沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

同時進行

2011年03月30日 | 日々のこと
 世界でも類をみない広範囲にまたがった大震災。国内にとどまらず、世界中から支援メッセージが届いている。日本に向ける世界の目は温かい。「自分たちが大変な時、日本が一番支援してくれた」「日本には世話になった」「何かお返しがしたい」「出来ることはなんでもする」など。また、昨日は「発電所丸ごと一基借り受けたいと言った日本に対して無償で差し出してくれたタイ国」「日本が窮地に陥っている。助けてあげなくては」というニュースもあった。
 
 かつての私は日本が海外支援するニュースを聞くと、「国内にも恵まれない人々がたくさんいるのに、まずはそこからやるべきじゃないの?」と思っていた時あった。しかし、人間には同時進行してやらなければならない事があると知った。

 今、日本を応援し、支援している諸外国とは、裕福な国だけではない、小さな国や発展途上国からも温かい善意が寄せられている。 だから、自分の生活が裕福でなくとも、困っている人に手を差しのべるという事は同時進行でなくてはならないのである。

 自分達の国がやってきた事、積み重ねてきたことで、今度は日本が助けられている。
 震災のまえから現れた「タイガーマスク」といい、日本という国を見直している。
 今日はどんな状況なの、物資は届いたの?被災地の様子を毎日の報道を通して知る。 

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あなたの中にある

2011年03月27日 | 日々のこと


 ある詩(下記)を読んでいたら、思い出した事があった。

 先日のTVの報道で、被災地に500本のチューリップの球根が流されたと言っていた方がいた。「500個のチューリップの球根を探してるんです。 この辺にチューリップがぱーっと咲いたら、 楽しいなあと思って」と。彼は妻と子どもが津波に流された。
 ほんとにチューリップが咲いたら良いのに。心が少しだけ晴れるかな。

 ある詩とは写真の 大石直樹著:詩集「ガラスの少女」 その中の一遍の詩。


     光へ光へ
 
   
      芽が出る前の
      
      種っていうのはさ
      
      たいていは土の中なんだよ
      
      じめっとして 暗くて 
      
      冷たいよね

      
      でも春がくるでしょう
      
      日が当たり 温かくなるとね
      
      土をやぶって出て来るんだよ
      
      あの傷つきやすい双葉でだよ 

      
      生きよう という力はね
      
      あなたの中にあるんだよ





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「つなみ」

2011年03月23日 | 日々のこと
 「つなみ」という紙芝居を通して、津波の恐ろしさを忘れてはいけない、侮ってはいけないと伝え続けているおばあちゃんがいた。
 TVで見たのだったが、おばあちゃんは昔、お母さんと兄が津波に飲み込まれた悲しい体験をしていた。津波は大切な物をすべて奪い去って行く。忘れたころに怪物はやってくる、「津波がくる!と聞いたら、自分一人でも高台の方へ走って避難しなさい」「自分で自分の身を守りなさい」といい自分が体験した事、教えられた事を、紙芝居にして子どもたちに伝え続けていた。

 災害は忘れた時にやってくる。自分の身は自分で守れ。という事は、沖縄の台風にも言えることだ。この二年間台風が来ない、毎年通過して「台風銀座」と呼ばれていた沖縄だったが、このまま台風が来ない年が続くと、子どもたちは台風が接近してきても「危険察知」「台風対策」が出来ないのではと、不安になる。

 「つなみ」のおばあちゃんのように、沖縄に住む私達は、次世代へ「台風の恐ろしさや、その対策」を伝え続けていかなくてはならない。

 それともう一つ、伝えたいものがある。
 震災にあった方達を助け合う温かい人々の事。震災にあっても、頑張って行く、また再建すると前向きな人たちのことを。

 震災地からのレポートに毎日胸が熱くなる。

 頑張ってと言っていいのか、わからない。心を強く持って・・一日づつの・・積みかさね。

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さすが神戸の皆さん

2011年03月20日 | 日々のこと
 1995年1月17日の阪神大震災に遭われた方が、震災を体験した者の立場から、今回の被災者を支援している。
 彼等らが送った物資の中に
○「油性マジック」:(自分の存在を示すため)
○「サランラップ」:(水が使えないので、皿の上にラップを敷いて使い捨てにする)

 他にも震災体験者ならではの、心遣いの品々が送られたようである。さらに

○発生時に必要な物(ミルク・・・他)
○10日後に必要な物(パーテーション:体育館などでの間仕切り・・・他   ボランティア:子どもの遊び相手・・・他)
○1カ月後に必要な物(ボランティア:引越しの手伝い・個別訪問・・・他)
○3ヶ月後に必要な物(ボランティア:引越しの手伝い・・・他)

 上記のように時系列に必要な物を書き記し(全部は書きとめられなかった)、「きめ細かな物資の援助とぬくもりの感じられる関わり方」で支援している。震災に遭われた神戸の皆さんが、誰よりも頼もしい支援者となっている。さすがです、神戸の皆さん、ありがとう。

 震災から10日経って、80歳の女性と孫16歳が救出された。うれしいニュースだ。
 
 昨日、宮崎へ帰る甥を那覇空港まで見送った。彼は24日に卒業すると東京での入社が待っている。社会人の一歩が未曾有の大震災という年になったが、彼の学んだ事は社会の役に立てることだろう、日本の復興にかかわる一人として頑張ってほしい。

 (写真は金武町の福花(ふっか):海はいつも優しい表情をしているとは限らないのだ、あんな怖い一面もあるのだと思い知らされた今回の震災だった)
コメント (2)
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原発どうなる?

2011年03月20日 | 日々のこと
 沖縄から東京への飛行機の直行便が就航するようになってから、東京へ進学就職する人は多い。九州の大学から東京の会社へ就職が決まった甥。地震の心配もあるが、原発がどうなるのかそっちの方から目が離せない。行かせていいものかどうか、親の心配は尽きない。関東にいる娘や息子親戚を持つ親なら誰でも。
 三月に入って息子に埼玉から封書が届き、なんでだろう?と問いただしたら、我が息子この四月から埼玉で仕事するから沖縄を出て行くそうである。えっ?!東京の大学を卒業して帰ってきたのだから、腰を落ち着けて勉強して仕事につけるようにと思っているのに。なんで?私は反対と言っったが聞く耳を持たない。しっかりもう大人なんだよと思いなおしたりもするが。は~~。
 親にとっては、子どもはいつまでも子ども。近くにいれば安心なのに。私も、かつて親の反対を押し切って上京した過去がある。誰に似たのか?親になって知る親心。
 そうこうしている間に大震災が起こった。関東方面から避難してくる人がいる、なのに・あなたはこれから向かうと言うの?。 どうなるのか、原発。どうか静まってくれと祈るのみ。

 (写真は今沖縄で咲き誇っているばら)

 三月も中旬になると言うのに沖縄は、例年にはない朝夕の寒さが続いている。

 まだ食料が届いていない所がある。毛布が届いてない所がある。原発事故で撤退して行った外国の救援隊。私達の頼みの綱は自国の自衛隊だけである。頑張ってほしいと切に祈るのみである。沖縄も被災者の受け入れを始めています。せっかく助かった命、頑張って下さい。

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大震災をのりこえよう

2011年03月17日 | 日々のこと
 ある男性は「津波が来た」というので、避難するために玄関先で父と手をつないでいた。それが、あっという間に来た津波でつないでいた手は離れていた。その直前までの父の顔が浮かぶ。玄関の中にいた母の顔も浮かんでくる。
 やってあげたい事があった。もっといろいろな事をして上げたかった。旅行にも連れて行きたかったし、温泉にも、まだまだやってあげたいことがあった。

 「おにぎり一個とパン一個、それが今日の食事、辛い」
 「暖かいものが食べたい」「毛布一枚で三人」「暖房器具が何もない」「ガソリンが無いから病院にも行けない」[薬が無い」

 道路が壊滅したのだったら、ヘリでどうにか食料を落とすことは出来ないのかと、TVを見ていてやきもきする。
 
 家族を探して、避難所を回る人々を見ていると、まるで戦後のようだ。

 ある避難所で。「みんなで生きていけばいい」と言って、避難所にいる人々を積極的に助け合っている女子高校生。
「その姿に大人たちも勇気づけられて動いていると思う。」とある男性。
 女子高校生は「ない(なくなったもの)ものを考えると・・生きていくんだ、って頑張る、みんなと一緒に」と自分に言い聞かせるように。

 天災(地震、津波、台風)は、突然やってくる。そして人々の生活を一瞬のうちに奪って行ってしまう。一生懸命に生きていた人々から何もかもを奪い去って行く。
 
 それはいつ、誰がそういう目に遭うかわからない。だから、私は天災にあった人には、手厚い支援をして頂きたいと思う。親族やそれにまつわる一切の物を亡くした人は、心を病む人もいる。働きたくても働けない人も出てくるからだ。
 辛い思いをした人にこそ、暖かい支援保護が必要。仮設住宅を作ったからと終わりにしないでね。
 
 辛いことが多くて、暗くなりそうな避難所の中で、「みんなで頑張って行こう」という連帯感が生まれている。見ている私の方が励まされる。必ず東北地方は復興する。私は被災者のみなさんから学ぶ事が多い。

 関東地方の停電への協力、整然と列をなして電車やバスを待つ姿。日本も捨てたものではないぞ、と思う。

 震災に遭わなかった健康で、幸せな人は「がまんができる」。私は私にできる事(募金)で協力する。 

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東北地方太平洋沖地震

2011年03月14日 | 日々のこと
  東北地方太平洋沖地震が起きてから三日経ってしまった。
 言葉を失ってしまうほどの衝撃、映像、現実のこと?ほんとのことなの?力が抜けていく・・・。
 
 茨城の姉家族は無事でなにより。余震が続いているので気をつけて頑張って下さいね。

 今回の地震で亡くなった方々のご冥福を祈ります。被災者の方には、気を強く持って踏ん張ってほしいと心よりお祈りします。
 家族を亡くされて辛いだろう、絶望感に打ちひしがれているのだろうと思います。
 みんな同じ、みんな同じ、あなた一人だけではないよ、がんばろうねと近くにいたら抱きしめて上げたい。そんな人がなんと多いことだろう。映像を見るのも辛い。
 
 そんな中、ある映像で、難を逃れた男性がこう言った。助かった、だいじょうぶ、

 「再建」
 
 思わず、そうだ、そうだよ、がんばろう、がんばっていこう・と声にはならない声を発していた私。

 まだまだ生きている人がいる。一人でも多くの方が助け出されることを祈ります。

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理想の施設

2011年03月12日 | 日々のこと
理想の老人施設



 TVで見たある番組。「グループホームと学童保育」を併設したある施設の紹介だった。
 
 認知症の人は何度も同じ事を繰り返すそうである。
 その施設では、学校から帰ってき来て宿題を始めた子どもの傍らでは、おばあちゃん達がいる。子どもたちの字を見て、
「きれいに書かんといけんよ」
「きれいに書かんといけんよ」とか
『字がきれいね」
「字がきれいね」
「顔をもっと上げて」
「顔をもっと上げて」と、
 なんども同じ事を繰り返す。
 お年寄りがやっている様子は、孫とばあちゃんのようで温かみがあり、認知症の緩和にもなっているようである。

 またこの施設では、積極的に散歩にも出かけ、散歩に出かける時は腕に腕章をし、地域のパトロールの役目も果たしているという。
 よく出会う町の人たちにも声を掛けられたりして、地域の人々との交流も深まっている。
 声を掛けられると顔がほころんでいたお年寄り。

 今後は、認知症の方一人ひとりの得意分野を(例えば農業ならそれを、園芸ならそれを)見つけて生かして行きたいという。

 人は誰かの役に立っていると感じている間は、いきいきとするものであると私も思う。

 この施設のような所が増えていったらいいのにと思う。私の伯母が入っている老健施設は、半分以上が認知症である、認知症ではない伯母に、話をする相手は誰かいるの?と聞いたことがある。
 話す相手がいないのはずいぶん寂しいことだと思うからだ。

 老人と子どもたちの施設が併設されれば、活気もあっていいのではと思う。

 今、グループホームは庭のない所も多く、缶詰状態の所もある。職員の数も少なく散歩なんてままならない所も多い。

 子どもの数が減って、空き教室が増えた学校の中に、増えていく老人のグループホームと学童を併設するのは賛成である。
 
 昔とった杵柄で、老人が子どもたちと一緒になって庭を花いっぱいにしてくれるのも夢ではないだろう。

 私が老人になって、施設に入る事になったら、散歩させていただきたいし、植物を愛でる環境だったらいいのに思う。

 こんな 施設沖縄にもできたらいいのに。全部の施設がそうであったらいいのに。

(写真は、父と孫)

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大丈夫ですか

2011年03月11日 | 日々のこと
 茨城のTS姉さん、みんな大丈夫ですか?
 地震が続いているようですから、気持ちをしっかり持ってくれぐれも注意して下さい。今は電話が通じないので。連絡出来たらここにでも連絡して下さい。皆心配しています。
 

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学校の授業で

2011年03月10日 | 日々のこと
 今、年金の第3号が問題になっているが、私もかつて1号と3号をいったりきたり。長男を妊娠し、8カ月で仕事を辞め1号から3号へ、次男が1歳になってまた働き出したので、3号から1号へ、三男を妊娠し8か月でまた仕事を辞め3号へと煩わしい手続きを繰り返してきた。毎日仕事と保育園の往復で精一杯だった。食事の支度、片付け、風呂入れる、洗濯、保育園のノート記入、明日の支度・・と夜11時になってやっと一段落という毎日だった。児童手当という制度があって、自分で申請しないともらえないという事も知らず、貰いそびれた。
 「年金は入りなさいよ、年金のお陰で老後は生活ができる」と親から教えられた私は、こまめに手続きをしたはずなのに、それでもこの前来た年金便りでは、4か月ぐらい空期間があった。そうかな~?そうだったかな~?と。

 年金に関心を寄せてくる年代はおよそ50代からなのだと思う。身近に迫ってくる定年を意識するからだ。それまでは、まだまだ遠い先の事だから・・もあるし、働き盛りで子育て真っ最中という事もあり、年金の事を考えている暇はないのであると言った方が正解かも知れない。多くの国民が関心を持たないことをいいことに、国は年金を無駄遣いしたことが明るみになったのはついこの間。

 年金が足りない?60歳からもらえるはずだったのが65歳になり、年金額も減らされ、やがては70歳?から??団塊世代の大量退職時代の事も、わかっていたはず? なんでこうやることなすこと後ろ手にまわってしまうのか?

 児童手当から、子ども手当?もうやめてよと言いたい。制度が変わる度にその事務処理にかかる費用もばかにならないだろうに。将来が約束されていなければ、いくらお金をばらまいても、皆使う気にはなれないよ、将来のために蓄えるって云うのが普通の考え。なぜって?子どもの小さいうちはお金はかからない、思春期から高校、大学と高学年になって行くに従って金はかかるのだ・よ!

 政府のやることなすこと空回りしている。問い詰めている自民党さんが年金を食いつぶしたこと忘れないで。

 本当に言いたいことが脱線してしまった。

 ○もらえるものは申請しないともらえないではなく、等しく国民が貰えるように、手続き関係は、普通の人なら誰がでもわかるように
 知恵を出しあってはどうでしょうか?
 ○大人になっていきなり税金払えではなく、大人になって払わなくてはならない税金の事、年金の事、住民税の事、国民保険の事、学校で教えたらどうなんですか?と言いたい。 
 
 あ~あ~もうっ!  最近、年の所為か目がしょぼしょぼして・・

 (写真はいつものシーサーの相方:雄)

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