築地本願寺の北東側築地川公園の前に、都旧跡(昭和6年指定)浅野邸跡の石柱が立ってい
ます。赤穂藩主浅野家の江戸屋敷があったところで、西南二面は築地川に面していた・・とあ
ります。忠臣蔵で名高い浅野内匠頭長矩は、元禄14年勅使接待役に推されましたが指南役の
吉良義央に江戸城中で刃傷に及び、即日、切腹となり、この江戸屋敷及び領地は取り上げられ
浅野家は断絶してしまいます。
常陸笠間藩主浅野長直は正保2年(1645)播磨赤穂に領地替えになり、その子長友の代
に五万石となりました。その子が浅野長矩というわけです。
伝正寺といい小学生のとき遠足の思いで
庭は 小堀遠州の流れをくむ庭園でしたが
最近手入れがされてないとのことでした。
もとは茨城の人だったらしいです。
長矩さんは短気を起こして家を潰したのですが
話はいろいろあって、武士らしい殿様だったと
いわれていますね。