散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

千住橋戸河岸(千住大橋北)

2007-01-27 07:51:44 | Weblog
 

 

 大橋を北に渡ると「千住の風が吹いてくる」と看板が出ています。昔から市場が

あって、ここに陸揚げされた産物は多種にわたっています。赤穂塩、斉田塩、など

中国地方のものや、薩摩ものとして知られる黒砂糖など、遠隔地の物産も陸揚げさ

れました。 

 江戸時代より千住の市場では、船で運ばれた諸国の荷物が活発に取引されていま

した。また、川は上流から下流に流れるだけでなく、海の満ち干によって逆行して

いました。船が自然の流れを利用していた頃は「潮待・汐待」が行われ、潮待ち茶

屋が賑やかであったそうです。

 川辺のテラスには芭蕉が旅立ちする姿が描かれています。現在もこのテラスから

釣り船などが発着しています。

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4 コメント

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江戸市中。 (kimasita)
2007-01-27 08:11:55
ここから芭蕉さんが 旅立った、
ということは、川を越えた 千住は
江戸市中じゃなかった っていうこと
なんでしょうか?

昔 何かの記事に、江戸っ子は「せんじゅ」
じゃなくて、「せんじ」って言うんだと
書いてあったのを 思い出しました。
「しんじゅく」は 「しんじく」 とか。
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kimasitaさん (sanpo63)
2007-01-27 12:05:19
 隅田川の南側は「小千住」で、千住大橋を渡ってから「大千住」といわれますね。草加、越谷 千住(せんじ)の先よ、といいますね。ぶらぶら歩いていると何処も奥が深いですね。
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潮待ち茶屋 (so)
2007-01-27 13:56:27
 潮の満ち干、干潮満潮よる潮の流れを利用して千石船の行き来があったんでしょうね。

 宮崎市内を流れる大淀川も江戸時代には千石船が10kmほど上流まで上がっていたみたいです。今は河床があがり干潮時には深さが0.5m程度な場所もあり想像がつきません。

 江戸時代には、潮待ち茶屋は賑わったことでしょうね。
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soさん (sanpo63)
2007-01-27 19:33:24
 大淀川は水深0.5mとはね。あの川幅で浅いですね。竹馬で渡河できますよ。深いばかりが能ではないですが。水運利用が出来ないのは残念。
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