですね。
いや、7歳でも大変は大変だけど、乳幼児とは比較になりません。


締めくくりの日

2013年03月23日 | 仕事
3/22は色々な意味で締めくくりの日でした。

明け方よりダンナと半徹でベッド、キッチンカウンター、机椅子等
大きな家具を分解し、粗大ゴミに出していきました。
これで殆ど生活できない(ベッドも椅子もない)状態に。
家の中は段ボールと紙切れ等でカオス状態。

その後、みかどんの小学校に行き、終業式に参加。
休学・転校する親子のみ職員室に行き、ご挨拶をしました。
ダンナが上手に挨拶をしたのに反し、私は万感胸に迫り、
涙がこらえきれず殆ど何もしゃべれず・・・
みかどんはあがることなくニコニコと堂々とご挨拶できて立派でした。
この度胸、大したものです。

午後からは久しぶりに大学に来て、
ここ2年間やってきた某公団との委託調査の完了検査。長かった。
夕方から皆で打ち上げをして、研究室の整理(紙の山の仕分け)や
細かなメールを打ちながら、1時間ほど外出して旧友と一杯。
その後また大学に戻り、片付けを続けています。

みかどんは私の仕事が間に合わないので、またもや急遽
実家に預かってもらいました。

今夜中の2時。
この時間まで一人でいるのは流石になんとなく怖くなってきて、
研究室の整理を手伝ってくれるといいつつ自宅で疲れ果てて寝入っていた
ダンナを無理やり起こし、研究室にきてもらって寝てもらうことにしました・・・。

明日の朝までには研究室を空けて、
明日の午前中からは、マンションの退去準備を進めます。
明後日の夕方から退去の立会い検査。


明日はおそらく一日中掃除。
できればみかどんをリンクに連れて行って、先生方にご挨拶したいけど・・・
日曜はひたすら掃除?
こんな調子なので、双子の姉に赴任前に会う時間もどう捻出できるか。

月曜午前は
みかどんのDPT追加(接種し忘れてた・・・・)、その他諸々の手続き。
(区役所での転居手続き、住民税支払い、携帯やE Mobileの
解約手続き、日本人学校で使うかもしれない教科書の受け取り、
海外送金、海外保険の振込み、海外引越し便の振込み、あとは肝心の
パッキング&空港への配送)
夕方からは赴任の最終手続きと関係者への挨拶回り。

26日はダンナも半休をとって空港まで見送りにきてくれる由。
離れるのつらいなぁ・・・

初級合格!

2013年03月18日 | みかどん
なんとか深夜に自宅に戻りました。

昨日、私が飛行機に乗っている間、
みかどんはパパや祖父母、先生に見守られて
つつがなくスケートのバッジテスト(初級)に
合格することができました。

どれくらい上達したか見たかったなぁ。
先生から特にコメントもなく(初級の場合は、上手に
できなかった部分は、今後の課題というコメントを以って
合格となるケースもあると聞いていたので)、
みかどんも本当によく頑張ったと思います。

初級受験の準備を真剣に始めたのが1月なので、
ほぼ3カ月、週3~4日は個人レッスンをお願いし、
みっちりと地味な基礎スケーティングの練習に専念しました。
途中、噂の「リンク貸切」「朝連」にも参加させて頂き、
もう少し上のレベルになると、こんな世界が
展開されるのかとよい勉強にもなりました。
(ちなみに朝連は6時~7時半、リンクには5時半に
集合し、みかどんは90分滑り続け。とてもハードでした)。

さて、明日は終日引っ越し(国内向けと海外向け)。
殆ど何も出来ていないので、これから頑張ります。
明日の朝までに英文レポートも仕上げないと…


乗り継げないかも

2013年03月17日 | 仕事
ナイロビのラウンジに居座ること7時間。
先ほどアナウンスがあり、バンコク行きのフライトが
1時間遅延との由。

もともとの行程で、バンコクでの乗継時間が
1時間50分しかないので、この遅延により、
乗継(たった50分)は難しいことが判明。
ただでさえバンコクの乗継カウンターは
手続きが遅いのだもの、もう無理です。

日本に夜中に戻り、翌朝からみかどんのパーティ等が
あるので、なんとしても18日の早朝に帰りたいのですが、
問題はバンコクまでの便とバンコク‐羽田便の
エアライン(アライアンスも)違うこと。

今回の出張で、後から来た同僚が往路(東京‐香港‐
南ア‐マダガスカル)で引っかかり、香港で一泊してきましたが、
私も同じ目に遭うとは…

ケニア航空のカウンターに行っても、今から
バンコクでの乗継変更の手配をしてくれるかどうか。
ラウンジからカウンターまで遠いし、何よりも
途上国のエアラインは本当に非効率でたらいまわしに
されるので、日本のように一生懸命働きかけようという
気が失せます。

今調べたら、次のバンコク‐羽田便まで、バンコクで
また8時間ほど待たなくてはいけないとのこと。。。
(その便に空席があれば、ですが)

そういえば、今朝も同僚と空港に向かう途中、
ものすごい渋滞につかまり、同僚の乗るマダガスカル航空の
カウンターに電話したけれどたらいまわしにされ、なんとか
間一髪で空港に飛び込み、搭乗できたのでした。

やはり遠いのは困ります。
いくらラウンジとはいっても、7時間もいると疲れます。

マダガスカル無事終了

2013年03月17日 | 仕事
3月9日に日本を慌ただしく出て、マダガスカルで1週間、
低所得層を対象としたワークショップ、インタビュー調査を主導してきました。
そう、私が主導…(笑)
現地のカウンターパートへのトレーニングも兼ねて、なのです。
私もそんな年になったのかと感慨深いです。

マダガスカルは、2009年の政変による経済危機で、貧困問題が非常に
深刻になっています。
今回のインタビューで、砂糖も買えなくなったという老女性、
工場が閉鎖されて売春を余儀なくされた若い女性、とにかく政府は
貧困層達の声を聞いてほしいという訴え。
私がワークショップの締めくくりに、なんでも質問を受け付けますと
言うと、必ず「貴女の組織は我々の仕事を与えてくれるのか」と
聞かれます…。このような声を、国際的な法的枠組みを規定する
ところに届けるというのが今回の研究の趣旨なのですが、
人々の現実の前に、紙を書くだけの研究者となってはいけないと
改めて感じました。

人々の生活は非常に深刻ですが、一見したところ人も街も穏やか。
そしてとにかく国土の景観の素晴らしいこと!
ちょうど雨期のため、緑が豊かで、赤い土とのコントラストが鮮やか。
首都のタナも、急な坂道が沢山入り組んだアフリカらしくない街で、
夕焼けの赤と建物の赤・ピンク等が映えて本当に印象深い街でした。

人もよいし、シーフードは美味しいし、売っている物もオレンジ、ピンク、
黄色等と南仏を彷彿とさせるコーディネイトで、特に現地で取れるラフィアで
作られたカバンの素敵なこと。お土産用にマーケットでまとめ買いをし、
すっかりマダガスカルのファンになりました。
6月に本調査に入るのが本当に楽しみです。

今回は東京‐バンコク‐ナイロビ‐マダガスカル、と
動線としては短く見えるけれどとにかく乗継が多く、
今はナイロビのラウンジで深夜の便を待ちながら仕事をしています。

筆の遅い私が珍しく、なんと今回の出張報告書(日本語)を
現地出発前に(!)書き終えてしまったのは、
やはり自分に主導権があることと、モーティベーションもぐっと
あがったせいかなと思います。
ナイロビを発つ前にフランス語のレポートを終わらせて現地に
送ってしまえば、後は東京に戻るまで英語に切り替えて
モザンビークの方に専念できるので、あともう少し、頑張ります。

みかどんも私の留守中に一生懸命バッジテストに向けて
スケートを頑張っている由。
私は残念ながらバッジテストの時間に間に合わないのだけれど、
帰国した時、朗報が待っているといいなと思います。