今年もさまざまな映画が作られ、そして見てきたが、春頃から私が一番危惧していたのがこの『ゲド戦記』であった。なぜ、この本を映画にする?!何でもかんでも映画にすりゃいいってもんじゃない!沢山のファンタジーの本があり、『ハリー・ポッター』シリーズなぞは、成功したいい例だろう。売れ出してすぐ、旬な本を旬の映画にした。
掟破りの『指輪物語』は、コレを映像化するには2時間やそこらでは到底無理という事を前提に、はなっから3部作にした。こだわりの世界観と思い入れがたっぷりと詰め込まれた10時間となった。
どんどんとファンタジーが映画化される。いい話のモトがないのか、いろんなところから話を探しだしてきて映画化されていく。しかし、映画化していいものと、してはいけないものがあるのではないだろうか。『ゲド戦記』が映画になるということを聞いて一番に私が感じたのがそのことだった。
いろいろな映画評を読ませてもらったが、この本を読破したという人は少数派のように思えた。あまりメジャーな本ではない。私も読んだのは20年前くらいで、大人になってからだったが、読んだときに脳天をぶち割られたような衝撃を受けた。地味で全編暗い色柄が似合う静かな話だ。しかし、語り口の持つ力は圧倒的で、崇高ささえ感じた。文章がここまで人を打つものを書けるんだという衝撃だった。
一人の類いまれなる力を持った少年が、その力を使い、もてあまし、圧倒され、つぶされそうになりながらも打ち勝つ。少年ハイタカは傲慢だったり、情けなかったり、時として嫌な奴にもなるが、その魅力は文章に満ち溢れてる。決して派手ではないが、壮大で悠壮で淋しい。
大人になったハイタカが少女テナーを救う2巻目も素晴らしい。暗い暗い地下の墓所での世界。もどかしいまでの2人の邂逅が、また新たな世界観を構築した。そして本編の元になったらしい第3巻『さいはての島へ』の辛く辛く、どこまでも辛い旅。決して読んでいて、楽しくうきうきと心踊る本ではない。でも目を離せない。大賢人となったゲドの悲壮なまでの決意に、読むものは心を痛めながらもどんどんとひきつけられるのだ。
少年アレンはゲドを尊敬し、何より大事な世界のバランスを取り戻す為に、命がけでゲドと旅をするのだ。魔法使いの話だが、魔法などほんの少ししか出てこない。とにかく大事なのはバランス。世界の均衡、これを守るのが人間たちに課せられた最大の仕事。魔法使いはそれに対し、人よりちょっと違う力を使って、手助けする役割なのだ。
命が軽んじられる今の世の中で「命を大事に・・」というのは最も大事で最も簡単な言葉かもしれない。しかし、死を免れるわけにはいかない。だからこそ、この命はまもらなければならない。そのことを大きく大きく、全てを包み込み、己を知ることが大事なのだということを言葉で紡いだのが、この『ゲド戦記』という本なのだ。30年以上の年月を経て、幾度も幾度も読み継がれた本だが、この世界観は読むほどに深く、大きく、素晴らしい。読み終えたあとにまた最初に戻りたくなる。そうやって、何度も読み返したが、それでもまた読みたくなる。それがこの本の持つ力だ。
本を読むたびに【言葉】の持つ力に圧倒される。絵で、映像で、フィルムで見れば一発で分かる、「目は口ほどにモノを言う」というではないか、というなかれ。その一瞬でわかるものを、言葉は文字を使って紡ぎだすのだ。多くの人々が作り出して、受け継いできた言葉で見せている。言葉の持つ底知れない力だ。そしてその力を静かに、でも力強く表現している本が『ゲド戦記』に思えるのだ。
少々、思い入れがありすぎて、映画を見るのが怖かった。できれば見ないで済みたかった。しかし見た。本は酷い目にあっていた。あの本の持つ強さはどこにもなかった。見ていてこれほど哀しくなった映画もない。監督も駿氏も『ゲド戦記』の愛読者らしい。だったらこれは、これこそは映画にするべきものではない、ということを一番に分かっていたはずではないか。作者が一番に説いていたバランスの大事さをめちゃめちゃにしてしまったではないか・・・。
多くの人に受け入れやすい本ではないが、この映画を見て「こんなもん・・」などという思いを抱かれるのが一番悔しい。本の持つ力を是非味わって欲しい。私が思った最大の事がこれだ。
掟破りの『指輪物語』は、コレを映像化するには2時間やそこらでは到底無理という事を前提に、はなっから3部作にした。こだわりの世界観と思い入れがたっぷりと詰め込まれた10時間となった。
どんどんとファンタジーが映画化される。いい話のモトがないのか、いろんなところから話を探しだしてきて映画化されていく。しかし、映画化していいものと、してはいけないものがあるのではないだろうか。『ゲド戦記』が映画になるということを聞いて一番に私が感じたのがそのことだった。
いろいろな映画評を読ませてもらったが、この本を読破したという人は少数派のように思えた。あまりメジャーな本ではない。私も読んだのは20年前くらいで、大人になってからだったが、読んだときに脳天をぶち割られたような衝撃を受けた。地味で全編暗い色柄が似合う静かな話だ。しかし、語り口の持つ力は圧倒的で、崇高ささえ感じた。文章がここまで人を打つものを書けるんだという衝撃だった。
一人の類いまれなる力を持った少年が、その力を使い、もてあまし、圧倒され、つぶされそうになりながらも打ち勝つ。少年ハイタカは傲慢だったり、情けなかったり、時として嫌な奴にもなるが、その魅力は文章に満ち溢れてる。決して派手ではないが、壮大で悠壮で淋しい。
大人になったハイタカが少女テナーを救う2巻目も素晴らしい。暗い暗い地下の墓所での世界。もどかしいまでの2人の邂逅が、また新たな世界観を構築した。そして本編の元になったらしい第3巻『さいはての島へ』の辛く辛く、どこまでも辛い旅。決して読んでいて、楽しくうきうきと心踊る本ではない。でも目を離せない。大賢人となったゲドの悲壮なまでの決意に、読むものは心を痛めながらもどんどんとひきつけられるのだ。
少年アレンはゲドを尊敬し、何より大事な世界のバランスを取り戻す為に、命がけでゲドと旅をするのだ。魔法使いの話だが、魔法などほんの少ししか出てこない。とにかく大事なのはバランス。世界の均衡、これを守るのが人間たちに課せられた最大の仕事。魔法使いはそれに対し、人よりちょっと違う力を使って、手助けする役割なのだ。
命が軽んじられる今の世の中で「命を大事に・・」というのは最も大事で最も簡単な言葉かもしれない。しかし、死を免れるわけにはいかない。だからこそ、この命はまもらなければならない。そのことを大きく大きく、全てを包み込み、己を知ることが大事なのだということを言葉で紡いだのが、この『ゲド戦記』という本なのだ。30年以上の年月を経て、幾度も幾度も読み継がれた本だが、この世界観は読むほどに深く、大きく、素晴らしい。読み終えたあとにまた最初に戻りたくなる。そうやって、何度も読み返したが、それでもまた読みたくなる。それがこの本の持つ力だ。
本を読むたびに【言葉】の持つ力に圧倒される。絵で、映像で、フィルムで見れば一発で分かる、「目は口ほどにモノを言う」というではないか、というなかれ。その一瞬でわかるものを、言葉は文字を使って紡ぎだすのだ。多くの人々が作り出して、受け継いできた言葉で見せている。言葉の持つ底知れない力だ。そしてその力を静かに、でも力強く表現している本が『ゲド戦記』に思えるのだ。
少々、思い入れがありすぎて、映画を見るのが怖かった。できれば見ないで済みたかった。しかし見た。本は酷い目にあっていた。あの本の持つ強さはどこにもなかった。見ていてこれほど哀しくなった映画もない。監督も駿氏も『ゲド戦記』の愛読者らしい。だったらこれは、これこそは映画にするべきものではない、ということを一番に分かっていたはずではないか。作者が一番に説いていたバランスの大事さをめちゃめちゃにしてしまったではないか・・・。
多くの人に受け入れやすい本ではないが、この映画を見て「こんなもん・・」などという思いを抱かれるのが一番悔しい。本の持つ力を是非味わって欲しい。私が思った最大の事がこれだ。
でも、sakuraiさんの文章に力があって、コメントしたくなったですよ。
目に映像で見せちゃいけない世界がある、、、
イマジネーションにとどめるべきものがある、、、
そういう抑制が、というか良心があってもいいですね。
でも絶対にあの世界は映像化すべきではない。本の魅力を本当に知っているならば、おのずとわかるはず。
初監督でこんなでかい相手を料理しようなどと身の程知らずにもほどがある、なんて言ったら言い過ぎでしょうか。
ちゃんとした良識があったら、この作品は簡単なアニメになんか出来ないことを分かると思うんですがね・・・。
などということをつらつら感じ、あまりに本が読まれてないことにもビックリでした。
とっつきにくいっちゃ、そうなんですが、是非セイさんには読んで欲しい。セイさん向きの本っぽいけどな・・。
原作を読んでないので、こういう話かなあと思ってしまう。そしてそういう人が多いのでは?と思います。
「映画と原作は別物」であっても別物すぎた気がします・・・
こういう話かなぁって思われるのが一番悲しいですのよ。
映画もだいぶネタ切れなんでしょうね。ハリウッドもリメイク大流行りですし、いろんなものが飽和状態の今の世の中です。
sakuraiさんコメント&TB有難うございます
また大変亀レスで申し訳有りません
原作未読でウィキペディア(Wikipedia)で調べた位の原作への知識しかなかったので・・・
σ(^_^;)お恥ずかしいレビューに成ってしまいました。
確かに皆さんのレビューに触れて、原作ファンからの酷評は、最近少し理解できるようになりました。(ゲド戦記の解説本からですが・TB致しました)
まあ今回、原作へのオマージュが感じられ無い、ジブリの姿勢には落胆しましたね。
原作読み込んだのなら、この作品は映像化なんかすべきではない、出来ない、ということが分かると思うんですけどね。
それだけの文章の力を感じさせる本なので、機会があったら本として、是非読んでみてください。
やはりこの物語、父監督も多大な影響を受けていると言うことで、素直に、そのまま映画化できなかったんでしょうか?その当たり、何かあるのかなぁ、、、と思いました。
ハイタカって、テルーが、「タカ」という響きに反応していましたよね。タカ=鷹。 これっておかしな事だと思いませんか??
またよろしくお願いしますね。
まあ凡作にしろ、駄作にしろ、傑作にしろ、ああだこーだ言ってる日本は平和だな~ということにしましょう。
本を読むと分かりますが、ハイタカというのは鷹の種類の名前で、タカと自由自在に遊ぶ姿からつけられたニックネームのようなものがハイタカです。そして真の名前がゲドという。この真の名前の持つ意味がとっても重要なのですが、その辺も描ききっていませんでしたかららね。
TBとコメントありがとうございます。sakuraiさんの書かれているとおりだと思い、古い記事だったのですが、TBさせていただきました。申し訳ありません。
2度見る予定だったのですが、弟に断られ、めげました;;。どんな優れた映像化でも読者の心の中のイメージに勝るのは難しいものです。この夏は原作を再読しましたが、やはりアニメ化はよほどの力量がないと難しいと再認識しました。映画化で原作を手に取る人が増えることはとても素晴らしいことだと思います。またお邪魔します。これからもよろしくお願いします。
と、コレだけの素晴らしい本なのに意外に読んだ人が少ないということに少々がっくりしました。
ル・グウィンがこの本を書いたきっかけに、かなりの重要な要素があると聞き、そのことを詳しく知りたいなと思っています。
多くの人に読んでもらいたいですが、安易に原作の映画化というのも考えてもらいたいものです。