沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

こんな所に

2011年05月30日 | 金武町の風景
 夕方、散歩をしていた時。何気なく下を向いたらマンホール、で、その柄が写真の通りである。金武町の名産「田芋」の絵柄になっていた。知らなかった。去年から始まった町内の下水道工事。今は伊芸区の方が工事中だ。伊芸区も田芋の絵柄なんだろうか、伊芸だったら、「ガジュマル」でもいいのでは?

 台風一過の昨日と今日は、青空が見え、名残の風も吹きわたって清々しい日であった。しかし、植物には災難。キャンプハンセン沿いの街路樹「さくら」の葉が痛めつけられたからなんだろう、青々としていたのに一夜で茶色に変わっていた。体育館のガラスも14枚も割れたらしい。
 マンゴー、葉タバコ生産者はため息をついている。楽しみにしていた「キモモ」「スモモ」は風に飛ばされころがっていた。残念。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凄まじかった台風2号

2011年05月29日 | 台風
 ふぁ~~、凄まじかったですね!台風2号。風雨が激しさを増し大丈夫かなと思った矢先(PM9時過ぎ)に、停電してしまった。私はNHKでやっていた「たけしのアート・・」を見ていた。途中でプッツン(途切れて)しまったのは残念だった。

 ろうそくをつけた。そのやわらかな明かりは、いつもながらいいものだ。しかし、外は嵐。風は怒涛のように何度も窓ガラスを叩きつけ、玄関のドアを叩き、揺さぶり続けた。あまりにも凄まじい風のうなりに身のすくむ思いで小さくなっていた。
 10時11時と時間は過ぎ去るが、風は一向に弱まらない。最接近は12時と聞いていたから、まだまだ強くなるの?と不安になった。

 鉄筋コンクリートのこの建物でさえ揺れていることがある。木造で築50年も経つ実家は大いに揺れているだろうなとか、東北の震災にあった人々も暗闇の中で過ごしたんだよね、暗闇と寒さの中でどんなに不安だったのだろう、窓ガラスは突風で割れたりしないのだろうか、停電用にろうそくよりも明るいランプまたはランタンを探してみようかな、せめて読書が出来る明るさがあればな、とか、私達は文明に頼りすぎた生活をしてきたが、昔は、日の出とともに起き、日が沈むと仕事を終え眠りについていたんだよねとか、アメリカのアーミッシュの人々の生活はどんななんだろうか、私達も多くの人が望むとしたらあのような生活をすることが可能なんだろうか、とか・・・いろいろ考え事をしていたら、いつの間にか12時が過ぎ、風が南から西風、北風に変わっていた。よかった、もう台風の峠は過ぎた、となんとか眠りに就くことができた。

 一夜あけると、近所の大木がなぎ倒され、マイカーやベランダ、ガラスには悉く木の葉やごみがへばりついていた。どこもかしこも台風後の掃除に追われていた。なぎ倒された木を切るチェーンソーの音もしていた。 スピード台風2号は大暴れをして過ぎ去った。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風2号接近中

2011年05月28日 | 台風
 五時を過ぎてから、南からの風雨がベランダのガラスを打ち付けている。段々台風が接近してくるのがわかる。宮古では1万7000世帯が停電になっているという。近年にない大きな台風だ。また台風の速度も速く、只今の情報によると40Km/時。今夜中に通過していくらしいが、どうか停電になりませんようにと祈っている。
 
 今年は、5月から来る台風といい、本当におかしいよ。デイゴの花が咲き誇る年は、台風が多くなると沖縄では言われている。私の住んでいる近くにデイゴの木がないので気付かなかったが、他所に住む方の話では、今年はよく咲いているという。1号、2号と来ているので、そうなのだろうか。この先が思いやられる。

 昨日の内に、ベランダにある洗濯機に水を張り、蓋が飛ばされないようにガムテープをし、ベランダの物をすべて家の中に入れ、物干しを倒し、窓を閉め切っている。で、今扇風機で涼を取っている。とりあえず懐中電灯、ろうそくとマッチも準備しておこうかな。
 
 昔、台風の時。仕事から早く帰ってきた父が、雨戸を外側から、金槌で板を打ち付けていた姿が思い出させられる。雨に打たれながら働く父の姿はかっこよかった。母は、芋を蒸かしていた。私達は、停電になると、幽霊話をしたり、兄が懐中電灯で顔を照らして驚かしたり・・時々、雨戸の節穴から外を覗いたりして過ごした。花壇の花や木々が風に翻弄されて右往左往しているのを見るのが、怖くもあり、楽しかった。

 ソングダー、お手柔らかに過ぎ去って下さい、お願いします。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出番は今?

2011年05月24日 | 日々のこと
 写真は職場の庭。この花はつつじ?さつき?どっちなんだろうか。一月にはちらほら咲いていた。そして二月、三月もわずかながら咲いていた。ところが、私達はもうこの花の時期はとっくに過ぎたと思っていたのに、今になって、満開に咲き誇っている。今年の冬は例年になく冷えたし、五月も終わろうとしているのに、涼しい日が続いている。
「今だっけ?私の出番は」
「あれっ?寒くなったぞ、まだ早かった?」
「よし、今だ」
と言って、不順な天候の所為で、つつじは消え入りそうになっていたのに、再び咲きだしたという感じだ。花も季節感をつかみ損なっってしまったのだろうか。

 おまけにこの週末は、台風2号(ソングダー)がやって来そうだ。五月に大きな台風が来るなんて、こんな事は今までにないよ。どうなってるの?ニュースでは、イギリスで季節外れの強風の所為で木々が倒れ、北米では例年にない大竜巻が相次いで発生したりと、いずれも被害が大きい。霧島山(新燃岳)の噴火やアイスランドのグリームスボトン火山の噴火といい、地球規模の気候変動、地殻変動が起っているのだろうか。

 夕方は蒸し暑いと思ったのに、今 午後10時50分、雨音が大きくなってきた。開け放した窓からは冷たい風が入り込んで、涼しい。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ニューヨーク大停電の夜に」

2011年05月23日 | 日々のこと
 昨年の暮れに見た「ニューヨーク大停電の夜に」構成・演出:源孝志,ナレーション:相沢友子(BSテレビ)は、もう一度リクエストして見たい番組である。
 
ニューヨークで2003年8月14日、実際に起ったアメリカ北東部の大停電。「その時、あなたはどうしていましたか?」と、いろいろな職業のニューヨーカーたちにインタビューした番組だった。
 
夕方起きた突然の停電に一瞬人々は「テロか?」と恐れたようだ。5千万人の人々が体験した一夜の出来事であったが、パニックにはならなかった。それは9・11の経験を共有したからだろう、と。
 
アイスクリーム屋さんは、どうせ溶けてしまうのだったらと、道行く人々にアイスクーリームが無くなるまで無料で配り続けた。タクシーがつかまらず暑い中を歩き続けた人々は本当に嬉しかったと。

またある婦人は、まっ暗いアパートに閉じこもっているのも心細いと、玄関に出たら、今まで口を聞いたことのないアパートの隣人たちがいて、彼らと停電の夜を語り合って、楽しく過ごしたし、都会ってなんてすてきなんだろうと見直した、と。

人々は積極的に助け合った。交通整理、路上パフォーマンス、歌を歌って歩き続けた人々。その停電では、略奪行為はほとんど起らなかったそうである。

大きな電力を使うTVは映らなくとも、小さなラジオ局のディスクジョッキーの声に励まされたと言う人も。路上のあちこちでは、バーべキューをする人々がいた。

 さまざまな人のインタビューから大方の人々は冷静であったことがわかった。かつどうせならこの停電を楽しもう、という気持ちさえ起きたようである。

ディスクジョッキーは、最後に「では、次の停電をお楽しみに!」と言ったではないか。なんて素敵なニューヨーカーたち!

 映画「大停電の夜に」はこのニューヨークの事をヒントにして製作されたようである。

 (写真は香港の夜景)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金武町立金武小学校

2011年05月21日 | 金武町の風景
 仕事帰りに、国道329から脇道に入ったら、金武小学校が西日に照らされ、ひと際明るく映えていた。
 金武小学校は、明治15年3月15日に開校し、今年で129歳となった。町内の高台に位置し、沖縄で最初の鉄筋コンクリート校舎だった。だったというのは、その後古くなった校舎は壊されて、現在あるのは、昭和59年3月26日に完成した新校舎である。

 建て替える際には賛成反対で大分もめたそうである。沖縄で最初の鉄筋コンクリート校舎ということもあり、移民の先駆者たちの送金などもあって建てることが出来た村民の自慢の建物であり、誇らしい校舎であったのだ。
 私も、屋上に鐘を吊るしたあのアーチ型の建物が無くなるのは寂しいなと思っていたが、村民の思いは同じだった。
 屋上のアーチ型の独特の懐かしい形は、新校舎にも受け継がれたようある。
 いついつまでも残して欲しい。

 金武小学校校歌

  作詞:新屋敷幸繁
  作曲:中山興真

 1 みどりしたたる大川の 
   国土深く湧きいずる
   泉を汲みて東海の 
   波よりのぼる日を拝み
   若き勇士の  立てこもる
   城のごと建つ  我が金武校
 
 2 いざいざ行かん五大州 
   我らの家は 世界ぞと
   東海をさす 当山翁  
   黄金花咲く 金武の里
   言葉の花も実を持ちて 
   貫き通す 金武魂

 3 守る国頭山遠く 
   静かにこもる蔡温の
   七尋の池掘りそえて 
   そそぐ池原金武田原
   かけてゆたけき農村の 
   文化の花ぞ咲き匂う

 4 ここに巣立つか金武校に 
   わが魂を育て上げ
   人材出でよ世に出でよ 
   金武の洞穴ちえ深く
   島々こめし金武湾の 
   清き誇りを世に立てよ

 5 いざいざゆかん五大州 
   東海望窓あけて 
   朝に文読む椰子のかげ 
   誠一つの金武世界
   磨く力も限りなく 
   理想に燃える我が金武校

 金武小学校の校歌、二番までは行事の際に歌わされたので覚えているが、三番四番五番は、全く歌ったことがなかった。
 小学校の校歌は移民先のブラジル、アルゼンチン、ペルー、ボリビア、ハワイなどでも一世二世の人達には忘れられない故郷の歌となっている。
 時間が許すなら、せっかくある校歌、五番まで歌うように仕向けた方がいい。成長していく子どもたちへ、立派な人になってほしいという願いが込められている。
 
 (写真は、金武湾を挟んで向かいの島、平安座島が見える。)
 校歌にも歌われているように、金武村の頃は、米や畑作中心ののどかな農村であった。今は「金武町」イコールキャンプハンセン、基地の街がクローズアップされ過ぎていて寂しいかぎりである。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見てよ!でっかい虹

2011年05月18日 | 日々のこと
 ずいぶん前のこと。
 国道を走っていると、前方に、道路をまたぐように、虹が架かっていた。それも大きな、きれいな虹。
 「うわーっ!すごい!」「すごい」
 みんな、車を運転しているみんな見ているの?気付いている?と、私。見とれて、ながら運転をしていた。しばらく走って用事のため、車を左側に停車した。すると、追い越して行く車の運転手が一人、振り返って私を見た。「んっ?知り合いだっっけ?」首をかしげた。
 二人目も通りすがりに私を見た、というよりにらんでいるみたい・・・なんで?・・・・・「はっ」と気付いた。

 考えてみたら・・私、虹に見とれていたものだから、たぶん20kmぐらいでのろのろ運転をしていたのだと、はたと気づいた。「ごめんなさい」穴があったら入りたい心境。

 そこで、思い出した。ある時読んだ本にこんな事が書いてあった。
 宇宙船の乗組員は文系には向かない、理系の人の方が向いていると。
 それは、たぶん文系の人、たとえば詩人とか、そう言う人が宇宙から地球を見たら、感動のあまり任務を遂行できないというのだった。アポロ13号のように、数々のアクシデントに遭遇しても冷静に自分の心を制御し、ひとつ一つ難題をクリア出来たのも理系ならではなんだろうと、私も同感した。納得した。私は文系。宇宙に行ってみたいが、運転手ではなく客としてなら。あなたはどちら?

(金武湾の夕景)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五月蠅

2011年05月17日 | 日々のこと
 「五月蝿」+「い」と書いて「うるさい」と読む。このところ、職場に舞い込んだ一匹の蠅。昨日もいたが今日もまだいた。小蝿ながら、払っても払ってもまとわりつくので、うるさいと言ったらこの上ない。

 「五月蠅」=「ごがつばえ」=「うるさい」。言葉って本当によく出来ている。どの季節の蝿(ハエ)よりも、特にこの五月に現れる蝿はうるさいのである。

 職場にはハエも来るが、写真のようなかわいい糸トンボも舞い込んでくる。どこで生まれてここまでやってくるの?と聞いてみたい。繊細なとんぼ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイビスカス

2011年05月16日 | 大好きなハイビスカス
頬に紅をさしたように。恥ずかしがり屋?

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の花

2011年05月16日 | 日々のこと
 母は花が好きだ。庭に出るとずーと何時間でも家に入って来ないで、手入れをすることがよくあった。近年は嫁に気兼ねばかりして庭に出るのもずいぶん減ってしまった。その分元気がない。それが不憫でドライブに、気晴らしに連れて行く。昔の人だから、きれいに今風に整然とした花壇ではなかったが、「ここ見て、この花きれいでしょう」「ここに挿し木してあるよ」と行くと得意げに案内してくれた。手当たり次第に挿した植物が茂っていたが、どこにどの花を植えてあるのかは、本人がよく知っていて庭の花壇を自慢するのが常だった。その表情は生き生きとしていた。今、その顔が見られないのでちょっと寂しい。

 母は時々、庭にある花を摘んできて活けたりするが、それがとても素敵なのである。センスがいいと私は思っている。写真の花もそれ。
 父の誕生日(去年)にみんなが集まった食卓にさりげなく置かれていた花。

 
 今、テレビで「認知症の人をあまり怒ってはいけない。余計に症状を悪化させるのだ」そうである。怒っている表情には敏感に反応して、怖いという。できるだけ穏やかに、笑顔をたくさん見せて優しくしてあげよう。私達の幼い時にしてもらったことのお返し。母が最近ちょっと元気がないので、気をつけて見て行こうかな。認知症にならないように。まわりの人に気兼ねばかりしすぎる母。どこの誰よりも優しい母。優しくされた分、やさしくしてあげなくては。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする