生きていくために、技能や技術を高めている人がいるわけです。
傍から見ればすごい人になるわけですが、かといってメンタルが強いわけではない。
技術や技能を使えなければ、技術や技能の衰えを感じれば、その評価は自分の生存にまで及ぶ。
鬱や最悪自殺もありうる。
育成環境という要因もあって。
無条件の愛情というものがあるのです。
一般的な家庭には。
ところが多くの要因によって、それが得られない環境も存在する。
経済的だったり、病気だったり、そもそも社会が戦争状態だったり。
自分も大切ですよ。
同じように他人も大切ですよ。
無条件の生きる価値が与えられていれば、追い詰められてもあまり自分を傷めない。
もっとも無条件の愛がため、人の痛みを知らず、「自分だけが良ければそれでいい」という、非常に幼稚な価値観で大人になってしまう場合もあるのですが。
逆に大変なことに、努力して自分の能力を高めるということを知らないがため、他人に依存して生きるしかない人もいるわけで。
そのような人ほど、自分の子供には勉強をして良い学校、良い大学に行ってほしいと望んでしまうのかもしれない。
未だに良い学校、良い大学って何なのか、さっぱりわかりませんが。
何が幸せで、何が不幸なのかはよくわかりません。
それでも高めた技能技術がもたらす感動はやっぱりある。
一時的な不調は誰にでもあるし、そういったスランプを乗り越えないと次の段階に至れないという、クリエーターならではの苦しみも存在する。
あなたが思うほど、他人は自分のことを死んでほしいほど憎くもないし、
あなたが思うほど、他人は自分に対して期待もしていない。
期待されたとしても、自分の対応能力を超えて他人の問題を解決して、負債を作ってしまうのは本末転倒になる。
ただ世界の何処かででも生きていればそれでいい。
それを無情と思うか愛情と思うかは、人や状況によるのでしょうね。