上野公園生みの親です。銘文に「オランダ一等軍医ボードワン博士は1862~1871の
間、医学講師として滞日した。かつてこの地は東叡山寛永寺の境内であり、上野戦争で荒廃し
たのを機に大学付属病院の建設計画が進められていたが、博士はすぐれた自然が失われるのを
惜しんで、政府に公園づくりを提案し、ここに1873年日本初めての公園が誕生するに至っ
た。上野恩賜公園開園100周年を記念して博士の偉大な功績を顕彰する」とあります。
これ弟さんです
という訳で、ボードワン博士の像が最初に出来たのが1973年(昭和48年)でした。公
園の中央の大噴水の西側の木立の中にありますが、目立たない場所です。この像については面
白いエピソードがあります。最初の像は何処でどう間違えたか、弟さんの写真で制作されたも
のでした。間違いに気がついて作り替えたのが2006年で、33年間弟さんの像が上野公園
に鎮座していた訳です。お兄さんも、気がついてくれればいいよと言ったかもですね。
それにしても面白いエピソード
映画館といい上野は 面白い
彰義隊の銅像は 見てみたい。
というのは可笑しいと言ったら失礼ですが。
弟さんは、神戸にあった初代の駐日オランダ
領事だそうです。幕末に来日し、貿易会社員と
して横浜などに事務所を持ち、明治初期の日本
を飛びまわっていたそうです。なるほどデス。