みかどん育児日記

自由を愛するみかどん(7才)を育児中のワーキング・マザーの日記です。

しばしお休み中

2011年02月28日 | みかどん
今日はとても冷たい雨が降って冬に逆戻りです。
そんな中、私もようやく起きだすことができました。

先日39℃の熱をだし、いったん下がったものの、
また木曜からぶり返し、38-39℃を行ったり来たりという
しんどい状態が3日ほど続きました。

週末だったし、救急に行っても待たされるだけなので、
これからみかどんをお迎えに行くついでに
かかりつけ医に行ってきますが、
家族から「先日のブルキナ出張で何か悪いものを
拾ってきたのではないか」と言われる始末。
単なる風邪と疲労だといいのですけれどね。

あと3週間後は台湾出張なので、それまでには
元気になりたいです。

小さな看護師さん

2011年02月21日 | みかどん
先日、私が珍しく9度の高熱を出して
ダウンした時、ダンナが帰宅するまでの2時間ほど、
みかどんがかいがいしく私の看病をしてくれました。

‐ダンナに帰宅してほしいと電話する
‐冷えピタを貼ってくれる
‐タオルに氷をくるんで首にあててくれる
‐経口水を飲ませてくれる
‐ソファーまで枕や布団を持ってきてくれる
‐お見舞い(励まし)の手紙を書いてくれる

その後、ダンナが帰ってくると、
コートや布団でぐるぐる巻きになり、真っ白な顔をして
動かない私の頭の周囲に、折り紙で作った花や風船などを
たくさん飾ったのは、先日の「旅支度」の影響なのかと
思いますが…笑

とはいえ、本人も心細いだろうに、一生懸命
私の看病をしてくれて、本当に有難かったです。
5歳になるとこれくらいできるようになるのですね。


いい子を演じようとしている?

2011年02月21日 | みかどん
先日、うちの教授おすすめの「三丁目の夕日」を
家族3人揃って、DVDで鑑賞しました。
3人でディズニー、しまじろう以外のきちんとした
映画を見るのは初めてです。

最初は嫌がっていたみかどんも、大好きな
東京タワーが建設されている頃の話と分かってからは
引き込まれるように見て、当時はテレビも冷蔵庫も
洗濯機もなかったこと、みな貧しかったこと、などに
非常に驚いていました。

そして今日はその続編をようやく見ました。
前作同様、しみじみとよい話で、私も後半泣きっぱなしで
みかどんも(話が分かっているのかどうかわかりませんが)
涙をぬぐいながら見ていました。

当時の子供がお手伝いをいろいろとやっている姿に、
「昔の子供はえらいねぇ」と言ってしまう母。
そのせいなのか、今日の夜、急に
「みかどんも頑張ってお片付けするの!」と言いだし、
リビングや子供部屋の片づけから、なんと
長いことアンタッチャブルだった寝室の小物入れ周辺に
取り掛かり、私がキッシュを作っている間も黙々と
片づけと整理に励んでベッドメイクまでしてくれました。
本人いわく、「素敵な家にしたいからみかどんもこれから
ママのお手伝いして頑張るの!」!!

私の言った一言のせいなのかどうか、よく分かりませんが、
親の期待に応えようと思うあまり、無理をさせすぎて
しまったのかしらと心配にもなります。
勝手なもので、いつもは「幼児教室で会うような、
優等生になってほしいなぁ~」なんて考えているのに、
あまりにもいい子を演じられても戸惑います。
お手伝いを一生懸命やってくれるのは本当にうれしいけれど、
やはりみかどんらしいのが一番なので…。

それとも、今日のお昼にパパからもらった
ジンジャーシナモンミルクティーの効果(かなり興奮すると思う)?

明日は一体どちらになっていることやら。
寝る前に、「明日の朝は、ママにおかゆを作ってあげるから、
ママは作っちゃだめ」と指切りげんまんさせられました。
うーん、覚えていそうだなぁ。


パパ大好き

2011年02月20日 | みかどん
女の子はパパが大好きなんだと思いますが、
うちのみかどんは本当にパパが好きです。

昨晩、ビーズアクセサリー(同僚から習って
すっかりはまった)を作っている私の横で、
みかどんも自分のビーズで一生懸命いろいろと
作っていました。
パパにストラップを作るというので、子供の
おもちゃでは哀れだと思い、私の壊れた宝石を
拠出しました。

写真一番右の緑色がそうです。
手前のピンクの小さいのは私の指輪。




昨年より、我が家では窓にその月の行事の絵と
カレンダーを、みかどんと描いています。
2月のカレンダーを書いた下にみかどんが
書き添えたのは、
「パパはやくかえってきてね」(やらせではなし)
いつも帰りが遅く、平日の夜はたいてい会えないので、
さびしい思いを我慢しているのでしょう。




最近はお手紙もよく書いてくれます。
改行の位置が…とか細かいことはナシ。







叔父を送って

2011年02月20日 | みかどん
2月上旬に母の弟が急逝しました。
地味な我が家の中で、一人派手な叔父だったので、
母の故郷に行くと、いつも楽しみに叔父のそばで
色々と楽しい話を聞いたものでした。

叔母からは、納棺・出棺から立ち会ってほしいとの
ことだったので、実家の両親と4人で新幹線で向かい、
はじめての経験にみかどんは大丈夫かと相当案じていましたが、
想像以上にきちんとふるまうことができて、本当に驚きました。

死者と向き合うのはみかどんは初めてです。
でも、幼稚園でキリスト教育を受けているためか、
「亡くなって、天国の神様のところに行ったのね」とすっと
納得できたようで、恐れる気持ちを持たないのですね。
とはいえ、はじめてあう叔父なのに、家族の悲しむ姿を見て
本人も涙をぽろぽろと零して、一生懸命旅支度を手伝って
くれました。

「おくりびと」から、子供の役目としてお願いされたのが、
ずだ袋に六文銭や食糧を詰めること。
みかどんは一生懸命詰めて、そのあとも、しばしば、
「おじいちゃま、今頃食べているかな、天国についたかな」と
案じています。

お通夜、火葬(火葬とお骨ひろいだけはやはり遠慮しました)、
告別式、と、大人でも疲れる行事に、騒ぐこともなく静かに
参加し、一方で初めて会う親戚に愛嬌を振りまいて、
子供がいるだけで随分と雰囲気がほぐれるものだと思いました。


母親の私もいろいろと考えました。
いよいよ親の世代が亡くなってくことへの寂しさ、
そして、兄弟姉妹のありがたさ…。
我々がいなくなる時に、みかどんが一人でそれを背負うのは
あまりにも気の毒だと感じました。

みかどん一人と仕事で精いっぱいなのと、みかどんを大切に
丁寧に育てたいという気持ちがあるのですが、
もう一人頑張れないだろうかという気持ちも出てきました。


生きてます

2011年02月20日 | みかどん
最後の日記がブルキナからとは。
いくら忙しかったとはいえ、ここまで更新しなかったのは
最長記録かもしれません。

確かに帰国してから一か月、ようやく落ち着きました。

2月上旬に博士の口述が終わったと思ったら、
母の弟が急逝し、急きょ母の故郷へみかどんも連れて
とんぼ返り。
幼児教室通いと家庭学習もなかなか追いつかず、
家の中も出張から戻ってきたまんまのカオスが続き、
かなりヤバい状況に。
先週はみかどんが軽い胃腸炎にかかり、その後
私が高熱で寝込み、今も胃をやられています。

この1か月、自分が一体何をしてきたのかあまり記憶が
ありません(大学と幼稚園と幼児教室の間を往復していたのみ)。
とはいえ、一息つくと、いろんな出来事があったことを
思い出したので、あとで書いていきます。

みかどん、成長しています。
母はホロリです。