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秦の始皇帝 豆知識

2003年08月20日 | お勉強コーナー
秦・始皇帝 豆知識

中国古代の王朝、殷の次が周。この周は封建制度を行なっていたので有名。(試験に出ますよ)でも、王の力がだんだん弱くなって、有名無実の存在になっていきます。そこから起こったのが、春秋戦国時代という群雄割拠の世の中。春秋時代は、『呉越の戦い』や、かの『孔子』が活躍した時代。その後の時代が、今回の舞台の戦国時代です。

 戦国の七雄といわれた大きな7つの国が天下を奪いあっていた時代です。周の王朝は存在していたのだけど、みんな無視です。そんな中で、一番西の辺境にあった国が『秦』。新興国です。なので、あまり因習にとらわれない、人材登用が柔軟だったあたりが、強くなった原因と言われてます。

 秦王の20人もいる王子の中の一人だった政の父、子楚は、趙の国に人質として暮らしていました。王子といってもほとんど目もかけられず、失意の日々の中、商人の呂不韋と出会って、運命が変わります。賄賂をどんどんと送り、いつのまにか子楚は秦の皇太子に。その息子の政は、子楚の死後、とんとん拍子に秦の王になります。本当ならば、王など夢のまた夢だったところが、思いもかけず呂不韋のおかげで王に。でも、自分は実は呂不韋の子だということが分かります。

 王家の血筋を全く受け継いでいない自分。孤独で、野獣のような、誰をも信じない王になったといいます。猜疑心が強く、自分しか信用が出来ない。苦言を呈する部下はすべて排除。そうして、他の国々を征服していって、中国を統一します。特に、自分が幼い頃、不遇の日々を送った趙の国に対する仕打ちは凄惨なものだったという事です。

 彼が中国を統一すると、今までの王という名称はすでにインフレ状態。そこで『光り輝く天の支配者』という意味の皇帝という名称を使うことになります。行なった事は有名な万里の長城の築城、度量衡の統一、道路の整備、焚書坑儒、などなど。自分の軍隊をすべて墓の中に連れて行こうとした兵馬俑もその一つ。映画の中であらわされていた文字の統一も、彼の政治の一つです。命令を中国全土、隅々まで行き渡らせるためには各地域で違ってた文字ではダメ。すべてを統一する命令を出します。おかげで、なぜあの広大な中国が今も一つの国になっているのかという理由が、ここにあります。その強大な影響力は秦という名称が残ることになり、現在、英語の『CHINA』の語源になっています。

 統一をよしとするのか、戦国を終わらせようとした事に価値があるのか。でもその戦国を終わらせるために殺した人の数は、世界史上、ナンバー一を誇るかもしれません。やはり暴君始皇帝は揺るがないでしょう。

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