散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

久保田万太郎句碑(駒形どぜう)

2012-02-09 06:51:32 | Weblog
    

         

 「神輿まつまの どぜう汁すすりけり」駒形どぜう前にある久保田万太郎の句碑です。小説

家で落語や歌舞伎分野を主とする評論家の安藤鶴夫、愛称・アンツル氏の句碑建立の文は以下

のとおりです。  

 久保田万太郎先生は市井の人を愛し とくに またふるさとをおなじくする浅草ッ子を愛し

た ここに駒形どぜう越後谷 五代 助七 その生前の厚誼をしのんで 先生をしたう情は 

まことに涙ぐましいものがあるが 昭和四十一年初夏 この句にゆかりの三社祭の吉日に当た

って 駒形どぜうの店の前に いま先生の句碑を立てる 旧称田原町三丁目なる 先生の生家

にもっともちかくにこの句碑を立てられたことは さだめし先生もよろこばれていることと思

われる ここにつつしんでこれをしるす者は おなじく浅草ッ子のひとり 昭和四十一年五月

十七日 安藤鶴夫  とあります。

慈眼寺(中野区中央3丁目)

2012-02-08 06:52:58 | Weblog
    山門

     

       左から本堂、パコダ、鐘楼です

 鍋屋横丁に近く、青梅街道の北側中野区中央3丁目に珍しいパコダの見える寺院があり、こ

れは福王山弥勒院慈眼寺です。真言宗豊山派の寺院で、新編武蔵風土記による縁起を見ると以

下の通りです。「除地は6975坪。往還の内小名上宿にあり、本堂は近き比雷火にて焼失せ

しゆへ今は仮堂なり。本尊正観音木の坐像にて長1尺4寸。開基は天文13年(1544)と

いへば古き寺なれど其詳なること伝えず」とあります。  

 ミスター麹町によると境内には、馬頭観音や庚申塔などがあるそうです。馬頭観音は頭上に

馬頭をつけ、角柱部分は道しるべになっているようで、一見の価値があるかもと思います。写

真は例によってミスター麹町の提供です。

 

(続)鍋屋横丁

2012-02-07 06:50:10 | Weblog
    

 鍋横道しるべ保存会の表示板があります。江戸時代後期(文化・文政)お祖師様として親し

まれた妙法寺への参詣道の入り口を示すとともに、裏側には鍋屋横丁の由来となった休み茶屋

「鍋屋」の証しも刻まれています。現在は、この「道しるべ」はゆかりのある妙法寺に移設さ

れているとの事です。  

    

         

 この鍋横商店街のお菓子屋さんが売り出した「鍋横最中」が人気を呼んでいます。ミスター

麹町が送ってくれました。鍋とフタで出来た手の込んだ最中で、中野の逸品グランプリを受賞

した美味しい最中です。

鍋屋横丁(中野区)

2012-02-06 06:59:54 | Weblog
   

         

 ミスター麹町から「鍋屋横丁」の写真が来ました。東京メトロ新中野駅の近くですね。この

通りは、江戸時代に現在の杉並区堀ノ内にある妙法寺に向かう参道として栄えた通りです。

 江戸から青梅街道を下って妙法寺に向かう際、現在の鍋屋横丁交差点を左折するのですが、

その目印が「鍋屋」という名の茶店であったので鍋屋の横丁となりました。  

    

 鍋横商店街は、現在でも中野区指折りの繁華街のひとつとなっています。青梅街道から横丁

にはいると大きな時計と街灯があり、「なべよこ」と書かれています。

下町風俗資料館(池の端)

2012-02-05 06:44:58 | Weblog
   

       駄菓子屋さん

    オムツを干してます

 古き良き江戸の風情をとどめた東京下町の路地。ここには駄菓子屋があったりして子供の頃

にかえったような。物干しにはオムツが干してありますね。明治・大正・昭和の名残りが失わ

れて、こんな町見たことない世代の時代になりましたね。  

     

 表には円筒型の懐かしいポストが立っています。このポストは生きていて、手紙を入れたら

ちゃんと先方に届きますよ。平成生まれの若い子が入場券を求めていますね。古い浴衣で作っ

たオムツが何であるか分かりますかね。

駅伝の碑(上野池の端)

2012-02-04 06:57:00 | Weblog
      

 不忍池の畔に「駅伝の歴史ここに始まる」という碑が建っている。碑文には、我が国最初の

駅伝は、尊都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競争」が大正6(1917)年4月27

日、28日、29日の3日間にわたり開催され、スタートは京都・三条大橋ゴールは東京・上

野・不忍池の博覧会正面玄関であった。・・と記されています。  

 もっと調べてみると、東海道53次関東関西対抗駅伝競走で、23区間508キロメートル

を走破して4月29日午前11時34分、東軍のアンカー金栗四三がゴールインしたというこ

とでした。なんともスゴイですね。弁天さまも拍手で迎えたのでしょうか。

立 春

2012-02-03 07:10:09 | Weblog
    

 今日は節分明日は立春、やっと春が来たかと嬉しいです。季節の変わり目には邪気(鬼)が

生じると考えられており、それを追い払うため悪霊ばらいが行われます。子供の頃から、炒っ

た豆で鬼を追い払う「鬼は外 福は内」の掛け声とともに豆を撒いたものです。今ではスーパ

ーなどで福豆を大々的に売っていますが。  

      

 一方で「恵方巻」です。今年の恵方は北北西だそうです。その年の恵方を向いて食べると縁

起が良いとされる太巻き。その方向に歳徳神(としとくじん)がいると言われていますね。な

んでも江戸末期、大阪船場で商売繁盛の祈願をする風習といわれていますね。大阪海苔問屋組

合がはじめたと聞きますが、歳徳神にお祈りいたしましょう。

ボードワン博士像(上野公園)

2012-02-02 07:00:39 | Weblog
    

       

 上野公園生みの親です。銘文に「オランダ一等軍医ボードワン博士は1862~1871の

間、医学講師として滞日した。かつてこの地は東叡山寛永寺の境内であり、上野戦争で荒廃し

たのを機に大学付属病院の建設計画が進められていたが、博士はすぐれた自然が失われるのを

惜しんで、政府に公園づくりを提案し、ここに1873年日本初めての公園が誕生するに至っ

た。上野恩賜公園開園100周年を記念して博士の偉大な功績を顕彰する」とあります。  

    これ弟さんです

 という訳で、ボードワン博士の像が最初に出来たのが1973年(昭和48年)でした。公

園の中央の大噴水の西側の木立の中にありますが、目立たない場所です。この像については面

白いエピソードがあります。最初の像は何処でどう間違えたか、弟さんの写真で制作されたも

のでした。間違いに気がついて作り替えたのが2006年で、33年間弟さんの像が上野公園

に鎮座していた訳です。お兄さんも、気がついてくれればいいよと言ったかもですね。

顔だし看板(上野池の端)

2012-02-01 06:48:21 | Weblog
    

          

 足の向くまま 気の向くまま 歩いていると見つけます。映画館の前で見つけましたよ。そ

れにしても恥ずかしい。大きいですね。個人的な好みもあるでしょうが、私なら「普通」の方

が嬉しいのですが。顔を出す度胸がないですねぇ。まいった。