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大橋を北に渡ると「千住の風が吹いてくる」と看板が出ています。昔から市場が
あって、ここに陸揚げされた産物は多種にわたっています。赤穂塩、斉田塩、など
中国地方のものや、薩摩ものとして知られる黒砂糖など、遠隔地の物産も陸揚げさ
れました。
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江戸時代より千住の市場では、船で運ばれた諸国の荷物が活発に取引されていま
した。また、川は上流から下流に流れるだけでなく、海の満ち干によって逆行して
いました。船が自然の流れを利用していた頃は「潮待・汐待」が行われ、潮待ち茶
屋が賑やかであったそうです。
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川辺のテラスには芭蕉が旅立ちする姿が描かれています。現在もこのテラスから
釣り船などが発着しています。
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ということは、川を越えた 千住は
江戸市中じゃなかった っていうこと
なんでしょうか?
昔 何かの記事に、江戸っ子は「せんじゅ」
じゃなくて、「せんじ」って言うんだと
書いてあったのを 思い出しました。
「しんじゅく」は 「しんじく」 とか。
宮崎市内を流れる大淀川も江戸時代には千石船が10kmほど上流まで上がっていたみたいです。今は河床があがり干潮時には深さが0.5m程度な場所もあり想像がつきません。
江戸時代には、潮待ち茶屋は賑わったことでしょうね。