沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

映画「若者たち」

2011年04月30日 | 日々のこと
 BSでやっていた映画「若者たち」面白かった。これはもともとはテレビドラマとして(第一回放送:1966年2月7日)に放送されたようである。当初、視聴率がわるかったので、早めに打ち切りになりそうなのを、熱心な視聴者達からの抗議があって続けられることになり、視聴率もだんだん上がり、翌年9月まで続いたようである。その後映画になった。

 白黒映画ながら、それを感じさせない若者たちの前向きで一生懸命に、今を生き抜く姿に感動する。両親を失った兄妹5人が、長男演ずる田中邦衛を中心に、恋愛、受験、兄妹愛と葛藤、就職、結婚、学歴など、当時の若者たちの姿が描かれている。高度成長期前の貧しかった日本が見える。前向きに溌剌と生きる姿に共感を覚える。

 日本でも、兄妹の数が多く貧しかった時代は、長男や長女は家族の手助けになればと、自ら犠牲になって働いて家族を助ける姿勢が見られた。このドラマもそうだ。今の日本は豊かになって、長男らしさや長女らしさというのはあまり感じられないが。フィリピンから日本に出稼ぎにきて家族に送金している若い女性たちの姿にかつての日本が重なる。彼女たちは明るい。希望がある。


 主演は(山本圭、佐藤オリエ、 松山省二、橋本功、そして田中邦衛)。若者達に見せたい映画である。
 よく耳にしたあの歌「若者たち」はこの映画で流れていたものだったんですね。知らなかった。
 
 「若者たち」 作詞: 藤田敏雄
        作曲: 佐藤 勝
         唄: ザ・ブロードサイド・フォー

 ♪ 君の行く道は 果てしなく遠い
   だのになぜ 歯をくいしばり
   君は行くのか
   そんなにしてまで

   君のあの人は 今はもういない
   だのになぜ なにを探して
   君は行くのか
   あてもないのに

   君の行く道は 希望へと続く
   空にまた 陽がのぼるとき
   若者はまた
   歩きはじめる
   空にまた 陽がのぼるとき
   若者はまた
   歩きはじめる

     (写真は沖縄国立高専へ続く道:名護市辺野古)

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久しぶりの雨

2011年04月26日 | 日々のこと
 今日は午後から雨が降り出した。久しぶりの雨。雨降りもたまにはいい。
 もしかしたら、このまま雨が続いて梅雨入りなんてならないでしょうね。なんて思ってしまった。というのは夕方、雨の中を車で走っていたら、なんだか梅雨の季節の中にいるような感覚に陥った所為。

 今年はもう四月も終わろうとしているのに、涼しい日が続いている。暑くはないので過ごしやすいのはいいが、なんだか拍子ぬけした感じ。台風のようにいつも来るものが来ない、なにかがここへきて変わってしまったのだろうか。
 
 2011年って、なんていう年なのだろう、こんな大きな悲しい事が起ってしまって、何万という方が亡くなり、何十万という方が被災し、避難しているこの現実。本当に神様はいるのだろうか、と思ってしまいたくなる。あまりにも悲しみが大きすぎて心が沈み込んでしまいそうだ。スーちゃんのことも思いだされて、雨の中を走る私の眼から流れ落ちるものをフロントガラスのワイパーがぬぐっているかのような錯覚をした。

 

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さよなら スーちゃん ありがとう

2011年04月25日 | 日々のこと
 今日スーチャンの告別式が行われた。
 さよならも言わないで突然去って逝ってしまった・・と思っていた。TVをつけると、スーちゃんがメッセージを遺していた。「今日は3月29日です。震災のことを思うと心が破裂しそうです、亡くなった人のご冥福をお祈ります。」
 お世話になった方々への感謝の言葉もあった。
 「もっと映画をやりたかった、もっとテレビで演じたかった、もっともっと女優を続けたかった。美樹さん、蘭さんありがとう、・・・カズさん(夫)よろしくね、ありがとう。」
 彼女の優しさが心に沁み入って来るようなことばだった。辛そうな体調の中でのメッセージであることは、声の調子でわかった。が、残った人たちへ伝えたいことをしっかりと伝えていた。メッセージは三分あまりにも及ぶものだという。泣けます、スーちゃん。
 20年間も病気を抱えながら、頑張ってきたんですね。
 ゆっくりと休んでほしい。
 さよならとちゃんと言ってくれたんだね。さよなら。

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さよなら スーちゃん

2011年04月22日 | 日々のこと
 昨夜遅く、キャンディーズのスーちゃんの訃報が流れた。病気だったという情報もなかったのでとても驚いた。
 私より二つ年上のスーちゃんやキャンディーズは、同世代を生きてきたアイドルだった。とても残念である・・もう、あのくりっとした魅力的な瞳は見られないの?若すぎるよスーチャン、悲しいよ~。
 昭和51年、上京した私の学生時代の四年間は彼女たちの歌をよく聴いていた。
 「微笑みがえし」が流れると、必ず思い出す光景がある。春の天気のいい日。私は寮の部屋の大掃除をしていた。ちょうど、ラジオから

「春一番が 掃除したサッシの窓に ほこりの渦を 踊らせてます♪~
机 本箱 運び出された荷物のあとが 畳の色がそこだけ若いわ~♪」

 と流れていた。歌のテンポが掃除する私の気分を楽しくさせてくれた。三月は別れの季節でもある。私と相部屋だった友人が寮を去り新生活へ旅立って行った。荷物がなくなってポツンと空いた寂しさを、この歌が励ましてくれた。気持ちが上向きになる歌だった。

 私と同世代の者にとって「キャンディーズ」は掛け替えのないアイドルで、青春時代の若い日は、彼女達の歌と共に駆け抜けた。

 あ~、もうスーちゃんに会えないのか。。

  ありがとう、スーちゃん(田中好子さん)安らかに逝って。ありがとう。

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パークアベニュー(沖縄市)

2011年04月21日 | 日々のこと
 ある日、友人と沖縄市のパークアベニューへ行った。今は、店のシャッターを降ろした所が多く寂れているが、繁栄していた1960年ごろを思わせる看板を見つけた。中々いい感じ。近くにはタコスの店がある。

 パークアベニューは、是非復活してほしい街。私の復活構想案(勝手に考えた)は、この通りは、大人の、熟年の街というコンセプトで復活してほしい。寿命が長くなった今、団塊世代を中心とする方達は元気で購買力がある。沖縄本島は狭い。この中で近年、観光客が増え、修学旅行客が増えているが、北谷は若者の街という感が強い、那覇は観光客の土産やと化している感がある。ならば、沖縄に住む熟年の行ける街があってもいいのではないか、と私は思うのである。
 
 巣鴨のとげぬき地蔵のある街は「おばあちゃんの商店街」として有名だ。コザは沖縄ロックを産んだ街でもある。その頃を知っているのも中高年である。ロックや沖縄音楽が楽しめるライブハウスや中高年を対象にした衣料品の店がたくさんあったらいいな、沖縄の中高年が楽しめる街になれば観光客も自然に増えてくると思う。

 パークアベニューはガーデンシティーの様相を成しているので、緑や花の中を歩いて買い物が出来るのは楽しい。車いすもスムーズに通れる通りになってほしい。パークアベニューの復活を心から願っている。

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経済的に恵まれなくとも

2011年04月18日 | 日々のこと
 「世界ふれあい街歩き」という番組が好きである。数ある街の中で、印象に残っている、または行ってみたいと思う街がいくつかある。スペイン・カディス地方もその一つ。
 案内者が、街に入ると数人の青年たちがいた。何をしているのかと尋ねると、
「朝、海に行って捕ってきた魚を売っているのさ」と。「仕事が無いからね」と明るく、くったくなく言った。カディスはスペインのあるイベリア半島の突端にある街。最も栄えたのは大航海時代を経た18世紀だそう。今は、決して裕福ではないが、街で出会うカディスっ子は明るく、どうぞ入ってきて!と気さくで温かい。
「経済的には恵まれてはいないけど、この街の祭りも、文化も好き、この街に生まれてよかった、皆、家族よ」
と明るく笑う。街にはの~んびりとした時間が流れていた。いい街だなと思った。
 日本も大震災で経済的には大変な時期に入って行くのだろうが、世界には経済的に恵まれない国がある。しかし、必ずしも不幸であるとは言えない。心の持ちよう。「幸せは自分の心が決める」と誰かが言ってた。
 金が無いという事は、使うために出かけなくてもいい⇒暇ができる⇒近所のひととおしゃべり、ふれあいが生まれる。いいことではないか。

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アカギの大木

2011年04月14日 | 金武町の風景
 散歩コースの終り頃、大川から上がっていくと、ここにあった建物が壊されアカギの木2本だけが残された。
 昔ここは、マチヤー(雑貨店)があった所。アカギの下には、店の椅子やテーブルが置かれて、ゆくい所(休んで飲食できる場所)になっていた。
 このアカギの横を通って学校へ行った子どもたちや、大川で遊ぶ子どもたちを、並里の中心であったにぎやかだった頃から、ずーとそこで、見守っていたアカギ、残されてよかった。
 駐車場になるというので、この木がなくなったら寂しいだろうなと思っていたので、よかった。

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南こうせつコンサート

2011年04月04日 | 日々のこと
 去った日曜日「南こうせつコンサート」へ友人5人で行った。
  宜野座村「がらまんホール」は330人ぐらいの小さなホールだが、会場はこうせつ世代、フォーク世代の中高年で満杯だった。
 初めに東北地方太平洋沖地震で亡くなった方のご冥福と、被災者への一日でも早い復興を祈り全員で黙とうをした。
 若かった時代、私達のまわりにはフォークが流れていた。歌が流れると若かったあの頃の事が思い出される。胸ときめかせた若い日が思い出されて、一つひとつの歌、その歌にまつわる情景が瞬時に浮かんできて、なんともいえない幸せな気持ちに包まれた。
 私は「アビロード」が好き、「うちのお父さん」、「夢一夜」、「加茂の流れに」「愛する人へ」「ひとりきり」も好き。

 歌っているこうせつさんのバックでは、夜空と星のまたたきが演出され、良い音楽を聴いて夜空を見上げて幸福感を味わっているその時、被災者のことが突然思いだされた。いつになったら幸福だなと思える時を迎えられるのだろうかと。あまりにも大きすぎる被害。何もかも失ってしまった人の悲しみ、私は鼻の奥がつーんとなった。目頭が熱くなって落ちた。コンサート終盤に「神田川」を歌おうとしたこうせつだったが、声が出なかった。泣いていた。会場のみんながその分を歌った。私も泣けた。こうせつさんは、沖縄の温かい気持ちを頂いたと言った。彼もこの瞬間、被災者の事を思ったのだろう。悲しみが大きいので、声にならないのだ。
 自分が幸せであると思える時に、相手をおもいやる気持ちは起ってくるのだなと思った。
 
 (写真は宜野座村:古島遺跡のがじゅまる)

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川が流れていた

2011年04月03日 | 金武町の風景
 ある日、散歩をしていた夕刻。通ったことのない道をなるべくこの機会にと通ったのが写真の道。といってもこの下は、水が流れている。
 大川から、昔精米所のあった所を過ぎ、川幅が狭まって民家の中を流れていた所が、今は暗渠と化している。
 あの頃は、路になって車も通れるようになり、便利だと思っって喜んだあろうと思う。しかし、今頃になって、せせらぎがあったら、どんなにか楽しいだろうなと思ったりする。
 近所の方達は、この水を利用して洗いものをしていた頃もある。
 「ああ、残しておけばよかったな」という愛惜の念を抱くようになるのは、大抵は無くなってから気付くものである。しかし、昔がよかったなと大勢の人が思うのであれば、復元することもできる。

 大川の児童公園は、子どもの減少により遊ぶ人もない。ここに「せせらぎ」を作ると言う構想を耳にしたが、賛成である。せっかくの豊かな水量を誇る湧水、そのまま田んぼへ直接行ってしまうのはもったいない。
 せせらぎが公園内を流れるようになれば、夏場は冷たくて恰好の遊び場となるに違いない。足湯ならぬ「足涼」or「足冷」OR「足水」?。待ち遠しいな~。

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