守田座と市村座の碑
猿若町に芝居小屋があったのは、天保末期から明治になるまでの20年間位だっ
たようです。天保の改革で、中央から猿若町にひとまとめにして猿若町に移したも
のです。中村勘三郎を座主とする中村座、市村羽左衛門の市村座、河原崎座(のち
の森田座)が移って興行をして、江戸歌舞伎興隆の場となりまして、これを江戸三
座と言いました。
安政になって森田座は守田座と改称して明治5年に新富町へ、中村座は明治17
年猿若座と改め鳥越へ、市村座は明治25年に二長町へと猿若町から離れていきま
した。
芝居の歴史がある町内には、「染物・叶屋」のれんが見えますが、いかにも芝居
の町らしい雰囲気が残っていますね。
猿若町に芝居小屋があったのは、天保末期から明治になるまでの20年間位だっ
たようです。天保の改革で、中央から猿若町にひとまとめにして猿若町に移したも
のです。中村勘三郎を座主とする中村座、市村羽左衛門の市村座、河原崎座(のち
の森田座)が移って興行をして、江戸歌舞伎興隆の場となりまして、これを江戸三
座と言いました。
安政になって森田座は守田座と改称して明治5年に新富町へ、中村座は明治17
年猿若座と改め鳥越へ、市村座は明治25年に二長町へと猿若町から離れていきま
した。
芝居の歴史がある町内には、「染物・叶屋」のれんが見えますが、いかにも芝居
の町らしい雰囲気が残っていますね。
探してみました。
浅草寺のすぐ裏手なんですね。
お参りと芝居見物で 浅草は
賑やかだったんでしょうねえ。
今でいうと 新宿、渋谷みたいな
とこですかね。
大いに賑わったことでしょう。
それにちょいと歩けば「吉原」が
ありますから新宿・渋谷どころでは
なかったかも・・です。