沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

ふり向いてくれよ、君

2011年10月31日 | こども&孫
 息子(三男)のために、彼の用事で、彼のアパートまでわざわざ出かけて行った。久しぶりに行くと「遠い
な」と感じてしまう。
 用を済まして、彼のアパートの前を大通りへ出ようとUターンして、手を振ろうと思ったら、最早彼は階段を上がりかけて私の方を振り向こうともしなかった。
 なーんだ、こんなもんか、ま、こんなもんだよね。
「せっかく、遠くから自分のために駈けつけてくれた母」という思いで、見送ってくれるものと思っていたのは大きな間違いだった。
 ま、彼女ではないし、いいか。

 こんなブログに来てくれてありがとう。
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出すこと

2011年10月25日 | こども&孫
 息子(三男)は、かつて私も通った教会の幼稚園だった。
 そこの幼稚園の学芸会の出し物は「キリスト生誕」の場面だった。着物姿の一人がうちの息子。
 学芸会が終わってから、彼は私に言った、
「なんで、おれだけ、あんなかっこうしているば~?」
「いいさー、上手っだったよ」と言ったが、不服そうな顔をしていた。
 もっと違うかっこいい服が着たかったらしい。マントとキラキラした物を俺も付けたかった、と。演じたストーリーもまだそんなにわからないのに、誰がかっこいい役なのかはわかるらしい。
 なんだかそれが、私には可笑しかった。今思い出しても、彼の不満そうな顔が思い出されて、笑えてしまう。

 こんなブログに来てくれてニフェーデービル。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福花(ふっか)を望む景色

2011年10月24日 | 金武町の風景

金武町に新しいそば屋「並松そば」が開店した。がけ地に建っているので、見晴らしは抜群にいい。福花(ふっか)や恩納連山が望める。
 真ん中の写真を拡大するとわかるが、中央の緑色の建物は「野球場」今建築中だ。その向こうは、米軍より返還されれたギンバル訓練場。
 そば屋の場所は、戦車道(と呼ばれている)を福花向けに少し行くと左手にある。味もいいよ。

 こんなブログにきてくれてニフェーデービル。
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年10月21日 | 日々のこと
 母は病院へ行って、夕方近くなると「もう帰ろう、帰ろう」と言う。病院に行くと疲れるし頭も痛くなると言う。なのに、きっと明日になったら、「早く行かないと、おっとーが寂しい筈よ」と言う。今の母は、病院に行くのが日課になっている。
 私は、夕食後一時間ぐらい母の所で過ごすようにしているが、父のいない家の中はやはり物足りない。広い家が余計に広く感じてしまう。話す相手のいない母は、私が行くとよくしゃべる。耳が遠いので、私の言葉が聞こえないので、一方的にしゃべりまくっていると言う感じ。時々、私は大きな声で、私の言っているの聞こえる?と、同じことを繰り返す。疲れてしまうが、父の気持ちがよくわかった。
 
  補聴器をすればいいのに、私の周りにいる補聴器をしている人の多くは、煩わしい雑音が聞こえて嫌なので、知らず知らず補聴器をはずしてしまうという人が多い。
 どうにかならないのかしら・・。

こんなブログに来てくれてニフェーデービル。 

 (写真は母の畑へ通ずる道)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向田邦子

2011年10月19日 | 


 向田邦子が好きだった。例の如く好きになるとまっしぐら、なので、彼女の本をよく読んでいた頃があった。彼女のTVドラマも好きだった。というより、ドラマが好きで、本を読んでみようと言う気になった。
 果たして、彼女の本を読み漁ると、今度は向田邦子という人がどんな女性なのか知りたくなった。
 そういう時に、出会ったのが写真の本。「向田邦子の手料理」。
 手早く気取らない料理が上手で、酒も嗜み、器が好きな女性だった。旅行が好きで、猫(マミオ)をこよなく可愛がった。
 「においの強い野菜が好きだった」というのは、自分と似ていると単純に嬉しかった。
 この本の中から、参考にして作った品もあったが、妹和子さんが姉邦子を偲んで書き上げた本であった。
 料理本としてというより、私は向田邦子により近づくことができた、嬉しい一冊だった。
 
 向田邦子がよく作った料理を出すという「ままや」はまだあるのだろうか?。一度行きたいと思っていたが、ついに機会は訪れなかった。
 
 向田邦子さんが、台湾の上空で散ってしまったのは1981年。ちょうど30年前になる。その訃報を私は、当時住んでいた三鷹で聞いていた。衝撃的なニュースだった。惜しい人であった。あれから、30年。

 こんなブログに来てくれてニフェーデービル。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の夜長

2011年10月18日 | こども&孫
 
秋の夜長、こんな日は、昔の思いでに浸るのもいい。
 子どもたちが、小さい頃、私の影響なのかなー?
 私は高橋英樹が好きでよく「暴れん坊将軍」を見ていた。が、そのせいだったのか、子ども番組で剣劇があったのか、今となってはそのきっかけは忘れてしまった。が、子どもたちは剣が大好きで、どこへ行くにも剣を手放さずに二人ともよくそれで遊んでいた。
 
 写真1と2枚目は、一年に一回の里帰りの時、旧那覇空港の駐車場でのスナップ。
 彼等は私が言っても聞かずとうとう、半ズボンの中に剣を差したまま、電車に乗り、モノレールに乗り、飛行機に乗って沖縄へやって来たのだった。
 当時は「エイッ!」「ヤーッ!」と毎日飽きずに剣劇ごっこをしていた。~懐かしい・・。まだ三男は生まれていないので、2歳と4歳ぐらいだろうか。
 3枚目は練馬区光が丘公園、桜の季節。
 

 こんなブログに来てくれてニフェーデービル。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイビスカス

2011年10月15日 | 大好きなハイビスカス
 
雨の多い今週、そのお陰で視界がクリアになった。向かいの島がくっきりと。植物たちもうれしそう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瑞々しい田畑

2011年10月13日 | 日々のこと

今日は母の特定健診の日、私は午前中休みを取って付き合った。何でも父に任せていた母は自分ではできないことが多い。車でどこにでも連れて行った父。銀行のキャッシュカードも父。子どもたちへ掛ける携帯電話も父が。ニュース解説もして上げていた父。母は不便な事が多く戸惑っているのかも知れない。
 健診が思いの外早く終わったので、止めてしまった畑と田を見周りに行った。
 雨上がりの畑。茂った雑草がぬれているのも構わず、車からさっと降りた母。何をするかと思いきや、フーチュバー(ヨモギ)があったはずといって、しばし、熱心にそれを摘んでいた。

 帰り際、生い茂る雑草の中にひときわ目をひく花があった。それを母は嬉しそうに手折っていた。
「あち、すらーる」(訳:あんなにきれい!)
「あち、かわいいえーる」(訳:あんな、かわいい)
の連発。
  
 田には、白鷺?や、小さな渡り鳥がいた。金武町は野鳥の宝庫でもある。雨上がりの潤った田畑が目や心を洗ってくれるようだ。

 こんなブログに来てくれてニフェーデービル。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れてはならない

2011年10月11日 | 日々のこと
  戦後焼け野原になった沖縄。それを伝え聞いたハワイの県系人が、1948年、食糧難で苦しむ沖縄住民を救おうと、考えた末に豚550頭を贈ってくれた。食料では一時的な救済にしかならず、すぐになくなってしまう、だから「生きている豚を送ろう」となった。沖縄が苦しんでいるという広報、豚を買い集めるための資金集め、それを沖縄まで運ぶ米軍艦の借用にと、故郷を思う移民の方々が、奔走してくれた。
 いざ、沖縄へという時、長い旅路の上に豚を死なせないようにその世話もしなくてはならないというので、頑強な男7名が選ばれ出発した。台風に遭遇し、船酔いで苦しみ、糞まみれになりながらも、「豚を死なせてはならない」「絶対に生きた豚を届けたい」と過酷な労働の末、無事沖縄に生きた豚を届けることができたのである。

 私が生まれる10年ぐらい前の出来ごとだが、物心つく頃から近所ではどこの家でも豚を飼っていた。豚が屋敷内で飼われている風景はごく普通の光景であった。私の家や近所で飼われていた豚はこれらの人々が贈ってくれた豚の子孫だったのだろう。
 
 「ハワイから贈られた豚」は「故郷沖縄を救おうと奔走した移民の方たち」なのである。また北・南米などの多くの国々の県系人が多量の物資を届けてくれたことも、私達は忘れてはならない。語り継いでいきたい話である。

(写真は今日の琉球新報・孫が実家で見つけた写真により、祖父が7人の勇士のひとりであったという記事)

 こんなブログに来てくれてニフェーデービル。
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第32回金武町まつり

2011年10月10日 | 日々のこと
  
 昨日心配されていた雨も降らず、無事「第32回金武町まつり」が行われた。
 「ムッスナイナイ」の係だったので、傍らで見ていたが、職場や老人会それぞれに趣向を凝らして楽しいものであった。今年は、ウチナーンチュ大会。カナダ、北米、ハワイ、アルゼンチン、ブラジル、ペルー、ボリビアから移民のルーツ金武町を訪れた方達も、舞台で踊り交流を深めた。
 子どもたちは「マルマルモリモリ」の曲が流れると、競って舞台に上がって行った。舞台でも会場でも子どもたちが楽しそうに踊っていた。流行りの曲は凄い!
 祭りの間中、風がさわさわとふいて今までにない過ごしやすい祭り日であった。
  
 私は、久しぶりに花火を終わりまで観賞した。きれいだった~。
 写真はおすそ分け。腕がいまいち・・カメラが悪いのか・・。
 

 こんなブログに来てくれてニフェーデービル。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする