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沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

親心

2010年04月12日 | こども&孫
 長男が沖縄を離れて、本土の大学へ行く時、見送りで那覇空港へ行った。搭乗口で「じゃ」と手を挙げて旅立つ息子の背中を見て涙がこみ上げた。
 二男は、私が更年期に入って気弱になっていたので県外に行かないでとお願いした。彼の時は、妹(四女)が二年間居候させてくれたので、気が楽だった。ただ、車で大学に行った初日、「おっかー、車ぶつけられた」という電話が入って心臓が飛び出しそうだった。大学の構内でぶつけられたそうで、けがもなくホっと胸を撫で下ろしたことを覚えている。
 そして、三男が巣立ったこの春。

 私の第二の人生の始まり。
 ちょっと寂しい出発だけど、どんな風に色を付けて行こうかな。感慨に耽っていたら、NTB東京時代の友人から電話がかかってきた。「今度の休み、電話して皆で会おう」と。
 私だけではない。みんな子どもの手が離れ、第二の人生を歩いている。昔を振り返るゆとりができたのだ。

   (写真はくるくまでの両親。親となって知る親心)

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カフェくるくま2

2010年04月10日 | 日々のこと
 「カフェくるくま」で。太平洋を背にして。

 (写真を同時に二枚アップできない私。一枚づつ)

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カフェくるくま

2010年04月10日 | 日々のこと

 天気が良いので、久しぶりに両親をドライブに連れて行こうと、午前中に家事を済ませ、TELすると、母は二つ返事で「行くさー」。 

 妹を誘っていつもの4人で。
 南風原の野菜市場で野菜を買いにという小さな目的を引っ提げていざ出発。
 まずは目的の野菜を買い、母と妹は大好きな園芸コーナーで草花を買い、その後は、「くるくま」へ行こうということになり、当てずっぽうに車を走らせていると、父が
 「くるくまには、そのまままっすぐ行って百名から左だよ」
というので、その通り行き、二股の道で
 「どっち?」と聞くと「左」。 

 私たちよりも、90歳の父の方が道をよく知っている。 父と母はよく「奥武島」まで「すく」を買いに来ていたし、もともとドライブが好きな父だから、本当に頼もしい。 母は車に乗ると、ずーとしゃべり続ける。機嫌が良い。
 「おっとーが足の歩けるうちださー」と言うが、本人もドライブが大好きなのだ。

  「くるくま」は南城市(旧:玉城村)にある。そこのタイ料理がおいしい、というよりもたまには食べたくなる。のでたまに行っている。 父も辛い物が大好きだったのに、「今はもう食べていない」という。年寄りには刺激がつよすぎるのかも。それでもトムヤムクンは飲んでいた。

 「カフェくるくま」は見晴らしのいい高台にあり、太平洋を一望できる気持ちのいい場所だ。

 一日中クーラーをつけていたほど、今日の沖縄は夏のようないい天気。 私の軽車は、いつも一人で乗っている時に比べて、坂道の重いこと、ヒーコラ、ヒーコラ。


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ハイビスカス

2010年04月09日 | 大好きなハイビスカス
 伊江島で出会ったハイビスカス。

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普天間基地問題

2010年04月08日 | 日々のこと
 今、BSで2時間生放送「普天間基地移設問題」が取り上げられている。宜野湾伊波市長、と民主党議員、玉城デニー氏がゲスト出演。
 敗戦後に沖縄に基地が置かれ、安保の為だといわれ続けて50有余年。沖縄の上に「日本」が、どかんとのっかって、苦しいからどいてくれと訴えると、「どかせるもんならどかせてみろ」と言われているよう。そんな感がする。日本と沖縄の関係は。

 沖縄の人は、きれいな海できれいな空の下で、のんびりと暮している訳にはいかないのだな、私たちの上に乗っかている重い荷物をどうやって払いのけて行くのか、いつもいつも勉強して行かなくてはならないんだなとこの番組を見て思った。基地のない他県にはわからないかも知れない。
 他人事だと思っている人達がいつも言う「基地がなくなったら困る人もいるのでは?」と。問題をすり替えようとしている。本当に沖縄のことを考えて言っているのだとしたら、自分たちの所に基地を誘致して、50年かけて肥大化していった基地だから、50年かけて少しずつ移転していったら、基地で働いている人も困らないのではと私は思う。
 もうひとつ。50年もお世話になりましたと礼を尽くして撤退するのが筋だと。

 (写真は金武町の基地の中にある山。近くで見たことも、触れたこともない金網の中のふるさとの山:朝霧の中)

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さくらんぼ

2010年04月06日 | 日々のこと
 桜が咲き終わった後にはこんなにかわいいさくらんぼが。
 ホロ苦いけど美味。山形のさくらんぼみたいに大きくなればいいのに。
 だれも取らないので、鳥がついばんでいる。

 夜遅くから降るといったのに、午前中にパラパラと大粒の雨が降ったので、職場のみんなは「洗濯もの外に干してきたのに・・」とか、
「窓を開けてきたのに・・」と。

 しばらくすると、開け放っていた窓から冷たい風が入ってくるので、少し肌寒くなった。

 

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興南高校優勝おめでとう

2010年04月05日 | 日々のこと
 4月3日の沖縄県民はTYの前で甲子園観戦。道を歩いていた人はいなかったに違いない!
 その前日、息子の日用品を買いに行ったサンエーでは、テレビの前で大勢の人が興南の応援をしていた。
 買い物をしている私の方まで聞こえてくるので落ち着かない。
「あ~!」という声や、拍手、ため息・・が皆一斉なので、おおきなどよめきとなる。家で観るより、多くの人と観た方がより、楽しいものなのかも知れない。

 しかし、沖縄は強くなったなと思う。9回の表で点が取れずに終わった時、もうだめかと誰もが思ったのでは・しかし、粘り強かった。その後は落ち着いて見られた。此処まで来れば、どっちが勝ってもよくやったよ!と思ったのに、まさか、まさかで大量得点を重ね優勝した。

 嬉しいよね。小さかった沖縄が、努力を積み重ねて大きな沖縄になった。ここまで。
 奇しくも、沖縄県勢が甲子園に出場して今年は50年という節目の年だそう。

  ありがとう!興南ナイン!
 

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別れの季節の悲しみを~♪

2010年04月02日 | こども&孫
 「別れの季節の悲しみを
  生まれて初めて 知りました~
   印を付けたカレンダー もうすぐ そこに来ています
    ほたるの光が歌えない 涙で詰まって歌えない ・・」
   森昌子の「中学三年生」を口ずさみたくなる心境。

 息子の入学式に出て、必需品を揃え「じゃ、頑張れよ」と彼のアパートを出てきた。高速を走っていたら涙が流れてきた。沖縄に来た時3歳だった彼が思い出されて・・。音楽が私の苦手な懐メロだったから?夜に帰るから?なんだかんだいっても毎日喧嘩ばっかりしていた奴がいなくなるのは寂しいもんだ。今日はこんな気持ち。

 (写真は一歳半ぐらいかな・・わんぱく坊主の三男)
コメント (2)
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