沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

ラジオ体操の音楽が

2012年07月31日 | 日々のこと
 朝ごはんを作っていたら、ラジオ体操の音楽が流れてきた。子どもたちは夏休みに入っているので、大川の公園でやっているのだろう。いいね。昔から、あったよね。私たちの頃は、上級生が責任を持って、ラジオを持ってきたり、ハンコを押したりしていたが、今は親が交代でついていなくてはならないようです。

 二つの台風が、西と東から沖縄を挟んで通過して行きそうです。その所為で風があり、暑さもやわらいでいます。
 七月も台風は来なかった。

 二三年前から、今まで普通にあったことが、普通でなくなった気候。居心地が悪いような・・。

 今日も穏やかな一日でありますように。


 ブログ訪問ありがとうございます。

(写真は、夏空の沖縄、きれいですね)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金武町史 第1巻 移民・証言編

2012年07月30日 | 移民関係
  

 私が友人に「私も小さい頃、移民しようと思っていた時があった」と言ったら笑われたが、本当の事である。
 家が公民館に近かったせいもあるが、あの頃、移民の映画がよく公民館で上映されていて、私は一番前で見ていた。「小さな沖縄から出て、大陸に渡れば、広大な土地が貰える、将来に夢がある」と言うようなものだったかもしれない。今思えば、移民を扇動するような映画だったのだろう。子どもだった私でさえ、その気になったのだから。

 今回の北米、南米を訪問して、元々近所だった方々が多いのに驚いた。ので、もう一度「金武町移民史(3部)」の証言編を読みなおした。

 あの頃の村の人口は今(1万人)より少なかった筈である。(当時の人口については戦争で資料が焼失してわからないようです)。しかし移民人口は実に2千人を超えている。
 


次の資料で、隣組ごとに移民した家とその移民先がわかる。色を塗られていない家、すなわち移民しない家の方が、この並里区では少ない位である。私の実家のある仲栄組では実に80%の方が移民している。当時、どんなに移民熱が高かったかがわかる。

 事実は小説よりも奇なり   

 とても良くできた、よくぞここまで調べ上げたと言う資料である。証言者の方々のお話も小説よりも面白い。今回お会いした一世の方の証言もあり、な~だぐるぐるしながら読んだり、笑わされたり、大変興味深い資料である。

 

  参考資料:金武町史 第1巻「移民・証言編」1996年3月31日発行
       金武町史編さん委員会

 ブログ訪問ありがとう。
 
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

故郷は遠きにありて思うもの

2012年07月28日 | 移民関係
 ブラジルでお世話になったASAKOさん宅の豪華なマンションの一室には、和室が設えてあった。
 私達はそこで二泊させてもらった。

 和室の床の間には、「日々是好日」の掛け軸と「琉球人形」が飾られていた。
 ブラジルから遥か遠く隔たった故郷、沖縄(日本)がここにあった。故郷を離れて40年以上経っても、故郷はふるさとなんだよね。

 誰も知っている人がいないと思っていたブラジル。紹介されたり、声を掛けてもらったりして、驚いた、私の実家の近所の方ばかりが大勢。こんなにたくさんの方が、あの時代に(40年~50年前に)移民していたのだ。

 私の住む金武町並里区は、「移民の父:当山久三」を輩出した所。移民に対する思いは他所の地域より強く熱いものがあったのだろう。


 地球の反対側にいる私達の同胞。行って良かったと思う。はるか遠く離れた所でも、故郷を熱き思いで見つめながら頑張っている人々がいると言う事を知った事も、なんかありがたい気持ちになった。勇気をもらった気がした。
 ASAKOさんのご家族のみなさん大変お世話になりました。ありがとうございました。
  
 ブログ訪問ありがとうございます。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天空の沙汰も・・

2012年07月27日 | 


今回の旅で驚いたことがあった。それは、飛行機のビジネス(ファーストクラス)の座席。
 足が伸ばせて、まるで居間でくつろいでいるようなスタイルで長時間の飛行ルートを快適に過ごせるようになっていた。進化しているのね。

 飛行機の搭乗口が、ファーストクラスの座席を通って行くものだから、嫌でも目に入る豪華な座席に魅せられた。 その座席の運賃は、20万~30万ぐらい高いらしいよという話が耳に入ってきた。

 「地獄の沙汰も金次第」と言うが、「天空の沙汰も金次第」のようだね。
 
 運賃が、例えば3万~5万ぐらい高いらしいよ、なら、頑張れば乗れる、いつかは乗って見たいと思う気持ちも出てくるが、こんなに高いと聞くと容易に諦められるからいいよね。

 アトランタやニューヨークにも行ったが、乗り継ぎの5~6時間、空港内にいただけで、市内に出られないのが残念だった。


 ブログ訪問ありがとう。

(写真左から・ずーと乗り続けたデルタ機・アトランタ空港・ニューヨーク空港)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロサンゼルスの気候

2012年07月25日 | 移民関係
  

 ロサンゼルスは真夏なのに、なにか沖縄とはちがう。それは、ふく風が冷たいと言う事。日差しが強くても、沖縄のようにべとつかない。湿気がないので、肌がさらさらしている。
 ロサンゼルスを案内してくれたNORIKOさんが言うには、ここは寒流が流れているからだという。だから海は近くても泳ぐ人はいないと言う事だった。

 沖縄の海は暖流が流れているから、熱風が吹くんだね。帽子もかぶらないと道を歩けないのに、ここでは、熱いのを忘れてしまう。風が冷たくて、天然のクーラーのようだから、真っ黒に日焼けしてしまった。

 暖流、寒流っていつも同じ流れでなくて、時々入れ代わったらいいのに*と、ロスの気候がちょっと羨ましかった。

 写真の海はサンタモニカ。

 ブログ訪問ありがとう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バナナ園

2012年07月23日 | 移民関係


 移民で最初に入植したバナナ園の見学に行った。サンパウロの中心部から三時間ほど離れた郊外へ向かった。広大なバナナ園は、ひと山ふた山の単位で所有しているらしい。隣の家もない、この奥深い山に足を踏み入れ、開拓して行った移民一世の方々。
 まだ手つかずの荒れ地だった山を、目のあたりにした時の思いはどんなだったのだろう。

 山はきれいに手入れされ、整然と佇んでいた。今は、成功して現地の人を雇っている。その使用人の家族用の家も敷地内に建て与えていた。
 トラックに乗って、バナナ園の奥まで見学させてもらった。雨が少ないのか、砂ぼこりがまっていた。

 幼い頃、この地で嫌と言うほど親と一緒に働いたというTADASIさんは、感慨深げに歩いていた。
 その後ろ姿。逞しい背中が「ワイルドだね~」。



 園の中にあるため池で、旅人の私達は、しばし釣りを楽しんだ。都会の喧騒から逃れて、時間を忘れさせてくれた。

ホテル近くの中心部とは打って変って、バナナ園のあるこの村は、ここもブラジル?と思わせる、のどかな風景だ。
黒砂糖の飴玉を分けて上げようと、袋を手渡すと、子どもたちは、自分の分を取って「ハイ」と返してくれた。素朴でかわいい子どもたち。

 ブログ訪問ありがとう 

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカの迫力

2012年07月22日 | 移民関係


 ロサンゼルスのユニバーサルスタジオへ行った。最初に行ったアドベンチャーショーは「海賊に取られた仲間を取り戻す」という、とてもわかりやすいものであった。
 スリルと迫力に満ち、観客にも遠慮なく水をぶっかけたり、応援合戦をさせたり、観客を巻きこみ楽しませる、さすがアメリカだと思った。

 しかし、写真のように石油を撒いて火をつけた時の爆音に私はすごく驚かされた。それに石油臭さも。で、毎日のショーの度に、石油が撒かれ燃やされるのだろうか、アメリカは資源が豊かな国なのだなと思った。
 そこまでしなくても十分楽しめるのになとも思った。
(もったいない国のおばさんの感想でした)

 沖縄の今朝は、六時過ぎと言うのに、もうミージュー(セミ)の泣き声がうるさいです。テレビの音も聞こえないぐらい。


 ブログ訪問ありがとうございます

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロサンゼルスのオレンジ

2012年07月20日 | 移民関係


 ロサンゼルスで、お世話になった仲間さん宅のプールサイドにオレンジが生っていた。食べていいよ、と言われて一個だけホテルに持ち帰った。それが、とってもおいしかった。皮もむきやすくてみずみずしく。もっと取って来ればよかった〜と後悔した。
 
 さすが、アメリカ大陸噂に聞いていたが、やはりプールがあった。プールの横のあたいグァー(小さな畑)には、ゴーヤーとナベラーと、カンジャバーが植えられていた。
 やっぱり、所変われど、生まれ育った故郷の慣れ親しんだ野菜はいいよね。


 私は、沖縄に帰ってきてから、もう一度あのオレンジが食べたくなって、スーパーで写真のオレンジを買ってきた。遠いアメリカから来る間に水分が蒸発したのか、川がむきにくく、自然に生っていた本場ものにはかなわず、残念な気がした。
 自分のお庭であのおいしいオレンジが採れるなんて、うらやましい~。

 ブログ訪問ありがとう

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕空

2012年07月18日 | 日々のこと
 沖縄は蒸し暑い日々が続いている。朝からちょっと動いただけで汗を掻いてしまう。ロサンゼルスは日中の暑さはあるが、沖縄のようにべとついた暑さではなく、さらっとしている。羨ましい。

 仕事を終えて、家に帰ってすぐやることは、家中の窓や戸を開け放ち、熱風を追い出すこと。そう言うのが一段落して、ベランダへ目をやると、空がきれい!

 この所、大きな雨がザーっと降るので、木々や街並みが洗われた様にきれいです。サンパウロにも、こんな雨が降ったらいいのに。
木々が排気ガスで黒づんでいたのがもったいないと思った。


 ブログ訪問ありがとうございます。



 
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時差ぼけ?

2012年07月17日 | 移民関係


写真は、ロサンゼルスに到着して、初めて観光したヨットハーバー(ベニスビーチ)。
その近くには、素敵な店が建ち並んでいた。海が望める店で、食事をしたが、金武湾にもこのような店があったら良いなと思った。
 釣り人の近くには、大きな海鳥が飛び交っていた。

 夏と聞いていたのに、私は肌寒かった。聞いたら、ここは寒流が通っているせいだという。道理で。だから、海は近くても泳ぐ人はそういないそうです。

 
 私は、旅から帰ってきて、翌日から仕事だったので、その日あまり寝ていなかった所為なのか、この三日間、夜八時になると、ものすごい眠気に襲われて、9時には寝ている始末。
 お陰で夜型だった私が、毎日9時には寝て、朝4時か5時には目が覚めている。どうなっているのかしら?


 ブログ訪問ありがとうございます。 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする