沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

安らかに逝って

2010年12月31日 | 日々のこと
 

 今日伯母が95歳で天国へ旅立った。
 28日に亡くなったが、アメリカから来るという長女を待って今日告別式が行われた。
 子ども9人、孫23人、ひ孫12人に見送られて逝った。
 
 戦争も乗り越え、夫の死も乗り越えて、子どもたちを育て上げた気丈な叔母。
 
 60過ぎてからは、これからは自分の楽しみ事をやると言って、三線、大正琴、老人会の踊り、ゲートボールを楽しみ、器用な伯母は何をやってもそれなりの成果を出す人だった。
 父には二人の姉がいるが、三人とも本当に独立心が強い人。人の手を煩わせるのがいやで何でも自分でやってしまう。手がかからない。そして三人とも頭がしっかりしている。その長姉が逝って、肩を落として元気がない父だった。
 今日の沖縄は風が吹き荒れ、気温も低く今年一番の冷え込みだった。葬儀場の外は昨夜から吹き荒れている風の音がピュービューと鳴っていた。
 大晦日の忙しい寒い中大勢の方が来てくれた。
 満95歳と言うと大往生かも知れないが、気丈だった伯母ならカジマヤー(沖縄の97歳の長寿祝い)まで大丈夫だと誰もが思っていただけに残念だが、神様が定めた寿命なら仕方がない。
 伯母さん、御苦労さま。友達の多い伯母、向こうでも安らかに逝って、そして楽しんで。

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クリスマス

2010年12月28日 | 日々のこと


 先日の雨で寒いクリスマスイブの日のこと。

 子どもたちは大きくなったし、両親には何がいいか思いつかないのでプレゼントしなくてもいいかと思っていたが、アメリカにいる妹がいつだったかだいぶ前に
 「プレゼント出来る時はしたほうがいいよ、高価なものでなくても小さくてもなんでもいいから、人にしてあげたら自分も幸せになるんだよ」
みたいな事を言っていた事が思い出された。

 洋服はいっぱい持っているのに、いつも家の中では冴えない服を着ている母は、娘たちに「箪笥の肥やしにしないで良い服から着たらいいのに」と言われている。なので、服はもうやめた。そうだと思いついたのが、筆ペンと字のお手本とノートをプレゼントした。
 父にはちょっと良いジャンパーを選んでプレゼントした。
 
 父はすぐ「あ、いいね、着て見ようかね」と言って袖を通して満足していた。今までポロシャツとかジンベーを上げても「ありがとう」と言うだけで自分から着てみるという事はしなかったのに。意外だった。というよりわかった。父はおしゃれだからやはり良い物はわかるのだ。実はこういうものが欲しかったのだと(笑い)。
 母は「字は上手にならないとね」「練習した方がいいんだよ」と言って、プレゼントを上げたそばから字を書き出した。

 今年のプレゼントは喜ぶ両親の笑顔で私も満足した。やはりいいものだ。
  アメリカにいる妹も離れていてもなんでもいいから老親にプレゼントした方がいいよとつぶやいた私

 なんと、その翌日です、私の元へ詩人(大石直樹)から  詩集「ガラスの少女」という本が届いた。
 ようやく二冊目を発刊したということであったが、私には、幾千ある言葉の中から選んで選び抜いて僅かな言葉で詩を作る事を思えば、ようやく生まれた本を押し戴くような気持ちだった。

 クリスマスに届いた私へのプレゼント。詩人は私の心をほっこりと暖かくしてくれた。ありがとう。

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「むさし野十方抄」  土岐善麿

2010年12月27日 | 日々のこと
 

 写真は「むさし野十方抄」小冊子。作者は土岐善麿。私の大好きな本。

 大学に入りたての頃、先生の業績もお名前さえ知らない田舎者の私だった。課目選択の時、友人達が有名な人だよ取った方がいいよと教えてくれたのだった。

 土岐先生は私が大学に入った頃は、もう大分高齢で助手の方がいつも付いておられた。亡くなったのは私が卒業した昭和55年の四月であった。六月まで生きておられたら満95歳という年齢であった。
 高名な方とは知ってか知らずか、若い私達の教室はざわついて、助手の方が気をもんでいたのが思い出される。

 「むさし野十方抄」には、土岐先生が教壇や研究室、校庭で目にした情景を短歌に歌われたものである。

 折々に読み返すと、大学に入りたての何もかもが新鮮で、きらきら輝いていたあの頃が思い出されてる。
 あまり勉強しなかった後悔もあり、バイトで忙しかった日々、大学の校庭の花の四月の美しさ、秋の銀杏並木の一面の落ち葉、図書館へ向かう道に咲いていた山茶花、出会ったクラスメイトとの別れ、などが偲ばれる。
 
  小さな冊子であるが、この冊子は武蔵野女子大で学んだ私の4年間が凝縮されているようなもの。私の宝物と言える一冊である。

 

○ここに学ぶとはじめて立ちし校庭の 花の四月の初心忘するべからず

○おはようというひとことも それぞれの心のままの 朝のすがしさ

○むさし野の樹かげに語れ われにも若き日はありしなり 若き女性らよ

          「むさし野十方抄」土岐善麿 蝸牛新社刊より抜粋
コメント (1)
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熱中

2010年12月23日 | 日々のこと
           

 この所ずっと編み物に熱中していた。家に帰ってからすぐかぎ針を手にして編み始め、ご飯を作っては編み、ろくにテレビも見ず、出かけず今日どうにか仕上げることができた。
 どうして編み物ってこうもはまってしまうのだろう。

 以前、歌手の水前寺清子さんが編み物にはまってしまって、とうとう学校まで通って編み物教師の資格まで取ってしまったという話を聞いたことがあった。編み物は一旦やり出すとそこまで夢中になり、熱中してしまう。その魅力はなんだろうと考えたら、小さな小さなひと編みを積み重ねていけば必ず形となり物が出来上がること、達成感を味わえることにあるのだと思う。

 しかし、その間、他の事が身に入らないという難点もある(私の場合はだが)。

 今日の沖縄は、風もなく心地よい暖かい一日だった。午後から休みを取って「スペースバトルシップ・ヤマト」を観に行った。始まって直後に少し居眠りをしたが、後は面白く見入った。黒木メイサちゃんがかわいい。

 宇宙のどこかには絶対人間と同じような生命体が存在すると私は思う。無限に広がる大宇宙の中のどこにその星は存在するのか?
いつかお互いの文明が発達して、何億光年を一瞬に駈けぬけて(映画の中ではワープと言う言葉を使っていた)、交信、交流する日が来るであろう。どんな生命体なのか、ETのような生物なのか、あるいは人間と全く同じようなのか。

 いつになるのだろう、その時まで生きていられたら良いのに、その時代を見てみたい気がする。

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奥武島の新しい橋

2010年12月22日 | 日々のこと

  去った土曜日、また例の四人組(父・母・妹・私)で、ドライブに出かけた。父が「奥武島に新しい道ができたので見たい」というので。
 写真は島に架かった新しい橋だが、車を走らせている途中で撮ったので、いい写真が撮れなかった。残念。島は、観光客で賑わっていた。
           

 公衆トイレを借用したが、その傍らにつわぶきの花。
  

           

 帰りに寄った糸満の「うまんちゅ市場」はいつ行っても新鮮な野菜が豊富。四人それぞれにカートを押して入っていくので、帰りの車の中は荷物でいっぱい。母と妹はガーデンセンターで花や苗を買うのも楽しみのひとつで、なおさら。

日当たり

2010年12月18日 | 日々のこと
 写真は実家の庭。
 
 この秋、隣家にあったアパートが壊され、視界が開けた。同時にさえぎられていた朝日が差し込むようになった。
 なんて、気持ちがいいのだろう。
  
 40年ぶりに明るい我が家を見た。昔はどこの家も平屋で、ゆったりと作られていたので平等に陽があったっていた。このままの状態でいて欲しいが。またアパートを作るのだろうか。だとしたら残念なことだ。

 

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こち亀

2010年12月14日 | 日々のこと


 数年前「こちら葛飾区亀有公園前派出所」というテレビ番組があった。もうすぐ最終回がくると聞いた時、残念な寂しい気がしていた。毎回は見られないが、私の好きなアニメだった。だからテレビから消えてしまったのはすごく残念だった。

 最初子どもたちだけが見ていた。私はご飯を作りながら声だけを聞いていたが、時々聞いているだけでも笑ってしまうほど面白かった。そんな事が重なってくると、何時の間にか子どもたちと一緒になって「こち亀」を見るようになっていた。

 私の年代の話題なども出てきたり、若い頃に流行った歌を、両津勘吉が歌ったりして、楽しかった。

 きっとこの作者は私と年代が近いのだろうなと思った。

 題名も長くて、両津勘吉という名前と同じくダサイ感じがするが、どこにでもいそうな人情味のあるお巡りさんは身近にこんな人いたらいいなという存在でもある。

 漫画は1976年に出たらしいが、大分前の事になる。私はテレビ放映しか見ていないが、ラサール石井の声がまたぴったりはまり役である。

 また、ぜひ再開して欲しいな。大人でも楽しめるアニメで、私は大ファンである。


 (写真はこち亀の好きだった子どもたち)
 

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ハイビスカス

2010年12月11日 | 大好きなハイビスカス

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断捨離

2010年12月10日 | 日々のこと
 

 「断捨離」(だんしゃり)という言葉を聞いたことがあるだろうか。
 私は、先日ある方から「娘が断捨離をやっているから、実家に置いてある服は全部いらないというので、着るならあげる」というので、持ってきた中から、着れそうなものを頂いたが、「断捨離」という言葉が気になっていた。

 というのは、私は昔から片付けが好きで、いつも部屋はきれいにするのが得意だった。社宅に住んでいた時も、隣の友人は「同じ間取りなのになんでそちらの家は広いの?」と、いつも言っていた。

 また、年に数回は大規模な部屋の模様替えをしていた。それは私にとって此の上ないうきうきする楽しい事だった。
 そんな私が、今、物に溢れている生活をしている。拭き掃除がままならない。

  そこで、気になっっていた「断捨離」を調べてみたら大方下記の様である。


  断:入ってくるものの入り口を断つ。
 
  捨:使わないもの、着ないものは思いきって捨てる。

  離 :過去のものへの執着を断ち、ゆとりある空間にいる私。


 もう一度、昔のすっきりとした自分を取り戻すために私もやってみようかな。今、「断捨離」は巷で大人気のようである。

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金武町の風景(上の毛から)

2010年12月09日 | 金武町の風景
 
 
 上の毛から見える風景。火力発電所の煙突が見える。
上の毛(うぃーぬもー)の場所は金武公会堂の左手の小高い丘の上。そこに見晴らし台が建てられているが、金武町をほぼ360度見渡す事が出来る。
 金武湾を挟んで、向かいに平安座島、宮城島、伊計島が見える。近年出来た火力発電所の煙突は、その高さゆえに町内の到る所から目にすることができ、今となっては町内の風景の一部となっている。
 此の丘には、フィリピン移民で功績のあった「大城孝蔵」氏の銅像が建てられている。

 金武湾を見下ろせる光景は風光明媚である。

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